イーストマン・コダック社が世界初の電子式カメラを開発

"デジカメ"という言葉は、今ではすっかり生活に定着しているが、以前、第15回"サラリーマン川柳"の中で「デジカメの エサはなんだと 孫に聞く」が1位に入選している。こんな川柳が受けるのは、それだけデジタルスチルカメラ(以下デジタルカメラ)の普及テンポが急激だったのだろう。ちなみに"デジカメ"は三洋電機(現パナソニックに統合)の登録商標であったが、業界に開放し広く使用されている。余談になるが"ホームシアター"の登録商標は、富士通ゼネラルが持っていたが、これも業界に開放しており、両社の英断が、業界発展に貢献した事は大いに評価できる。

世界初の電子式カメラは、イーストマン・コダック社が1975年に開発したと言われている。100×100ピクセル、10000ピクセルの極荒い画像ながら、撮影した映像をテレビに映し出すことができた。同社は、その後、様々なデジタルカメラを発売したが、すでにデジタルカメラ市場から撤退しており、日本メーカーとの激しい開発競争、コストダウン競争について行けなかった。

電子式カメラが銀塩フィルムカメラに取って代わるとは考えられなかった

しかし、その頃はまだ歴史の長い銀塩フィルム全盛時代で、電子式カメラが銀塩フィルムカメラに取って代わることなどないと見られていた。と言うのも銀塩フィルムは、発色性や緻密性、感度などにおいて成熟期に入っており、電子式カメラがこれに取って代わるとは、まだカメラメーカーやフィルムメーカーも考えていなかった。したがって、フィルムメーカーとして圧倒的な世界マーケットシェアを持っていたイーストマン・コダック社でもフィルムの改良に全力を上げていた。

デジタルカメラが登場する以前の、銀塩フィルムを使ったカメラは、カメラとしての性能は、完成されたレベルにあった。しかし、最大の欠点は撮影した映像が、きちんと狙い通りに撮れているかをその場で確認できないことだった。撮影したフィルムを現像してみるまで分からなかったので、撮影に慣れていた人でも一抹の不安はあった。また、フィルムはロールフィルムでカメラに装着する時は、カメラの裏蓋を開けて先端を巻き上げ用のスプールに巻き付ける動作が必要だった。これがカメラを使いなれていない人には大変な作業で、フィルムを買った店でカメラに装着してもらう人も少なくなかった。また、いざ撮影となれば、きちんと巻き上げられているか確認することも必要だった。これがうまくゆかず、現像に出したら何も写っていなかったという失敗も少なからずあった。

イーストマン・コダック社では、こうした失敗の無いよう誰でも確実にフィルム交換ができるカートリッジ式のフィルム「インスタマチック」を1963年に開発発表したが、あまり普及しなかった。それなら、と言うわけで同社は1982年に新規格「ディスクフィルム」を発表した。フロッピーディスクのようなケースに入った15枚撮りのディスクで、カメラへの装着性を向上したものだった。しかし、これも賛同するカメラメーカーが少なく、画質的にもロールフィルムに劣っていたことも有ってあまり普及せずに終わっている。

エレクトロニクス技術の進歩がデジタルカメラの未来を拓く

一方、動画撮影用のビデオカメラがアナログ録画方式からデジタル録画方式へと移行して行く中で、静止画撮影用のスチルカメラもエレクトロニクス技術の進歩に伴い、銀塩フィルムからフロッピーディスクや半導体メモリに記録する電子式記録へと進んで行くことになる。1980年代になると、CCDやCMOSなどの撮像素子、フロッピーディスクや半導体メモリなどの記録メディアの記録密度の向上、コストダウンが急速に進んできた。カメラメーカーやフィルムメーカーでは将来、銀塩フィルムから電子メモリに記録媒体が変わって行く可能性が大きくなると予測しはじめた。

電子スチルカメラ「マビカ試作機」をソニーが開発

電子式記録と言っても、アナログ方式とデジタル方式がある。アナログ方式の電子スチルカメラとしては、ソニーが1981年に開発した「マビカ」がある。「マビカ試作機」は、2HDフロッピーディスクが使用され、撮像素子にはCCDが採用されていた。解像度は、640×480ドットで、レンズの交換も可能だった。ソニーは、「マビカ」仕様を公開したので、キヤノン、ニコン、ミノルタ、カシオ計算機、富士フイルム、京セラなどが参入した。そして1984年に開催されたロスアンゼルスオリンピックで、ソニーと朝日新聞が協力し、マビカで撮った写真を8月13日付けの朝日新聞夕刊に掲載した。マラソンで4位となった宗猛のゴールシーンの写真下には「電子カメラマビカ(使用)」と記載され、電子カメラの速報性、将来性を感じさせていた。また、キヤノンのシステムも取材に使われた。

photo

ソニーの「マビカ試作機」

電子スチルカメラの業界統一規格「SV」規格できる

しかし、「マビカ」システムは、高価だったため新聞社などの業務用として使われ、家庭用としては不向きだった。撮影した画像を見るためにはテレビと接続したり、再生装置に接続したりする必要があった。しかし、フィルムと違い、撮影した映像を現場で確認できることからスピードと確実性が要求される報道関係には適していた。そして、電子スチルカメラの業界統一規格として「SV(スチルビデオカメラ)」規格ができた。この「SV」規格の電子スチルカメラとして、初めて一般向けに発売されたのは、1986年にキヤノンが発売した「RC-701」だった。

しかし、カメラは390,000円だったがシステムトータルでは500万円以上といわれ、高価で一般用と言っても報道関係が中心で、一般企業や家庭で使えるようになるには、大幅なコストダウンが必要だった。また、ソニーは1988年に大幅にコストダウンした一般家庭用「マビカ」の1号機「MVC-C1」を発売した。「テレビ時代の電子スチルカメラ」として発売され、オートストロボ、高速連写、セルフタイマーなどの機能を搭載していた。別売のキットを使うと、写真をテレビ画面で再生できるなど、現在の「デジカメ」に通じる楽しみ方の基礎を作った製品と言えるものだった。

一般家庭に普及するには時代背景が整っていなかった

フィルムでなく電子的に記録し、現像しなくてもその場で見ることができると言う点では画期的な「SV」規格電子スチルカメラであったが、静止画にもかかわらず価格が普及段階を迎えていた家庭用ビデオカメラ並みで、しかも画質的にも不満が有ったことから、一般家庭に普及するには至らなかった。また、当時は、一般家庭にあまりパソコンが普及しておらず、アナログ記録のためパソコンに取り込むには、ビデオキャプチャーが必要なことなど時代背景も普及に適していなかった。

参考資料:ソニーHP、 ソニー歴史資料館、東芝HP、パナソニックHP、シャープHP、JEITA・HP、他