カメラ好きの日本人がビデオカメラでもいかんなく能力を発揮

日本人のカメラ好きは、世界中に知れ渡っているのか、かなり昔のことだが海外での日本人観光客のイラストは「メガネをかけたオジサンがカメラを首にぶら下げている」のを見かけることが多かった。カメラと言えばドイツ、時計はスイスと言うのが世界の常識となっていた頃の話だが、そのカメラも時計も今では日本のお家芸となっている。そしてカメラは銀塩フィルムからデジタルカメラ(デジカメ)へ、時計もアナログからデジタル時計へと技術が発展して行くのにともない急速に日本製品が世界中を席巻して行くことになる。

また、静止画だけでなく動画においても8mmフィルムカメラからビデオカメラへと電子化が進み日本のメーカーが世界市場を席巻して行った。デジタル化の波に乗り遅れた世界No.1のフィルムメーカーだったコダック社破綻の報道が有ったのは、つい最近のことである。なお、ビデオカメラについては本連載の第7回で若干触れているが、今回はビデオカメラにデジカメを加えてその歴史、技術の変遷を振り返ってみたい。

ビデオカメラと言えば、動画を撮影するカメラを意味するが、ここでは撮影した映像を記録する機器(レコーダー)を含めてビデオカメラと表現したい。また、用途によって放送用から業務用、民生用など様々な製品が有るが一般向けの民生用(家庭用)を中心に取り上げて行きたい。そして古くは機械式シャッターカメラもあるが、ここでは電子式カメラからの歴史を振り返ってみる。カメラと録画部(レコーダー)を一体化することでソニーはCAMERAとRECORDERを合わせて「カムコーダ」との名称を使っているが、日本ビクターなどではフィルム式カメラの発展系としてビデオ化したものであることから「ビデオムービー」と呼んでいた。

日本ビクターとソニーが民生用ビデオカメラ市場でしのぎを削る

本格的な民生用ビデオカメラとしては、日本ビクターが1978年に発売したVHS方式のポータブルVTR「HR-4100」とビデオカメラ「CV-G70」とのシステム価格499,800円がある。実はそれ以前にも「PV-4800C」(VTR)とカメラ「GC-4800」を組み合わせたポータブルカメラシステムを一式100万円で発売しているが一般家庭用と言うにはほど遠いものだった。また、ソニーも同じころポータブルカメラシステムを一式148万円で発売している。

一般家庭用ビデオカメラとして普及させるためには、小型軽量の一体型で価格も20万円台にする必要が有った。この頃はまだ撮像素子にはサチコンやビジコンといった真空管式のカメラで固体撮像素子カメラはNHK技研やメーカーの研究所で開発中だった。そして固体撮像素子カメラが発表されたのは1975年NHK技研とNECが3板カメラを発表、日立もMOS3板カメラを発表した。しかし固体撮像素子カメラの実用化はさらに先のことで1980年代に入ってからとなる。

日本ビクターが小型のVHS-Cカセット開発

家庭用ビデオカメラの開発は、家庭用据置型VTRにおいてベータ方式を開発したソニーとVHS方式を開発した日本ビクターが鎬を削る形になる。そしてベータ陣営、VHS陣営の各社が両社を追随する形となっていった。日本ビクターは、VHS方式のカセットサイズがベータ方式のカセットより大きいことからポータブルVTRやビデオカメラ用としては商品の小型軽量化に限界があると判断。1982年にVHS方式カセットの約2分の1サイズとしたVHS-C(VHSコンパクト)カセットを開発した。そして、このVHS-Cカセットを採用したポータブルVTR「HR-C3」(153,000円)とビデオカメラ「GZ-S3」(178,000円)を同年に発売した。

「HR-C3」は本体重量2kgに軽量化、従来モデルの「HR-2200」に比べて容積比37%となり大幅な小型軽量化を実現した。カメラの「GZ-S3」も1/2サチコンを使用し1,250gの軽量化を実現していた。さらに、イメージセンシング方式TCLオートフォーカスセンサーを搭載したビデオカメラ「GZ-S5」(238,000円)も1983年に発売した。日本ビクターでは、これらをシステム化したコンパクトビデオシステムに"CITY JACK"と言う愛称を付けて家庭用ビデオカメラとして本格的な普及を目指した。この"CITY JACK" と言う愛称は、一般から公募したものの中から選定したもので約9万人の応募が有ったという。

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日本ビクターの家庭用ビデオカメラ(日本ビクター60年史から)

そして1984年には、VHS-Cカセットを採用した"VHSムービー"「GR-C1」(288,000円)を発売。さらに1985年にはオートフォーカス機能を搭載した「GR-C2」(298,000円)を投入、ビデオカメラ市場で攻勢をかける。また、1986年には1/2インチCCDを採用した超小型軽量の「GR-C7」を発売した。本体重量は1.3kg、バッテリー込みで1.57kgと初めて2kgを切った。当時、世界で1億台以上普及していたVHS方式VTRと互換性を持つVHS-Cカセットを採用した"VHSムービー"のメリットを最大限アピールして行こうと言う戦略だった。

ソニーは8mmビデオカセットで世界標準化を目指す

一方のソニーは、1983年にベータ方式のデッキを内蔵したビデオカメラの1号機"ベータムービー"「BMC-100」を発売している。ベータ方式カセットはVHS方式カセットより小型と言えども、VHS-Cカセットに比べればかなり大きく一体型ビデオカメラの小型軽量化

のためには別のカセットが必要だった。実は、1979年からソニーでは8mm幅のテープを使った、いわゆる8mmビデオカセット開発のためのプロジェクト「80プロジェクト」を水面下で進めていた。そして1980年には8mmビデオカセット、CCDビデオカメラを一体化したビデオムービーの試作機を発表していた。

しかし、実際に商品化しなかったのは、この8mmビデオカセットを国際スタンダードとして普及させようと言う狙いがあったため発売を遅らせていたのだった。そして国際スタンダード化を目指して日欧メーカー5社が共同提案という形を取り、ソニーの他、松下電器(現パナソニック)、日立、日本ビクター、フィリップスによる「5社委員会」が発足した。その後、世界122社が参加する「8ミリビデオ懇談会」を発足させた。

参考資料:日本ビクター60年史、ソニーHP、東芝HP、パナソニックHP、シャープHP、JEITA・HP、社団法人情報処理学会、NEC・HP他