「MSXパソコン」連合軍と“パソコン御三家”の戦い続く

1983年6月に発表された「MSXパソコン」連合軍と、“パソコン御三家”とも呼ばれたNEC、富士通、シャープが1980年代中盤から後半にかけてパソコン市場で激戦を展開することになる。NECは「PC-8000」シリーズ、富士通は「FM-7」シリーズ、シャープは「X1」シリーズを主力に家庭用パソコン、ホビー用パソコン市場を形成していった。

難しかった海外メーカーの日本市場進出

一方、海外のパソコンメーカーも日本市場への進出を狙っていたが、国内メーカー同士の戦いが激しかったことや日本語処理の問題点もあり成功しなかった。海外メーカーでは、アップルコンピューター、コモドール、タンディ・ラジオシャックなどが8ビットパソコンを日本に売り込もうとしていたが代理店経由で販売力も弱かった。逆に日本のパソコンメーカーも欧米に進出することができず、国内市場において日本のユーザー向けの商品開発に集中していた。このあたりは、現在の携帯電話市場の動きと良く似ていて、いわゆる日本の“携帯電話のガラパゴス化”を先取りしていたかのようである。

用途はゲームが主だった8ビットパソコン

「8ビットパソコンの用途は?」と言うと、家計簿、簡単な事務処理、プログラミングの勉強など実用面を強調する傾向が有ったが、実際面ではゲーム用が主となっていた。実用ソフトが少なく、高価だったり、パソコン単体では使えずプリンターや外部記憶装置など高価な周辺機器を追加する必要があり費用も大変だった。それでも、一部では技術分野、音楽分野など汎用性を生かして活用されるケースも無くはなかったが、少数派であることは免れなかった。

しかし、「MSXパソコン」の登場によってパソコンの低価格化が進み、親が教育用として子供に買い与えたり、お小遣いをためて買ったりとパソコンの普及に大いに貢献したと言える。実際、教育現場で「MSXパソコン」を導入して、パソコンの使い方やプログラミングの基礎を教えたりするケースもあった。まだ、このころは「とにかく時代の流れに遅れるな」といった雰囲気が、市場に蔓延していた

ので、一種のパソコンに対する憧れがあったようである。

8ビットパソコンが「エレクトロニクス立国日本」の発展に大いに貢献

ともかく手軽に購入できる「8ビットパソコン」の普及によってエレクトロニクスに興味を持つ子供たちが増えて行ったのは間違いないだろう。最初にパソコンに触れたのはゲームであっても、後に社会人になって、事務所でパソコン、日本語ワープロなどのOA機器の扱いに抵抗なくすすめた人も多かったはずである。また、電機メーカーや研究機関に就職してコンピュータ関係の仕事や、エレクトロニクス技術者として活躍することになった人も大勢出たはずである。「8ビットパソコン」は、「エレクトロニクス立国日本」の発展に大いに貢献したといえる。

とは言え、ゲーム用途中心の市場であり、ホビーパソコン向けのゲームソフトが人気を呼んでいた。1970年代後半に相次いで創刊されたパソコン誌もゲームソフトの通信販売や、簡単なゲームのプログラムを掲載していた。また、パソコンショップには様々なゲームソフトが並べられ賑わっていた。さらに、パソコンゲームの人気に合わせて1980年代にはパソコンゲーム中心の雑誌が創刊された。アスキーの「ログイン」、小学館の「POPCOM」、日本ソフトバンクの「BEEP!」などが創刊されている。

大きなインパクトをもたらしたファミリーコンピュータ

そうした中で、大きなインパクトをもたらしたのは1983年7月、任天堂から発売された家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータだった。メーカー希望小売価格は14,800円と低価格で、同時発売のゲームソフトウエア「ドンキーコング」や「ポパイ」などが人気を呼んだ。14,800円という価格は、おもちゃ屋さん感覚では非常に高額なおもちゃだが、パソコンや家庭用ゲーム機としては割安だった。とにもかくにも、発売後の出足はパットしなかったものの、徐々に人気が出て1年間で300万台以上販売する爆発的なヒット商品となった。

そして、ファミリーコンピュータを家庭用ゲーム機の不動の王者としたのは、1985年に発売された歴史に残るソフトウエア「スーパーマリオブラザーズ」だった。「スーパーマリオブラザーズ」は、国内で680万本以上、全世界で4.000万本以上販売され記録的な大ヒットとなり、ファミリーコンピュータを“ファミコン”もしくは“FC”と略称で呼ばれるほど世界的に知名度を高めた代表的なソフトウエアとなる。そして、ハードウエアの販売にはいかに優れたソフトウエアが不可欠であるかを知らしめた作品と言えるだろう。

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今でも店頭にあるファミコンソフト

新製品開発の上でも参考となる点が多いファミリーコンピュータ

ファミリーコンピュータは、ゲーム専用機としてハードウエアに大きな特徴があった。まず、CPUはゲームに適した機能を付加したリコー製のカスタムチップRP2A03を搭載、大量に発注することでコストダウンを図った。また、コントローラは接続端子を省き、本体に直接接続することでコストダウンを図っている。形体は、十字ボタン、A/Bボタン、START、SELECTボタンを備えた横長の板状で、これがその後のゲーム機のコントローラの標準的なスタイルとなっていった。そしてソフトウエアは、ROMカートリッジで供給し、スロットに差し込むだけで様々なゲームを楽しむことができた。

当時、ゲーム用途が主体の8ビットパソコンにとっては、とてつもない強敵が現れたことになる。また、家庭用ゲーム機はファミリーコンピュータ以外にも、国内メーカー、海外メーカーから様々な製品が発売されたが、ファミリーコンピュータがなぜ圧倒的な強みを発揮できたのか、ゲーム機に限らず様々な新製品開発の上でも参考となる点が多い。

参考資料:東芝HP、シャープHP、東芝科学館、JEITA、社団法人情報処理学会、富士通HP、NEC・HP、コンピュータ博物館、Wikipediaほか