「線で結ばれた部品の詰まった複雑な中身、シャーシ上で銀色に光っていた茄子型の真空管、それらがとても不思議なものに思われたことを思い出す。こんなことが私が一生をかけつつあるラジオ・マニアになった背景だろう」-井原達郎(JA4AO)さんは、60年以上も前の8歳の頃のことを振り返っている。昭和37年(1962年)に評議員としてJARLの活動に参画、41年から中国支部選出の理事、中国支部長。47年から中国地方本部長として活躍。平成4年からJARL副会長に就任。また、長年、教職にあって、転任するたびにそれぞれの学校に「ラジオクラブ」や「アマチュア無線クラブ」を発足させ、若いアマチュア無線家を育ててきた。