「オートフォーカス(AF)」技術開発の取り組み

フィルムカメラにしろ、デジタルカメラにしろ、欠かせない技術の一つとして被写体にピントを正確に合わせる「オートフォーカス(AF)」技術がある。下手な写真の代名詞となっているのが"ピンボケ"写真であり、マニュアル操作で被写体にピントを素早く合わせるのは難しい。今でこそ、進化したAF機能が正確にピントを合わせてくれ、誰でもカメラを構えてシャッターを押すだけでピントの合ったきれいな写真を撮影できるようになった。AF技術開発に関しては、今日のデジタルカメラ市場にも大きな影響を与えているので、AF開発の歴史を振り返ってみたい。

自動化では自動露出「Automatic Exposure(AE)」が先行

カメラの進化の歴史を振り返ると、如何に人間の目に近づけるかであり、さらに、「人間の目では見えないような暗いところでも写すことができる」「人間の目に留まらないほどの速い動きの被写体でも撮影できる」など、人間の目を超える性能を目指して進化してきた。フィルムがモノクロからカラーへ、そして高感度化、微粒子化へと進化するとともに、カメラも自動露出「Automatic Exposure(AE)」、自動ピント合わせ「Auto Focus(AF)」の技術開発が行われてきた。

まず自動化では、AE技術開発が先行した。と言うのも光の量を測る露出計が先に開発されており、実用化されていたからだ。後は、この露出計を小さなカメラの中に如何に取り込むかであった。各カメラメーカーがAE技術の開発、試作を行っていた。そして、実用的なAEカメラとして、世界で始めて発売したのはオリンパスで、1960年(昭和35年)に"オリンパスオートアイ"を発売した。同社では、EE(Electric Eye)と呼んでいた。"オリンパスオートアイ"にはAEの他、簡易フラッシュマチック機能や、絞り値をファインダーに表示する機能も備えていた。

AEには3方式があり、それぞれに良さが

AEには、「シャッター優先方式」「絞り優先方式」「プログラムAE」などの方式があり、それぞれ優れた面がある。「シャッター優先方式」は、シャッターを一定値に設定し、絞りを適正な絞り値に自動設定するもの。スポーツや自動車、飛行機、野鳥などを速いシャッタースピードで撮影するのに適している。逆に遅いシャッタースピードにすれば滝の流れや、自動車の動きなどの動感表現が可能になる。これに対して、「絞り優先方式」方式では、絞りの設定値を基準にシャッタースピードを自動的に変えるもので、ポートレート撮影のような絞りを開けて被写界深度を浅くして人物にピントを合わせ、背景をぼかして撮影したい時などに便利だ。逆に、絞りを絞れば被写界深度を深くできるので、画面全体にピントを合わせた撮影が可能となる。

一方、「プログラムAE」は、シャッタースピード、絞り、それぞれをプログラムに応じて適正値にセットできるので、撮影シーンに応じた選択が可能となる。どちらかと言えば、技術的にはシャッタースピードを露出計に連動させて動かすのは難しく、シャッタースピードを固定しておき、絞り値を制御して適正露出を得る方が簡単である。と言うわけで世界初のAEカメラ"オリンパスオートアイ"もこの方式を採用している。

技術的には非常にハードルが高かったAF

AEカメラが実用化されると、その次は当然、自動でピントを合わせるオートフォーカス(AF)カメラとなる。ピントを合わせるには、レンズかフィルムを動かして焦点を適正な位置に調節しなければならない。カメラでは一般にフィルムの方は固定されているので、レンズを動かす必要がある。人間の目では無意識の内に簡単にやってのけることが、メカニカルなカメラでは非常に難しいことだった。「ピントが合っているかどうかを如何に判断するのか」、「レンズを素早く動かすにはどうすればよいのか」、技術的には非常にハードルが高い。

