米ハネウェルとの特許訴訟がその後のデジタルカメラ時代まで影響

「α-7000」でAF一眼レフカメラのトップメーカーとなったミノルタだが、皮肉にもこれが同社のカメラ事業から撤退する要因の一つとなった。そして、その後のデジタルカメラ時代まで影響を及ぼすことになる。それは、1987年4月に起こった米ハネウェルがミノルタに対して起こした「α-7000」の自動焦点機構が米ハネウェルの特許を侵害しているとの訴訟だった。実は、ミノルタは米ハネウェルと技術開示契約を結んでAF技術を導入していた。しかし、技術移転に関する契約違反があり、4件の特許を侵害していると言う訴えだった。特許制度は、世界各国によって異なり、また時代によって制度も移り変わって行くものだが、日本と米国では特許制度に違いがあった。

特許制度の目的は、発明された社会に有益な技術を公開し、世の中に役立てると同時に、同様な技術開発にエネルギーを注ぐムダを避けることにある。そのために、発明者には一定期間独占実施の権利を与え他者が真似をできないような権利を与えている。そして、一定期間が経過すれば、占有実施権利が消滅し、その後は誰でもその技術を使用できるようにしている。さらに、一定期間独占実施の権利を他者に売ることもできる。しかし、古い特許制度では、特許が登録されるまで内容が公開されないという問題が有った。また、特許の有効期間は登録日から起算された。1995年以前に米国に出願された発明や、1971年以前に日本に出願された発明については、特許が成立してその内容が公開されるまで、他者が自分の発明と同じような技術が先に出願されているかを調べることができなかった。

敗訴の結果、ミノルタは米ハネウェルに約165億円を支払う

この特許制度では、故意に補正・継続出願等の手続きを繰り返して、発明した技術を秘匿しつつ特許の成立を遅らせ、長い期間にわたり権利を保持して利益を得ようとすれば可能となる。そして、その技術が普及して幅広く使われるようになった時点で、特許成立の引き伸ばしをやめて、実はすでに先に特許申請していたとして、膨大な特許使用料の支払いを求めて訴訟を起こす例が出てくる。これが、いわゆるサブマリン特許であり、故意に成立時期を遅らせることにより利益を得ようというもの。

米ハネウェルとの特許訴訟もサブマリン特許であり、米国ニュージャージー州連邦地方裁判所でミノルタの特許侵害とされ9.635万ドルの賠償が命じられた。しかし、両社は和解に応じ、利子も含めて1億2.750万ドル、当時の為替レートで約165億円をミノルタが支払った。ミノルタは、「α-7000」の国内市場での大ヒットや、米国でも「マクサーム7000」としてヒットし大きな利益を得ていたが、それでも約165億円の膨大な支払いは負担が大きすぎた。また、米ハネウェルは、ミノルタ以外のAFカメラを生産している日本メーカーにも訴訟を起こした。その結果、ニコンから約57億円、オリンパスから約42億円、ペンタックスから約25億円を支払うことになった。しかし、キヤノンは約70億円を支払うことになったが、同社の持つ特許とクロスライセンス契約を結び帳消しとなった。

カメラ事業をソニーに売却しカメラ事業から完全に撤退

結局、ミノルタは約165億円の支払いが負担となったことに加え、・ニコン、キヤノンなどが「α-7000」をターゲットに技術をレベルアップさせ競争力を高めAF一眼レフカメラでマーケットシェアを挽回していったため、ますます経営が悪化した。その影響もあってデジタルカメラの開発では他社に遅れをとる要因となった。そして2003年に同じカメラメーカーのコニカと合併し、コニカミノルタホールディングスを設立した。デジタルカメラが台頭してからは、CCDイメージセンサーを動かすことで手ぶれを補正する「アンチシェイク」など独自の技術を開発し、デジタルカメラ市場で巻き返しを図ったが成功しなかった。2005年には、ソニーとコニカミノルタとでαマウントを採用したデジタル一眼レフを共同開発するとの発表を行なった。その後も業績の悪化が続き、2006年3月にフィルムやカメラになど写真関連分野から撤退し、デジタル一眼レフカメラ事業についてはソニーに売却し、カメラ事業から完全に撤退した。

2006年6月にソニー「α」の第一弾となる「α100」を発売

そして、ソニーにカメラ開発に必要な技術、国内外の工場を提供し、約200人のカメラ技術者もソニーへ引き継がれた。ソニーは撮像素子や画像処理エンジンの開発・生産で高度な技術を持っており、コニカミノルタの光学技術との融合は大きなメリットがあった。「α」ブランドを受け継いだソニーは、2006年6月にソニー「α」の第一弾となる「α100」を発売した。イメージセンサーは1020万画素のAPS-CサイズスーパーHADを搭載し、技術的にはコニカミノルタの技術が受け継がれていた。また、コニカミノルタが開発したCCDシフト方式の手ぶれ補正機構をボディに内蔵し、すべてのレンズで手ぶれ補正機構が使用可能なレンズ資産を引き継いでいた。

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ソニー「α」の第一弾となる「α100」

エレクトロニクスメーカーと光学機器メーカーの技術がうまく融合

さらに、翌2007年11月にはソニー「α700」を発売した。APS-Cサイズ、1224万画素CMOSセンサー「Exmor」を搭載したハイアマチュア機だった。ノイズ軽減、高精度・高速オートフォーカス機能を搭載するとともに、CMOSシフト方式の手ぶれ補正機構、アンチダスト機能を採用し、従来の「αレンズ」との互換性もあり、デジタル一眼レフカメラとしては初の16:9サイズでの撮影が可能だった。HDMI端子を搭載し、同社の液晶テレビ「BRAVIA」と接続して映像を映し出すこともできた。また、ちょっと凝った機能として、ソニーのオーディオ事業部が開発したシャッター音が出せるようになっておりユーザーには好評だった。まさに、エレクトロニクスメーカーと光学機器メーカーの技術がうまく融合した好例と言えよう。

参考資料:「匠の時代」(内橋克人著講談社文庫)、コニカミノルタホールディングスHP、キヤノンHP、ニコンHP、エプソンHP、富士フイルムHP、カシオ計算機HP、ソニーHP、ソニー歴史資料館、東芝HP、パナソニックHP、シャープHP、JEITA・HP、他