エレクトロニクス立国の源流を探る
No.63 日本のエレクトロニクスを支えた技術「パーソナルコンピュータ」第7回
参入と撤退が続いた家庭用ゲーム機
据置型の家庭用ゲーム機市場は、任天堂の「ファミリーコンピュータ」の登場によって大きな規模に膨らんでいったが、任天堂以外にも家電メーカーやアーケードゲーム機メーカーなど数多くのメーカーが市場に参入した。しかし、激しい競争によって市場から撤退するメーカーが相次ぎ、今日では、任天堂の「Wii」、ソニー・コンピュータエンタテインメントの「プレイステーション3」、マイクロソフトの「Xbox 360」の3機種が世界市場でしのぎを削っている。
切っても切れない関係のパソコンと家庭用ゲーム機
パソコンと家庭用ゲーム機の関係は、形態は違えども用途的には「ゲームを楽しむ」という点で、似かよった所があり、パソコンがゲームに適した機能を取り込んでいく反面、ゲーム機もオプションとしてキーボードを用意し、パソコンとして使えるようにしていくなど切っても切れない関係にあった。例えば、任天堂は、1984年6月21日、「ファミリーコンピュータ」の周辺機器としてBASIC言語を組み込んだロムカセットと、ファミコン本体に接続するキーボードがセットになっている「ファミリーベーシック」を発売した。
「ファミリーベーシック」によってBASIC言語で簡単なゲームプログラムを自作することができた。この「NS-Hu BASIC」は、ハドソンの「Hu-BASIC」をベースに、任天堂、シャープとの3社が共同開発したもので、任天堂のN、シャープのSの頭文字を付けたもの。キーボードは、一般的なキーボードと異なり五十音順に並んでいた。また、1984年にファミリーコンピュータの射撃ゲーム用に光線銃型コントローラ「ガン」と専用ゲームソフトが発売された。
そして、1985年7月26日、この技術を応用した「ファミコンロボット」が発売された。ファミコンと連動してロボットのコントロールが可能で価格も9,800円と手ごろだった。単なるゲームのお遊びから、より高度なロボット開発やFA(ファクトリ・オートメーション)をイメージさせるものだった。
セガ・エンタープライズ、NEC、パナソニック、SNKなどが家庭用ゲーム機に参入
家庭用ゲーム機で一時代を築いたセガ・エンタープライズ(現セガ)は、任天堂の「ファミリーコンピュータ」と同じ1983年7月15日に家庭用ゲーム機「SG-1000」を発売している。また、1987年10月30日にNECの子会社である家電メーカーのNECホームエレクトロニクスから「PCエンジン」が24,800円で発売された。さらにセガ・エンタープライズは、「SG-1000」の後継機として1988年10月29日、「メガドライブ(MEGA DRIVE)」を発売している。
そして、1991年7月1日には、ゲーム機メーカーのSNKが「ネオジオ(NEOGEO)」を一般家庭向けに発売した。さらに、松下電器(現パナソニック)は、1994年3月20日、32BitCPU搭載の家庭用ゲーム機「3DO REAL」を発売した。「3DO REAL」は、米国のコンピュータゲーム開発会社3DO社が提唱したマルチメディア端末規格を採用しており、単なるゲーム機としてではなく情報家電としての位置づけもあった。また、三洋電機からも「3DO TRY」が発売された。
そして1994年11月22日には、セガ・エンタープライゼスが「セガサターン」を発売したが、この「セガサターン」開発で協力関係にあった日本ビクターと日立製作所からも「ビクターVサターン」「日立Hiサターン」が発売された。この頃になると家庭用ゲームと言っても、かなり高度なグラフィックス機能、音源、記憶容量が要求され、CPUの高速化が必要となっていたため32BitCPUが搭載されるようになっていた。
ソニーが「プレイステーション(PlayStation)」で参入
ソニーの子会社であるソニー・コンピュータエンタテインメントは、 1994年12月3日「プレイステーション(PlayStation)」を発売、家庭用ゲーム機市場に参入した。 また、今日、任天堂、ソニー・コンピュータエンタテインメントとともに3大メーカーとして家庭用ゲーム機市場で生き残っているマイクロソフトが「Xbox」を日本国内で発売したのは、2000年代に入った2002年2月22日だった。
メーカー | 機種 | 発売 |
---|---|---|
任天堂 | ファミリーコンピュータ | 1983年07月15日 |
セガ・エンタープライズ (現セガ) | SG-1000 | 1983年07月15日 |
NECホームエレクトロニクス | PCエンジン | 1987年10月30日 |
SNK | ネオジオ(NEOGEO) | 1991年07月01日 |
松下電器 (現パナソニック) | 3DO REAL | 1994年03月20日 |
三洋電機 | 3DO TRY | 1994年03月20日 |
日本ビクター | ビクターVサターン | 1994年11月22日 |
日立製作所 | 日立Hiサターン | 1994年11月22日 |
ソニー・コンピュータエンタテインメント | プレイステーション(PlayStation) | 1994年12月03日 |
マイクロソフト | Xbox | 2002年 2月22日 |
家庭用ゲーム機と主なメーカー
この間、家庭用ゲーム機メーカーは性能、機能をアップした後継機を発売し必死に生き残りをかけた激しい競争を展開していた。また、据え置き型の家庭用ゲーム機だけでなく、ポータブルゲーム機、ポケットゲーム機などを発売、家の外に持ち出して電車の中や屋外でゲームを楽しむ様になって行った。
優秀なサードパーティー獲得が競争を有利に
そして、単なるハードの性能ではなく、ソフト面での充実が市場における競争力の決め手となるのは、パソコンも家庭用ゲーム機も同じだった。ゲームソフトを開発するのはハードメーカーだけでは難しく、いわゆるサードパーティーと呼ばれるゲームソフト開発会社との協力関係が不可欠だった。そこで、サードパーティー獲得競争が展開され、優秀なサードパーティーを獲得したメーカーが有利に競争を戦っていった。
ゲームソフトの圧倒的な数と質によってゲーム機市場で主導権を握っていったのは、任天堂とソニー・コンピュータエンタテイメントだった。ソニー・コンピュータエンタテイメントは、人気ソフト「ファイナルファンタジー」、「ドラゴンクエスト」によって、任天堂の「スーパーマリオブラザーズ」と同様成功したと言える。
「家庭用情報端末」としての可能性も残される家庭用ゲーム機
結果的には、任天堂、ソニー・コンピュータエンタテインメント、マイクロソフトの3社が家庭用ゲーム機市場で生き残ったわけだが、この間、家庭用ゲーム機の可能性として未来の「家庭用情報端末」「情報家電」に発展するかもしれないという期待もあった。現在、インターネットの普及によって、パソコンや一部のデジタルテレビが「家庭用情報端末」としての役割を果たしているが、家庭用ゲーム機もその可能性を捨てさった訳ではない。まだまだ進化の余地がありそうである。
参考資料:ソニーHP、東芝HP、シャープHP、JEITA、社団法人情報処理学会、富士通HP、NEC・HP、コンピュータ博物館ほか