エレクトロニクス立国の源流を探る
No.66 日本のエレクトロニクスを支えた技術「パーソナルコンピュータ」第10回
1985年に16ビットの出荷台数が8ビットパソコンを上回る
我が国の16ビットパソコンの出荷台数が8ビットパソコンの出荷台数を上回るのは1985年になってからで、パソコンの主な用途がビジネスユースへと移行してきたことを示している。しかし、我が国の特殊事情として日本語ワープロ専用機の普及が先行していたため、まだパソコンは、日本語ワープロ専用機を下回る出荷台数だった。日本語ワープロ専用機は、1980年代後半もまだ成長期に有り、1989年に271万台の出荷台数となりピークを迎える。
1980年代後半は16ビットパソコンから32ビットパソコンへ移行
1980年代後半のパソコン市場は、16ビットパソコンから32ビットパソコンへの移行期にあたり、主要パソコンメーカーが32ビットパソコンを相次いで発売している。1987年にNECが32ビットCPU「80386」を搭載した32ビットパソコン「PC-98XL2」を発表した。日本語MS-DOSを採用したほか、16ビットCPU「V30」も搭載することで同社の主力シリーズだった「PC-9800」シリーズとの互換性を確保し、既存ユーザーの便宜を図った。また、メモリは、1.5MBを標準装備、最大14.5MBまで拡張可能で、記憶装置は5インチFDD2基と40MBのHDDを搭載していた。
また、富士通も1987年に「FM R」シリーズ初の32ビットパソコン「FM-R70」発表した。32ビットCPU「80386」を搭載し、2MBのメモリを標準装備していた。この他、40MBのHDDを搭載していたが、FDDは搭載していなかった。OSは、MS-DOSと日本語OS/2に対応していた。
東芝が世界初の32ビットのラップトップパソコン「T-5100」発表
この他、東芝は海外向けのモデルではあるが、1987年に世界初の32ビットのラップトップパソコン「T-5100」を発表している。CPUは「80386」を搭載し、40MB・HDDを内蔵。重量は6.8kgと軽量だった。 メモリは標準2MBで最大4MBまで拡張可能だった。さらに、1.2MB・FDDに加え、100MBもしくは40MBのHDDの選択ができた。OSは、日本語MS-DOSを標準搭載し、オプションとして日本語MS OS/2や日本語UX/386もオプションとして提供していた。表示装置は、まだ液晶ディスプレイではなく、640×400ドットの4階調プラズマディスプレイを採用していた。
IBM「PC/AT」互換の「AX仕様」モデルが登場
1988年には、三菱電機が32ビットパソコン「MAXY」を発表している。このモデルには、当時世界の標準機になりつつあったIBM「PC/AT」を基本に日本語処理機能を加えた統一仕様である「AX仕様」を採用していた。ちなみに「AX仕様」は、1987年にマイクロソフトと国内のパソコンメーカー10数社が参加して「AX協議会」を結成し、IBM「PC/AT」互換機に日本語機能を付加したもの。操作性やシステム相互の接続性、ソフトウェアおよびデータの互換性、システムの拡張性においてIBM「PC/AT」との互換性を確保したものだった。「MAXY」では、CPUに32ビットの「80386SX」を搭載し、メモリは標準で1.6MB、最大7.6MBまで拡張可能だった。
さらに、同年には沖電気、セイコーエプソンも32ビットパソコンに参入している。沖電気は、AX仕様の32ビットラップトップパコソン「if386AX」シリーズを発表している。CPUは32ビットの「80386」を搭載していた。セイコーエプソンの「PC-386」 は、CPU「80386」を搭載し、コストパフォーマンスに優れたビジネスパソコンとして人気を呼んだ。
富士通が世界初のCD-ROMドライブ標準搭載「FM TOWNS」発表
また、1989年に入ると、富士通が世界で初めてCD-ROMドライブを標準搭載した32ビットパソコン「FM TOWNS」を発表した。540MBという大容量のCD-ROMドライブを標準装備することによって、大容量のプログラムに対応可能となった。音やイメージも記憶でき、実用性に加え、大量の画像や音楽を含むソフトも収録可能となり、楽しさや、使い勝手が大幅に向上した。CPUは「80386」を搭載し、充実したAV機能とあいまって表現力豊かなソフトに対応することができた。さらに、GUI(Graphical User Interface)の採用とマウスによる操作が可能で初心者にも使いやすいパソコンだった。
東芝が世界初のA4ノートパソコン「DynaBook J-3100SS」発表
さらに、1989年には東芝が世界初のA4ファイルサイズのノートパソコン「DynaBook J-3100SS」を発表している。サイズは、幅310mm、奥行き254mm、高さ44mmで、質量2.7kgの小型・軽量を実現。高密度実装技術と薄型ELバックライト液晶ディスプレイの採用により実現可能としたもので、その後の世界のノートパソコン市場で東芝のゆるぎなき地位を築くベースとなったモデルである。
世界初のA4サイズノートパソコン「DynaBook J-3100SS」(東芝)
なお、同年には16ビットパソコンだが、NECが日本初のカラー表示が可能な液晶ディスプレイを搭載したラップトップパソコン「PC-9801LX5C」を発売している。640×400ドットのドット単位にカラー8色表示ができるバックライト付カラー液晶を搭載していた。さらに、セイコーエプソンもノートパソコン「PC-286NOTE」を発表したほか、NECも同社初のノートパソコン「PC-9801N」を発表している。後に"98ノート"の愛称で人気を呼ぶシリーズとなる。
ラップトップPC、ノートPCなど新しいパソコン市場が幕開け
このように、1980年代後半のパソコン市場は、16ビットパソコンから32ビットパソコンへ移行して行くとともに、ラップトップパソコン、ノートパソコンなどと呼ばれるデスクトップパソコン以外の新しい形態のパソコン市場が幕を開けた時期でもあった。
参考資料:東芝HP、東芝科学館、シャープHP、JEITA・HP、社団法人情報処理学会、富士通HP、NEC・HP、コンピュータ博物館ほか