8ミリビデオで巻き返しを狙うソニー

世界統一企画となった8ミリビデオカセットとは、どんなものであったのか。その名前の通りテープ幅が8mmで、VHSやベータマックスの2分の1インチ(12.7mm)と比べて6割程度の幅で、カセットサイズもVHSの188×104×25mm、ベータマックスの156×96×25mmに対してオーディオのコンパクトカセット並と大幅に小型化できた。 テープはメタルテープを採用することで高密度記録が可能となり、標準モードで120分の長時間記録が可能だった。また、フォーマットは、記録方式にヘリカルスキャン方式、2ヘッドを採用、ドラム径は約40mmと小さくビデオカメラの小型化に適していた。さらに、FEヘッド(フライングイレースヘッド)を採用し、撮影時の繋撮りがきれいに行なえた。

この8ミリビデオ規格が生まれた背景には、VHS対ベータマックスの据置型ビデオデッキの戦いにおいて劣勢にあったソニーが、次の戦いの場をより小型で置き場所の取らない、次世代の家庭用ビデオデッキとして8ミリビデオを位置づけていたことがある。従ってビデオカメラ以外に据置型8mmビデオデッキの商品化も視野に入れたものだった。

VHSフルカセットとの互換性を売り物にVHS-Cを市場導入

そして最初に8ミリビデオを発売したのは、やはり規格を提唱したソニーで1985年1月8日、第1号機「CCD-V8」を発表している。

撮像素子は新開発の25万画素CCDを採用し、電動6倍ズームを搭載しながら1.97kgと2kgを切る軽量化を実現していた。しかし、まだ片手で保持できるほど小型軽量ではなく、肩乗せタイプで、さらなる小型化が求められていた。そこで、再生機能や電子ビューファインダーを省くことで小型軽量化し、片手で持つことのできる"ハンディカム"「CCD-M8」を発売した。

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ソニーの8ミリビデオカメラの1号機「CCD-V8」(ソニー歴史資料館)

一方、1982年に日本ビクターや松下電器産業(現パナソニック)などのVHSグループでは、VHSフルカセットとの互換性を持ちながらVHSカセットの約3分の1のサイズのVHS-C規格をまとめ、8ミリビデオに対抗していく。そして日本ビクターでは、VHS-Cを使ったシステム"シティジャック"を1983年に発売、さらに、1984年には一体型のビデオムービー「GR-C1」、1985年には「GR-C2」を相次いで発売した。VHS-Cカセットで、撮影した映像の視聴は、家庭に普及しているVHSビデオデッキでというセールストークで販売。家庭用ビデオデッキで優位性を持っていたVHS規格との互換性を強くアピールした。

8ミリビデオ対VHS-Cカセットの「第2次ビデオ戦争」勃発

その後、8ミリビデオ対VHS-Cカセットによるビデオカメラの小型軽量化、高画質化、長時間録画競争は、一段と激しくなっていった。当時、マスコミでは、8ミリビデオ対VHS-Cカセットの戦いを「第2次ビデオ戦争」などと報道していた。VHS-Cカセットを採用したビデオカメラでは、日本ビクターが1987年に発表した本体重量がわずか750gの「GR-C9」が話題となった。録画専用ムービーで、ポケットカメラ並みの手軽さで"いつでも、どこでも、誰にでも"ワンボタンの簡単操作で撮影でき「第2次ビデオ戦争」にピリオドを打った、と言われるほどのビデオカメラだった。

これに対して、8ミリビデオでは、1989年にソニーが"パスポートサイズ"をキャッチフレーズに790gの小型軽量を実現した「CCD-TR55」を発表した。それまでビデオカメラの用途は子供の運動会や学芸会などの成長記録や結婚式などであったが、パスポートと同じサイズという劇的な小型化によって海外旅行に持っていく人も多くなった。旅行というコンセプトが加わったことで、子供を持たない若者にもビデオカメラの需要が拡大していくことになった。そして、この「CCD-TR55」が8ミリビデオ対VHS-Cカセットの戦い「第2次ビデオ戦争」に決着を付けることになった。

主要なカメラメーカーは8ミリビデオカメラに参入

8ミリビデオカメラが普及していく中で、それまで8ミリフィルムカメラを販売していたカメラメーカーでは将来、「フィルムからビデオテープへ記録メディアが切り替わってしまうのか?」を模索していた。大手カメラメーカーのキヤノンや、ニコン、ミノルタをはじめ富士写真フイルム、ペンタックス、リコーなどのカメラメーカーは、世界標準規格であり小型軽量化しやすい8ミリビデオカメラに参入する方向に結論を出した。また、家電メーカーでも三洋電機、日立製作所、東芝などが8ミリビデオに参入した。

こうした8ミリビデオカメラ優位の中で、1992年にシャープがVHS-Cから8ミリビデオカメラに転向し、液晶モニター付の"液晶ビューカム"「VL-HL1」を発売した。それまで、ファインダーを覗くことでピントや画角を決めていたのを、大きな液晶画面を見るだけで撮影できる手軽さが大人気商品となった。特に、メガネをかけている人や、アイシャドーをしている女性には好評だった。"液晶のシャープ"ならではの発想の転換で、後に、この方式はデジカメや携帯電話へと受け継がれていく。

北米市場ではVHSフルカセットのビデオカメラが売れていた

国内市場では、小型軽量化の追求の結果、8ミリビデオカメラが優位にたって行ったが、もう一つの大きな市場である北米市場では、VHSフルカセット規格のビデオカメラが健闘していた。というのもアメリカ人の体格や好みによるものか、日本ほど小型化に対する要求は強くなかった。むしろレンタルビデオ産業が活発だったためVHSビデオソフトの再生機としても使えるVHSビデオカメラの方が便利だったこともあった。また小型軽量化されたビデオカメラは、大きな手のアメリカ人には操作しにくかったとも言われている。それでも家電量販店で韓国製の安いVHSビデオデッキが売られるようになると、カメラでレンタルソフトの再生を兼ねる必要も無くなった。その結果、需要は8ミリビデオカメラにシフトしていくこととなった。

参考資料:日本ビクター60年史、ソニーHP、東芝HP、パナソニックHP、シャープHP、JEITA・HP、社団法人情報処理学会、NEC・HP他