エレクトロニクス立国の源流を探る
No.68 日本のエレクトロニクスを支えた技術「パーソナルコンピュータ」第12回
パソコン市場拡大に大きな影響をもたらしたWindows95
パソコン市場拡大に大きな影響をもたらしたのが1995年秋に発売されたWindows95である。1990年代に入ってパソコンの32ビット化が進んでいったが、ユーザーが高性能なパソコンを使いこなすためにOSの改良が求められていた。そこに、登場したのがWindows95で、テレビニュースなどマスコミで大きく取り上げられ一気にパソコン市場に火を付けた。Windowsの歴史を見ると、1983年に最初のバージョンが発表されたが、実際にリリースされたのは1985年のWindows1.0だった。しかし、Windows1.0はウインドウの重ね合わせができず、現在のWindowsとは違い実用性と言う面ではまだ改良すべき点が多々あったため、あまり普及しなかった。その後、1987年にウインドウの重ね合わせができるWindows2.0が発売され実用性が高まったことで普及し始めることになる。
Windows95がグローバルスタンダードに
しかし、Windowsが本格的普及し始めるのは、1990年にWindows3.0が登場してからになる。Windows3.0は、操作性が大きく改良されたほか、様々な機能が強化され、わが国でもWindows3.0対応のソフトウェアが増えたこともあって普及に拍車がかかる。その後も、バージョンアップを続けながら、順調に普及して行き、Windows3.0、3.1は世界で約1億台、国内でも約400万台の販売を記録、グローバルスタンダードの地位を築いていった。
そして、1995年秋のWindows95の発売でグローバルスタンダードの地位を決定づけた。GUIが新しくなりスタートボタンが採用されるなど操作性が向上したほか、TCP/IPなどネットワーク機能が搭載され、今日のWindowsの原型とも言えるものだった。
国内メーカー各社が相次いでWindows95対応モデルを発売
1995年10月に日立製作所は、Windows95に対応したビジネスユースと一般ユーザー向けのノートパソコン、デスクトップパソコン「FLORA」シリーズ22機種を発表、Windows95への期待の大きさを示すものだった。また、富士通も1995年11月にWindows95対応の「FMV-TOWNS」を発表している。さらに、東芝もWindows95対応のノートパソコン「DynaBook GT-R590」を発表した。
1996年に入ると、Windows95対応パソコンの新製品ラッシュとなる。まず三菱電機がA5ファイルサイズのコンパクトなWindows95対応のノートパソコン「AMITY SP」を3月に発表。4月には東芝が
Windows 95搭載のパソコンとしては世界最小(210×115×34 mm)・最軽量(840g)のミニノートパソコン「Libretto 20」を発表した。カバンの中にすっぽり納まり、軽量で持ち運びに便利なモバイルコンピュータとしてビジネスマンをメインターゲットとしたモデルだった。リチウムイオン電池を標準搭載しており、約2〜3時間のバッテリー駆動が可能で、オプションの大容量バッテリーパックを使用すれば最大約6時間のバッテリー駆動が可能だった。
松下電器(現パナソニック)がレッツノート、ソニーもバイオを発売
松下電器(現パナソニック)も1996年6月に小型(B5サイズ)・軽量(1.47kg)のノートパソコン「レッツノート AL-N1」を発表した。高精細なSVGA (800×600ドット)TFT液晶を搭載し、バッテリーを2本搭載することで長時間使用にも対応できた。また、同社は、家庭やオフィス以外の作業現場、工場などでもパソコンを使うことができる頑丈な筺体を持つWindows95対応ノートパソコン
「タフブックCF25」を発表している。耐衝撃、耐振動、防塵、防滴など現場の悪環境に耐える設計で、80cmからの落下実験にもパスしていた。この他、沖電気もWindows95対応デスクトップパソコン「ONES(ワンズ)」を発表している。このようにWindows95の登場によって、高度な処理能力と快適な操作環境の提供が可能となってきたことから、パソコンメーカー各社のWindows95対応パソコンの新製品開発に拍車がかかってきた。
1997年には、ソニーが、ドッキングステーションを持ち、スリムな本体に拡張性をプラスした「バイオノートPCG-707」と、ビデオCD制作ソフトやMPEG1によるテレビ録画が可能なCD-Rドライブを搭載したデスクトップ型バイオの初代機「PCV-T700MR」を発売した。さらに、マグネシウムボディを採用した超薄型のバイオノート「PCG-505」を発売した。実は、ソニーは前年の1996年に米国でWindows95と、Pentium 200MHzを搭載しGUI「VAIO Space」をプリインストールしたノートパソコン「バイオPCV-90」を国内に先行して販売していた。
ちなみにシリーズ名のVAIO(バイオ)は、AV機器メーカーとして、ビデオとオーディオをパソコンで統合的に扱うことから決められたもので「Video、Audio Integrated Operation」の頭文字をとって命名されたものである。そのバイオは、翌1998年にCCDカメラを内蔵したミニノートとして世界に注目された「バイオPCG-C1」に結びついて行く。パソコンにビデオカメラを内蔵すると言うAV機器メーカーならではの発想が新しかった。今日、携帯電話機にカメラが内蔵されているは標準仕様とも言える状況だが、その流れを先取りしたパソコンと言えるだろう。
バイオの最新モデルSシリーズ
Windows95対応パソコンの普及でNECのシェア低下
Windows95対応パソコンの普及にともない、それまでパソコン市場で圧倒的なシェアを持っていたNECが苦戦を強いられることになる。また、NEC98互換機路線をとっていたエプソンもPC/AT互換機路線へ転換した。そして、遂にNECも1997年に「PC98-NX」シリーズを発表し独自路線からPC/AT互換機路線へとシフトして行くことになる。こうした状況を反映して1990年代前半まで国内パソコン市場で大きなシェアを誇っていたNECも、1990年代後半は徐々にシェアが低下して行った。
参考資料:ソニーHP、富士通HP、東芝HP、シャープHP、JEITA・HP、社団法人情報処理学会、NEC・HP、コンピュータ博物館ほか