デジタルカメラが普及し始めるとともに改良すべき問題が表面化

デジタルカメラが普及し始め、一般のユーザーにも広く使われるようになって来ると、様々な点で改良すべき問題が表面化してきた。なにしろ1996年当時のデジタルカメラは撮像素子の画素数が35万画素程度で、現在の携帯電話内蔵カメラと比べても画質はかなり荒かった。当然、銀塩フィルムによる撮影と比べても大幅に画質は低いレベルだった。また、総画素数に対して、レンズ絞りなどの光学系によるロスがどうしても出てくるため画素を100%撮影に有効に使うことが難しく数%はロスしてしまう。このため、総画素数○○万画素、有効画素数○○万画素という表示がなされた。

1997年あたりから"メガピクセル"時代へ突入

そして1997年以降は、撮像素子の高画素化競争に拍車がかかる。数10万画素から100万画素を超えるいわゆる"メガピクセル"時代へ突入して行った。すでに1997年代に入ると、業務用や高級機では"メガピクセル"デジタルカメラが登場していたが、一般ユーザー向けのコンパクトデジタルカメラとして初めて100万画素を超えたのは、オリンパス光学工業が1998年3月に発売した総画素数131万画素の「CAMEDIA C-840L」だった。オリンパス光学工業の「CAMEDIA」シリーズは、キヤノンの「PowerShot」シリーズやソニーの「CyberShot」シリーズなどとともに時代を先行していたシリーズで、オリンパス光学工業は高画素化競争に力を入れていたメーカーの一つだった。むろん画素数の多さだけで画質が決まるわけではないが、一般ユーザー向けには総画素数○○○万画素という表記は分かりやすく、手っ取り早く高画質をアピールする絶好のスペック表示だった。これは、今日まで続くことになる。

1999年、ソニーが202万画素CCD「CyberShot DSC-F55K」を発売

一方、ソニーは1999年4月に総画素数202万画素CCDの「CyberShot DSC-F55K」を発売した。ソニーのFシリーズは、内蔵のメモリに記録する方式を採用していたが、F55Kで初めて同社が規格提案していたメモリカード「メモリースティック」を採用したモデルだった。そして、1999年9月に、やはり総画素数202万画素CCDを搭載し、巨大な光学5倍ズームのカールツァイス"バリオ・ゾナー"レンズを採用した「CyberShot DSC-F505K」を発売。回転レンズで"撮るにこだわった"モデルだった。

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巨大なバリオ・ゾナーレンズを採用した「CyberShot DSC-F505K」

キヤノンが1996年に「PowerShot 600」でデジタルカメラ市場参入

キヤノンは、1996年7月に「PowerShot 600」でデジタルカメラ市場に参入した。総画素数57万画素のコンパクトデジタルカメラだった。普及型のデジタルカメラとして57万画素とクラス最高の解像度と最高約5,500枚撮影可能ながら価格は12万8,000円だった。メモリは本体内に1MBを装備していたが、PCMCIA TYPE2/3に対応、PCカードを選択して最大約5,500枚の撮影が可能だった。

画像はJPEGでノートパソコンなどにセットすればそのまま読み出すことができた。本体寸法はW159.5×H58.8×D92.5mm、重量は約400g(本体)で、ファインダーは光学式を採用していた。そして、1998年には、総画素数168万画素の「PowerShot Pro70」、価格15万円を発売した。2.5倍ズームレンズを搭載した高級機だが、どこか一眼レフ的なイメージのデザインだった。ファインダーは光学式と液晶を併用。外形寸法は、W145×H85×D132mm、重量約650g(本体)と大きく重いのが難だった。

富士フイルムが1.3Mピクセル「FinePix 700」を発売

富士フイルムは、業務用としては1996年に1.3Mピクセルの撮像素子を採用した「フジックスDS-505A」89万円を発売していたが、カシオ計算機の「QV-10」対抗機としては「クリップイット」シリーズを1996年に発売し、その後、「FinePix」シリーズへと発展して行くことになる。そして1998年2月に、「FinePix」シリーズ初の「FinePix 700」を発売した。1.3Mピクセルの撮像素子を搭載しながら10万円を切っており、記録にはスマートメディアを採用していた。また、デザイン面でも優れており、同社のマーケットシェアアップに結び付くモデルだった。

家電メーカーとカメラメーカーのバトル繰り広げられる

この他、松下電器(現パナソニック)や三洋電機などの家電メーカーもデジタルカメラ事業には力を入れていた。銀塩フィルムカメラと違い、レンズなど工学系のほか、撮像素子や映像処理回路など電子部品もデジタルカメラの開発には欠かせない大きな要素だけに従来からのカメラメーカーと家電メーカーが市場に参入してバトルを繰り広げて行った。しかし、その一方で家電メーカーとカメラメーカー間でOEM供給など協力関係もあり単純な市場構造でない面も有った。家電メーカーの場合は、映像処理回路や撮像素子の技術では強みがあるものの、レンズなど光学系技術では、やはりカメラメーカー、レンズメーカーが強かった。

家電メーカーと光学専門メーカーの提携関係も

当時、デジタルカメラの新製品を開発するには、企画・設計段階からレンズ部分の開発には6カ月ほど必要だった。このため家電メーカーとしても、激しい新製品開発テンポに追いついていくためには光学メーカーとの協力関係が必要だった。こうした事情から松下電器(現パナソニック)はライカ社と、ソニーはカールツァイス社と提携した。この提携関係は、光学専門メーカーのブランド力を生かして高画質、高級イメージをもたらすなど相乗効果も大きかった。しかし、単なるレンズOEM供給だけでなくライセンス生産のケースも有り、松下電器(現パナソニック)やソニーも非球形レンズなど工学系技術も高い水準を持っていた。

参考資料:キヤノンHP、エプソンHP、富士フイルムHP、カシオ計算機HP、ソニーHP、ソニー歴史資料館、東芝HP、パナソニックHP、シャープHP、JEITA・HP、他