エレクトロニクス立国の源流を探る
No.80 日本のエレクトロニクスを支えた技術「ビデオカメラ&デジカメ」第11回
デジタル一眼レフカメラが登場
1990年代の中頃から後半になると、撮像素子(イメージセンサー)の高画素化と量産による低価格化によってデジタルカメラの性能は飛躍的に向上した。ニコンやキヤノンなどカメラ専門メーカーはプロ用、ハイアマチュア用のカメラにおいてもデジタル一眼レフカメラを発売し始めた。1995年はカシオ計算機が「QV-10」の発売でデジタルカメラ普及の歴史に新たな1ページを記録した年であるが、その一方で、プロ用カメラにおいても大きな変革の年であった。キヤノンやニコンがデジタル一眼レフカメラを発売したのだ。しかし、初めの頃は、フィルムメーカーでありデジタルカメラの開発で先行したコダックや、同じくフィルムメーカーの富士写真フイルムがキヤノンやニコンにデジタル技術で支援する形を取っていた。
キヤノンは、1995年7月にキヤノンEFレンズマウント交換レンズが使える総画素数130万画素のデジタル一眼レフカメラ「EOS-DCS3」(本体価格198万円)を発売した。ただし、ベースは同社のフィルム一眼レフカメラ「EOS-1N」で、デジタル部はコダックから供給を受けていた。さらに、ニコンも富士写真フイルム協力を得て、同年9月にプロ用デジタル一眼レフカメラ「E2」(価格110万円)と「E2s」(価格140万円)を発売している。また、同年10月にはミノルタが175万画素のイメージセンサーとαマウントを採用したデジタル一眼レフカメラ「RD-175」(価格68万円)を発売した。やがて、デジタル一眼レフカメラはプロ用のカメラとして、その存在が徐々に認められるようになって行った。
一発勝負のプロカメラマンに評価高まる
とは言っても、イメージセンサーの総画素数が百数十万画素であり、現在のコンパクトデジタルカメラや携帯電話内蔵カメラにもはるかに及ばないもので、当時、成熟期にあった銀塩フィルム式カメラの画質には追い付いていなかった。また、撮影に使用するバッテリーの寿命も短く、電子回路が消費する電力を少なくしたり、液晶表示部の消費電力を少なくしたりする省電力化が課題となっていた。この二つの課題を解決し、高画質化と省電力化が実現できればデジタルカメラの普及に拍車がかかると予想する人は多かった。
それは、何と言ってもデジタルカメラが持つ銀塩フィルム式カメラでは実現不可能な現像不要の即時性と、何度でも撮り直しが利く経済性において優れていたからだった。特に、失敗の許されない一発勝負のプロカメラマンにとって、撮影後、即画像を確認ができるデジタル一眼レフカメラは強力な味方となっていった。そして、一般ユーザーにとっても、何度でも繰り返し撮影が可能で、良い写真だけを選んで保存出来るデジタルカメラは魅力だった。しかし、カメラメーカーはデジタル一眼レフカメラに関しては、まだ本格的な開発体制になかった。
本格的なデジタル一眼レフカメラ時代が到来したのは、1999年になって、ニコンが当時のデジタル一眼レフカメラの常識を破る思い切った低価格の「D1」を発売してからだった。この「D1」がデジタル一眼レフカメラ普及における起爆剤となったのである。当時、業務用デジタル一眼レフカメラの価格が190万円から300万円もしていたのを、一気に普及価格の65万円を実現し、プロカメラマンだけでなくハイアマチュアでも手を出せるレベルにコストダウンできたからだ。イメージセンサーには、総画素数274万画素、有効画素数266万画素のCCDを採用していた。それほど高画素数でないものの、面積は23.7×15.6mmと大型だったことから、画質、感度、ダイナミックレンジとも撮影者の意思を反映できるレベルに達しており人気を呼んだ。
デジタル一眼レフカメラ普及の起爆剤となったニコン「D1」
