昭和33年(1958年)3月、従事者免許、続いて予備免許を取得。岩手県北部地区では初のハムの誕生であり、しかも18歳の若さであった。

電気店、大手電機メーカーの販売会社勤務などを経て、平成15年(2003年)に長かったサラリーマン生活を終える。この間、さまざまな無線機の自作を楽しみ、VUでの日本記録に挑戦する一方で、ATVなどのスペシャライズド・コミュニケーションでは独自の実験を行い注目された。

また、JARLの活動には早くから加わり、評議員のほか、青森県支部長を14年間勤める。十勝沖地震の折りには非常通信で活躍したが、支部長時代の「青函博」での記念局設置やJARL「アップル総会」などが思い出深いと言う。現在は青森県電波適正利用推進員協議会会長を勤めている。

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