人間の持つ自然な音への要求が立体音響へ

1887年にエジソンのフォノグラフ発明から始まったオーディオの歴史は、常に原音に近づけるための技術開発の歴史でもあった。記録方式が円筒式から円盤式に変わって行くとともに、録音方式もアコースティック録音から電気式録音へと進歩して行った。また、それと同時にコンサートホールで聞いている様な臨場感を得たいという要求も強かった。人間は二つの目と耳を持っており、左右の耳から入ってくる音は、前方ばかりでなく左右、後ろからの音も聴いている。つまり360度からの音を聴くことで臨場感を得ている。

これを実現するための立体音響の追求がステレオフォニックで、一般的に言われている左右のスピーカーから2チャンネルの音声を別々に再生する方式である。また、映画やテレビなどの映像も、モノクロからカラー映像に、そして立体映像(3D映像)へと、人間の目で見たままの自然な感覚を追い求めている。こうした有りのままの音や映像を得たいと言う人類の夢はエレクトロニクス技術の進歩によって可能となってきた。その後もマルチチャンネル化に一層拍車がかかり、3チャンネル、4チャンネル、5.1チャンネルなどが開発され今日に至っている。

意外に早かった立体音響への取り組み

立体音響への取り組みは意外に早く、1881年にアデールがパリのオペラ座で5組のペアーマイクを立て、数km離れた電気博覧会場に電話回線で送り80組の受話器で聴かせる生中継だった。この時、会場で聴いた人々は、その臨場感に大変驚いたという。これは、音響工学的にはバイノーラルと呼ばれるが、広義でステレオと言えるものだった。それはまたステレオの将来を予感される出来事だったようで、1930年代に入るとステレオ録音、再生の時代を迎えることになる。

LP、EPレコードの開発がステレオレコード実用化へ

一方、ステレオ録音も早くから研究されており様々なステレオ録音方式が発表されていた。1931年に英EMIの録音技術者だったブルムラインがレコードの1本の溝を垂直と水平に変調する「V/L方式」と、変調方向を45度回転して左右の信号を溝の右と左の壁に記録する「45/45方式」の両方式を特許申請している。しかし、当時のレコードはシュラック盤であり、雑音が多く実用化には至らなかった。そして、「45/45方式」最初のステレオレコードが発売されたのは1958年で、米国のオーディオフィデリティーがジャズや蒸気機関車の通過する音などを収録したものだった。1931年の発明から30年近く経って、ようやくステレオレコードが実用化されたが、やはり音質の良いLPレコードやEPレコードが開発されたことが最大の要因だった。

「45/45方式」以外にも1つの記録媒体に複数の音を記録する試みは早くからあった。エジソンも1878年に1本のロウ管に複数の音を録音する方法を特許申請している。また、エマーソンは1925年に1本の溝に縦方向と横方向に別々の音を記録する方法で特許を取得している。しかし、これらはどちらかと言えばステレオ録音と言うより、記録する容量を増やすのが目的と言える。ステレオレコードの商品化では、「45/45方式」より6年早い1952年にクックが初のステレオレコードを発表している。これは、レコードの外周と内周に左右の音を記録して置き、2個のピックアップで同時に再生をスタートするものだった。当然、収録時間は半分になり、2個のピックアップで同時に音溝に置くという難しさがあるため、広く普及することは無かった。

RIAAが「45/45方式」をステレオ録音レコード方式として規格統一

また、1938年にはベル研究所のケラーも「V/L方式」と「45/45方式」ステレオ録音の特許を取得しており、ブルムラインの方式とは異なっていた。異なったステレオレコードが世に出るとユーザーや機器メーカーが苦労することになる。以前、録音時の異なる周波数特性に、いちいち合わせて再生しなければならなかったことや、回転数の違うレコードが世に出たためプレーヤーが3つの回転数に対応しなければならなかったことの反省があった。アメリカレコード協会は、録音・再生の周波数特性をRIAAカーブとして規格を統一し、異なる周波数特性を標準化した。1958年3月にアメリカレコード協会では、再び方式戦争とならないように「45/45方式」を標準ステレオ録音レコード方式として規格統一した。

1958年にオーディオフィデリティーが発売した「45/45方式」ステレオレコードは、規格統一を待たずに発売したものだった。規格統一されてから、日本で同方式のステレオレコードが発売されるは早かった。日本ビクターが1958年8月に発売し、日本コロムビアも同年9月に発売した。初期の頃はステレオカートリッジの性能が悪く普及には時間がかかったが、ステレオカートリッジの性能が向上するとともに、ステレオレコードもクラッシックから歌謡曲までジャンルが広がりステレオ全盛時代へと進んで行った。

ステレオが再生装置そのものを指す言葉になる

また、ステレオレコードの普及は、再生側のスピーカーやアンプなどオーディオ機器のステレオ化、高音質化を促すこととなる。やがて、ステレオと言う言葉が再生装置そのものを指す言葉となり、一家に一台ステレオがあることがステータスとなっていった。また、若者達の間でステレオを趣味とすることが流行となった。1952年には「第1回全日本オーディオ・フェア」開催されているが、1958年開催の「第5回全日本オーディオ・フェア」では5万人収容の国立競技場で開口4mのホーンスピーカーでステレオを鳴らすなど盛り上がりを見せた。

参考資料:JAS journal(日本オーディオ協会編)、日本レコード協会HP、日本ビクターの60年史、SOUND CREATOR PIONEER、ソニーHP、ソニー歴史資料館、パナソニックHP、JEITA・HP、東芝HP、東芝科学館、キングレコードHP、テイチクエンタテイメントHP、ほか