エレクトロニクス立国の源流を探る
No.64 日本のエレクトロニクスを支えた技術「パーソナルコンピュータ」第8回
フロッピーディスクドライブ(FDD)搭載の動き高まる
パソコンの性能が向上するにつれ外部記憶装置も、それまで使われていたオーディオ用のコンパクトカセットでは、操作性、応答性などで対応しづらくなってきていた。そこで、中・大型コンピュータの外部記憶装置として使われていたハードディスクドライブ(HDD)や、フロッピーディスクドライブ(FDD)をパソコンにも使おうという動きが出てきた。しかし、ハードディスクドライブ(HDD)は、低価格のパソコンには高価すぎたので、まずフロッピーディスクドライブ(FDD)が使われるようになった。フロッピーディスクドライブを開発したのは、IBMで「フレキシブル・ディスケット」(flexible diskette)と呼ばれた。当初、8インチ、5.25インチのフロッピーディスクが使われた。
3インチ対3.5インチフロッピーディスクの標準化争い
しかし、パソコン用として、より小型のフロッピーディスクのニーズが出てきた。小型のフロッピーディスクとしては、ソニーが1981年に発売した英文ワープロ「シリーズ35」の外部記録媒体として3.5インチフロッピーディスク(マイクロフロッピーディスク)と、1981年に松下電器(現パナソニック)と日立製作所、日立マクセルの3社が規格を発表した3インチのコンパクトディスクが登場した。そして、この2つの規格によって小型フロッピーディスクの標準化をめぐる主導権争いとなった。規格の標準化をめぐっては、家庭用VTRでソニーの「ベータマックス」対ビクター・松下電器の「VHS」の世界中を巻き込んだ激戦があるが、小型フロッピーディスクの標準化争いは、第2ラウンドの様相をみていた。
総勢25名の開発チームを結成
実は、ソニーの3.5インチフロッピーディスクは、当時アメリカで成長期にあったOA市場向けの製品として英文ワープロに取り組もうということから開発がスタートした。ソニーの磁気記録技術を生かせばフロッピーディスクも開発できると総勢25名の開発チームを結成したものの、コンピュータに関しては素人同然の集団だったという。8インチ、5.25インチのフロッピーディスクは、ジャケットが薄い樹脂製であり、ディスクを読み取る窓が空いたままなので破損しやすく、扱いが面倒だった。そこで、これに代わるものを開発することになった。目標は「小型で取り扱いやすくするためにプラスチックケースを採用し、ポケットに入るよう大きさは3インチぐらいにしよう」ということになった。しかし、プラスチックケースにするとどうしても厚くなってしまう。そこで、シャッター無しでプラスチック成型ぎりぎりの薄さを追求することでなんとか3mmまで薄くできた。
だが、薄くしたことによってケースが曲がってしまったり、ドライブに入れた時にうまく動作しなくなったり様々な問題に直面してしまう。また、薄くするとシャッター自動開閉のためのバネが入らなくなってしまう。そこで、仕方なく手動式のシャッターを採用することにした。また、記録容量は1メガバイトを目標としていたが、小さなディスクでこれを実現するにはトラック密度を従来の2倍にして高速回転させる必要があった。磁気ヘッドが狭いトラックを正確にトレースできなければ、この要求を満たすことはできない。つまりトラッキングの精度を大幅に向上させる必要があった。
これを解決することが小型フロッピーディスク実現のカギを握っていた。そこで考えられたのが磁気シートの中央に10円玉ぐらいの大きさの金属ハブを設けることだった。この金属製のハブの穴にドライブモーターの軸をしっかり固定して位置決めすることでトラッキング精度が大幅に向上した。同時に耐久性もアップし、厚さ3.4mmのプラスチックケースに入った記録容量1メガバイトの3.5インチフロッピーディスクが完成した。
3.5インチフロッピーディスクが事実上の標準規格に
