昭和13年(1939年)J3CKのコールサインで神戸市で開局した鈴木登紀男さんは、ほどなくして東京に移りJ2KIとなったが、間もなく太平洋戦争勃発のため、廃局せざるをえなくなった。関西、関東の戦前のハムとの交流も多く、戦後は大学教授として電子工学を教え、有能な人材を育成。戦後、再びハム(JP1JCK)となったのは昭和51年(1976年)。電子工学関連著書も多く、現在は、戦前のハムの集まりである「レインボーDXクラブ」の世話役として、また、母校の慶応大学工学部の山岳部OB、無線工学研究会OBとしても活躍している。