エレクトロニクス立国の源流を探る
No.119 電蓄からデジタルオーディオまで 第21回
CD(コンパクト・ディスク)登場でデジタルオーディオ時代の幕開け
1970年代に入るとオーディオは、1960年代のアンサンブルステレオ、セパレートステレオからシステムコンポやミニコンポへと移って行った。さらに1980年代に入るとCD(コンパクト・ディスク)が登場し、デジタルオーディオ時代の幕が開けた。世界で始めてCDプレーヤーを発売したのはソニーで、1982年(昭和57年)10月に「CDP-101」を発売している。同年、ソニーに続いて、日本コロムビア、オンキョー、日本マランツ、日立製作所、松下電器産業、東芝、三菱電機、三洋電機などオーディオメーカーや総合家電メーカーが相次いでCDプレーヤーを発売した。
意外に早かったデジタル技術による情報伝達
実は、デジタル技術で情報を伝えると言う考え方はかなり古くからあった。1838年のモールス符号に始まり、1937年にはフランスのA.H.ReevesがPCM(Pulse Code Modulation)を発明している。しかし、当時はアナログ全盛の時代であり、さほど注目されなかったし、実用化する技術も無かった。真空管やリレーでは不可能でトランジスターやICの発明を待つしかなかった。1948年に 米国のベル研究所にいたWilliam B Shockleyがトランジスターを発明し、その後、IC(Integrated Circuit)が、さらにはインテル社がCPU(マイクロプロセッサー)を開発したことでデジタル技術は急速に実用化していった。
NHK技術研究所でデジタルオーディオの研究進む
我が国でも、デジタルオーディオの研究はNHK技術研究所などで行われており1969年(昭和44年)のNHK技術研究所一般公開において世界に先駆けてデジタル技術によるステレオの再生実験が行われている。NHK交響楽団が演奏したリムスキー・コルサフの歌劇「金鶏」が再生され、会場に集まった人々はノイズの少なさに驚いたと言う。しかし、NHKでは、その後デジタルオーディオの研究には力を入れなかったため実用化はもっと先のことになる。やがて、研究部長だった中島平太郎氏をはじめ研究員は、電機メーカーや大学教授へと転出して行った。
ソニーが1977年にPCMプロセッサー「PCM-1」を商品化
ソニーに転出した中島氏は、デジタルオーディオ開発プロジェクトのリーダーとなり、大勢の技術者をまとめ実用化に全力を傾けた。そして、磁気テープを使った実験に成功、家庭用のビデオデッキと組み合わせたデジタル録音機を世界に先駆け開発した。1977年にPCMプロセッサー「PCM-1」として商品化した。また、他の電機メーカーでもデジタルオーディオの技術開発が行われており、EIAJでは、業界標準規格を制定し混乱の起らないようする必要に迫られた。そこで、標本化周波数44.1kHz、量子化14Bitを統一規格と決めた。この標準規格が制定されたことによって各社からPCMプロセッサーが発売され、デジタル録音機が普及する基礎が出来てきた。
ビデオディスクをデジタルオーディオに応用する動き出る
また、この頃登場してきた映像メディアであるビデオディスクをデジタルオーディオに応用しようという動きがあった。テープでは操作性が悪く、ビデオディスクを使えば曲の頭出しなど操作性は格段に良くなる。開発されていたビデオディスクは直径30㎝、厚さ1.2㎜のアクリル板2枚を貼り合わせたもので、映像はアナログで約30分間記録できた。このディスクに音声をデジタル信号とし、ビデオ信号に載せる方式が研究された。しかし、アイデアとしては優れていたのだが、まだ光ディスクのデジタル信号読み取り技術は低かったためノイズが出て実用化までは至らなかった。
ノイズ発生の原因は、デジタル信号の読み取り精度が悪くエラーが出てノイズとなってしまうことだった。ビデオテープではうまくいっていたのにビデオディスクではノイズが出てしまうのは、デジタル信号の読み取り精度に2桁もの差が有ったためだった。ノイズ発生を解消するには、光ディスクのデジタル信号読み取り精度を向上するしかない。しかし、当時の技術ではハードルが高すぎて不可能だった。悩んだすえにひらめいたのは「誤り訂正方式」だった。光ディスクのデジタル信号読み取り精度が低いなら、強力な誤り訂正をすれば良いという考えだ。しかし、ソニーの技術者の中に数学的な「誤り訂正方式」を理解している人は無く、手探り状態の中で研究が始まった。
コンピューターによるシミュレーションを始め、技術者たちの必死の研究が続く中で、ついに「クロス・インターリーブ方式」を完成させた。これで実用化のめどがついた。さらに、ビデオ信号に載せるのではなく、デジタル信号のみをダイレクトにディスクに記録することで片面に約11時間録音した長時間のデジタル・オーディオディスクが可能になることも分かった。
DAD(デジタル・オーディオディスク)懇談会が発足、規格標準化目指す
この頃、ソニー以外にも様々なメーカーでデジタル・オーディオディスクの開発が進められており、様々な規格の違う商品が市場に出る前に、規格の標準化をしておく必要に迫られた。そこで1978年(昭和53年)に国内24社と海外5社による、DAD(デジタル・オーディオディスク)懇談会が発足し、3つの規格案が提出された。日本ビクターが提案したAHD(オーディオ・ハイ・デンシティー)方式、テレフォンケンのMD(ミニ・ディスク&マイクロ・ディスク)方式、ソニーとフィリップスが提案したCD(コンパクト・ディスク)方式だった。
方式 | 提案社 | 特徴 |
---|---|---|
AHD方式(オーディオ・ハイ・デンシティー) | 日本ビクター | 静電式:ピックアップとディスクが接触 |
MD方式(ミニ・ディスク&マイクロ・ディスク) | テレフォンケン | 機械式:ピックアップとディスクが接触(現在のMDとは別物) |
CD方式(コンパクト・ディスク) | ソニー/フィリップス | 光学式:ピックアップとディスクは否接触 |
表:DAD懇談会に提案された3つのDAD規格案
参考資料:JAS journal(日本オーディオ協会編)、日本ビクターの60年史、SOUND CREATOR PIONEER、「CDのすべて」(電波新聞社)、ソニーHP、ソニー歴史資料館、パナソニックHP、JEITA・HP、東芝HP、東芝科学館、ほか