むろん、ソニーや松下電器などの規格だけでなく、アメリカでも小型フロッピーディスク開発の動きがあったが、あまりうまくいっていなかった。しかし、日本メーカーに主導権を奪われるのも面白くないということから、アメリカのフロッピーディスクメーカーで「マイクロ・フロッピー・スタンダード・コミッティ」を結成、標準化の動きを見せていた。しかし、標準化作業がうまくいかないこともあって、ソニーにも参加するようはたらきかけてきた。そして、シャッターの自動化や、トラック数を80に変更、プロテクトのセンサーを透過型に変更、などの条件を前提に3.5インチフロッピーディスクの標準化に賛同することになった。ソニーは、これらの条件を受け入れることにした。開発当初から難題だったシャッターの自動化には洗濯挟みのバネのような機構を開発することによって3.4mmの薄さに収めることができた。
HP社や、アップルのMacintosh、IBM PCが3.5インチを採用
一方、アメリカのコンピュータ、計測器メーカーのヒューレット・パッカード(HP)社が、「コンピュータ用に3.5インチフロッピーディスクを採用したい」とソニーに打診してきた。ソニーは、3.5インチフロッピーディスクを普及させるためには自社のパソコンやワープロだけでなく、外部のコンピューターメーカーへOEM供給が必要となると見ていた。まさにHP社からの申し出は渡りに船だった。このことも、3.5インチフロッピーディスクが、小型フロッピーディスクの標準化やデファクトスタンダードとなるのに大いに役立った。
そして、1984年にISO会議で3.5インチ規格が承認された。さらに、パソコン市場で大きなシェアを持っていたアップルのMacintoshや、IBM PCが3.5インチフロッピーディスクを採用したこともあって3.5インチフロッピーディスクが小型フロッピーディスクにおける事実上の標準規格となっていった。
3.5インチフロッピーディスクとドライブ
3.5インチフロッピーディスクが全盛期を迎える
やがてパソコンや日本語ワープロの、外部記憶装置して5.25インチフロッピーディスクと3.5インチフロッピーディスクが主流となって行った。ビジネス用では5.25インチフロッピーディスクが採用され、家庭用パソコンでは3.5インチフロッピーディスクが採用された。1990年代から2000年代半ばまで3.5インチマイクロフロッピーディスクが全盛期を迎えるが、エレクトロニクス技術の進歩はめざましく、2000年代後半に入ると様々な大容量記録媒体が登場してきた。CDやDVD、MOなどより大容量の記録媒体が次々とパソコンに採用されるようになってきた。このほか、フラッシュメモリを使ったSDメモリカードやUSBメモリも登場した。SDメモリカードは、松下電器、サンディスク、東芝などが共同開発規格として発表した。そして2000年1月にSDカードアソシエーションが設立され、新メモリカードとして普及促進を目指した。
やがて主流はCD/DVDマルチドライブ搭載へ
CDやDVD、MOなどの光媒体や、フラッシュメモリを使ったSDメモリカード、USBメモリは、登場してきた時は高価だったもの、大量生産ができるようになってからは、コストダウンが急速に進み
3.5インチフロッピーディスク市場を奪っていくようになる。やがて、パソコンでも3.5インチフロッピーディスクドライブを搭載しない機種が増えて行った。それに代わって主流はCD/DVDマルチドライブ搭載へと移行していった。
そんな市場動向を反映して、3.5インチフロッピーディスクのメーカーが次々と市場から撤退して行き、2009年には有力な3.5インチフロッピーディスクであった日立マクセルや三菱化学メディアが市場から撤退した。また、3.5インチフロッピーディスク開発メーカーであるソニーも中国のメーカーへの委託生産を2011年3月でストップ、3.5インチフロッピークディスクの時代は終わった。しかし、3.5インチフロッピーディスクドライブを搭載したパソコンや日本語ワープロを現在でも使用しているユーザーも少なからずいると思われ、3.5インチフロッピーディスクが果たした役割は非常に大きいものがある。
参考資料:ソニーHP、東芝HP、シャープHP、JEITA、社団法人情報処理学会、富士通HP、NEC・HP、コンピュータ博物館ほか