「コンパクトデジタルカメラ」と「デジタル一眼レフカメラ」に2極化
デジタルカメラは、普及途上にあったパソコンとの親和性、動画への発展性、さらには、インターネットなど通信との融合と、将来、多方面への利用、応用が可能な点は銀塩フィルム式カメラには無い大きな優位性となっていた。しかし、実際にデジタルカメラが銀塩フィルム式カメラを販売台数で逆転したのは、ずっと後の2005年ころで、カシオ計算機の「QV-10」発売から、約10年の時を要することになる。それは、高画素化、小型軽量化、低価格化、低消費電力化などの技術開発において、それだけの時間が必要だったのである。そして、デジタルカメラ市場は、「コンパクトデジタルカメラ」と「デジタル一眼レフカメラ」に2極化して行くことになる。また、デジタル一眼レフカメラは、メーカーによって交換レンズのマウントが異なるためレンズの互換性がなく、レンズマウントアダプターを経由して使えるものも開発された。
銀塩フィルム式カメラにおいても様々な試行錯誤が
一方、銀塩フィルム式カメラにおいても手をこまねいていたわけではない。何とかデジタルカメラ普及に対抗していこうという動きも見られた。そして、より簡単な操作が可能なカメラを目指して開発されたのが「APS(アドバンストフォトシステム)」で、1996年に発売された。富士写真フイルムやキヤノン、コダック、ニコンなど数社が共同で開発したもので、従来の35mmフィルムと比べてカートリッジサイズが小型で、カメラの小型化が可能なのが特徴だった。また、密閉式カートリッジを採用し、フィルムに触ること無くカメラに装填でき、フィルム交換ミスによる失敗が無いことが売りだった。
さらに、カートリッジには、「新品」、「途中まで撮影済み」、「全て撮影済み」、「現像済み」などのフィルムの状態がアイコンで表示され、外見から分かる仕組みとなっていた。ただ、露光面積が16.7×30.2mm、9対16の横長で、従来の35mmサイズフィルム(2対3)と異なり、面積は小さかった。面積が小さいということは、画質が劣るということになりコンパクトカメラでは普及したが一眼レフカメラには普及しなかった。このほか、現像料金が従来フィルムに比べて割高だったことや、現像されたフィルムがカートリッジに入ったまま返却されることも普及を妨げ、デジタルカメラの普及とともに市場から消滅していった。
「レンズ付きフィルム」が低価格、簡便性で人気呼ぶ
この他、「使い捨てカメラ」、「レンズ付きフィルム」などと呼ばれるものも登場した。富士写真フイルムは1986年に"写ルンです"を発売してヒット商品となった。その後、コニカ、コダックを始め数社が参入し、カメラの一つのジャンルとなって行った。それとともに、フラッシュ付きのカメラや、望遠・広角対応、防水対応、高感度フィルム採用などに進化、バラエティ化が進んで行った。そして1990年代には、かなり広く普及した。一般的に「使い捨てカメラ」と呼ばれることが多かったが、「カメラ本体を捨ててしまうのは資源保護からも反社会的だ」との声も有って、メーカーでは「レンズ付きフィルム」と呼ぶようになった。
また、メーカーでは回収したカメラの再利用を推進したり、分解し再資源化したりするようになって行った。また、フラッシュ用のアルカリ乾電池のリサイクルも推進された。しかし、それでも「レンズ付きフィルム」は、低価格のデジタルカメラやカメラ内蔵携帯電話の普及とともに市場から消えつつある。ただ、安くて手軽といった最大の特徴は捨てがたいものが有り、駅の売店や観光地の土産屋で、カメラを忘れてきた人や、急に何かを撮影してみたくなった、という人のために販売されている。
参考資料:キヤノンHP、ニコンHP、エプソンHP、富士フイルムHP、カシオ計算機HP、ソニーHP、ソニー歴史資料館、東芝HP、パナソニックHP、シャープHP、JEITA・HP、他