昭和12年(1937年)、宮城県名取郡千貫村(現岩沼市)にて8人兄弟の次男坊として生まれた郡山勝視さん。中学校卒業後は仙台電波高等学校 (現仙台電波工業高等専門学校)に進学し、在学中に第2級無線通信士の資格を取得する。高校卒業後は船会社に就職し、以後プロの通信士としての道を歩む。

29歳になった1966年、第1級無線通信士の資格を取得すると同時に、長崎市にてアマチュア無線局JA6FOFを開局。しかし、職業柄、常置場所からオンエアすることはほとんど無く、もっぱら勤務先である船舶内の通信室から運用することになる。数年後には、会社方針で船舶内でのアマチュア無線の運用が禁止されてしまい、運用頻度が低下する。

1992年、55歳で通信士からリタイアした後は、アクティビティを取り戻し、V/UHFのFMハンディ機を使った移動運用に明け暮れるようなる。1994年には最新のHF機を購入して自宅からのHF運用を再開、同時にHFの移動運用も始める。いつも移動運用には、必ずJA6FXL洋子夫人と2人で出かけ、洋子夫人が電話を担当し、郡山さんが電信を担当。日々充実したハムライフを送っている。

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