それでも、夢のカメラを目指して各カメラメーカーでは、AFカメラの研究が行われていた。キヤノンは1963年に開催されたカメラショー「フォトキナ」に試作品を出品している。当時はエレクトロニクス技術がまだ発展しておらず、試作AFカメラは実用化には、程遠い大きさだった。その後、1972年に開催された米国シカゴでのカメラショーにコニカが試作AFカメラを出品している。レンズだけでも2kgもあり、これも商品化に程遠いものだった。このほか、ニコンも試作一眼レフAFカメラを開発していた。

世界初の市販AFカメラはコニカ「C35AF」"ジャスピンコニカ"

世界で始めて市販されたAFカメラは、1977年11月に発売されたコニカの「C35AF」愛称"ジャスピンコニカ"だった。シカゴのカメラショーに試作機を出品してから5年後のことになる。小さなコンパクトカメラにAF機能を搭載できた背景には、米国の制御関連メーカーのハネウェルが開発したIC化された距離検出装置を採用したことがある。実は、コニカでもAFカメラ開発に向けてプロジェクトチームを組んで試作を繰り返していたが、弁当箱2つ分もあるAF装置をコンパクトカメラに内蔵させることに悪戦苦闘の毎日だった。

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"ジャスピンコニカ"「C35AF」

ハネウェルのIC化された距離検出装置を使ったとしても、測定した距離にピントが合うように、如何にしてレンズを動かせば小さなカメラに内蔵できるのかが難題だった。サーボモーターを使ってレンズを動かすのでは装置が大きくなってしまうし、モーターの電源も必要になる。技術陣は試行錯誤の連続となったが、幸い同社には、1968年発売のコンパクトカメラ"じゃーにーコニカ"「CF35」や、1975年に発売しヒット商品となっていた"ピッカリコニカ"「C35EF」で培った詰め込み技術があった。"ピッカリコニカ"は、ストロボである"エレクトロニックフラッシュ"を内蔵したプログラムAEモデルで、フラッシュによる感電を防止するためにプラスチックボディを採用していた。

サーボモーターを使わずにスプリングの力でレンズを動かす

"ジャスピンコニカ"「C35AF」には、世界初のAFを可能とした常識破りの発想があった。それは、それまで常識だったサーボモーターを使わずに、「レバーでフィルムを巻き上げる時に、ついでにレンズを動かすスプリングも引っ張らせる」と言うことだった。開発チームの中に、電気屋では発想できない機械屋ならでは発想を持った技術屋がいたのである。レンズを動かすのは2mmほどにすぎないのでバネの力で十分であり、角砂糖大のハネウェルのIC化された距離検出装置と組み合わせることで、コンパクトカメラにAF機能を搭載することができた。

1977年に発売された世界初のAFカメラ"ジャスピンコニカ"「C35AF」は、発売とともに大きな反響を呼び大ヒット商品となった。これに刺激され、1978年に「ヤシカAF」、「フラッシュフジカAF」が発売され、1979に「ミノルタハイマチックAF」、「キヤノンオートボーイAF35M」が続いた。その後も、1981年に「オリンパスC-AF」が、1982年に「ペンタックスCP35AF」が、1983年にはニコンが「ピカイチL35AF」を発売している。

ハネウェルの特許訴訟が日本のカメラ業界に激震

コニカでは、"ジャスピンコニカ"「C35AF」の商品化までに、ハネウェルのIC化された距離検出装置の特許を使用するのに契約料5万ドルを支払っている。ハネウェルは、NASAの宇宙開発プロジェクトに参加していたが、宇宙船制御関連の技術として位相差によりピントを検出する距離検出装置を開発、宇宙船に積み込めるようにIC化することに成功していた。1973年に特許申請し、1975年に特許が確立している。実は、この特許をめぐり日本のカメラメーカーと訴訟問題に発展し、日本のカメラ業界をゆるがす事態となって行く。

参考資料:「匠の時代」(内橋克人著・講談社文庫)、コニカミノルタホールディングスHP、キヤノンHP、ニコンHP、富士フイルムHP、カシオ計算機HP、ソニーHP、ソニー歴史資料館、JEITA・HP、他