エレクトロニクス立国の源流を探る
No.17 小さな町工場を世界のSONYに育て上げた井深大さん(第6回)
[次なるチャレンジはトランジスタテレビ]
世界初とはいかなかったが日本初のトランジスタラジオ「TR−55」を発売することができた井深さんが、次に狙ったのがトランジスタテレビだった。トランジスタをラジオに使うことによってポータブル化が可能となり、何処にでももって行けるようになった。トランジスタラジオができるならトランジスタテレビもと思うのは自然な流れだが、どっこいテレビとラジオでは大違いだ。
初期のトランジスタは低電圧・小電流の回路に適した半導体で、テレビとなると高電圧・大電流が必要となりラジオに使っていたトランジスタでは使い物にならない。テレビではブラウン管に映像を映し出すための偏向用、映像出力用に大きな出力のトランジスタが必要になる。その結果電力消費も大きくなり、熱がたまりやすくなる。
実は半導体は熱に弱いのが大きな欠点。現在でもそうだが、半導体の固まりであるコンピューターや様々な電子機器はいかに熱を逃がすかに苦労している。コンピューター室では、冷却のために大容量のエアコンが設置されているし、パソコンでも冷却ファンが大きな音を出しているのにお気付きだろう。
様々なトランジスタ
[高電圧・大電流・高周波用シリコントランジスタ開発]
井深さんの次なる夢を実現するためには、テレビ用に従来とは全く違う新たなトランジスタを開発する必要があった。高電圧・大電流にも耐えうること以外にも、より高い周波数でも動作するトランジスタが要求された。テレビとラジオでは周波数が約100倍も違いがある。そして電圧、電流も1桁上が要求される。これに対応するためには、ラジオに使っていたゲルマニウムトランジスタでは無理で、シリコンを使った高電圧・大電流・高周波用のトランジスタを開発しなければならない。
そのころSONYでは、「TR-63」という型番のトランジスタラジオを販売しており人気を呼んでいたが、まだゲルマニウムトランジスタを使用しており、シリコントランジスタは一から研究しなければならない状況だった。シリコンを使えばより高性能のトランジスタを作ることが出来ること知っていた井深さんは「これからはシリコントランジスタ時代になる」としきりに話していたと言う。そのころ半導体部長だった岩間さんは「井深さんはトランジスタテレビをやるつもりだな」と察知し、テレビ用のシリコントランジスタの開発をスタートした。
[大きな壁に突き当った高純度シリコン結晶生産]
しかし、1958年に入って研究をスタートしたものの出鼻をくじかれた。肝心の半導体材料であるシリコンの高純度な結晶を作ることが出来ないのである。シリコントランジスタを作るためにはまず高純度で欠陥の少ない単結晶シリコンが必要となる。シリコン(ケイ素)そのものは地球を構成している物質の主要な物質であり酸素やアルミニウム、鉄などとともに何処にでもあるが、半導体を作るだけの高純度に精製するためには特殊な精製技術が必要になる。
トランジスタは1948年にAT&Tベル研究所のウォルター・ブラッテン、ジョン・バーディーン、ウィリアム・ショックレーらにより発明されたのだが、それを知った多くの技術者が追試を試みたが、当時は高純度のゲルマニウムが手に入らなかったため出来なかった。
その後、高純度のゲルマニウムが作れるようになり、ソニーでもトランジスタを開発し1955年にはトランジスタラジオを発売していることは、前回紹介している。だが、シリコンとなると温度制御装置、単結晶引き上げ装置の開発などゲルマニウムとは比較にならないほどの高度な技術が必要なため大きな壁に突き当たってしまった。
[世界初の直視型トランジスタテレビ「TV8-301」発売]
ソニー技術陣の努力が実って世界初の直視型トランジスタテレビ「TV8-301」が発売されたのは1960年5月のことだった。「TV8-301」には、シリコンとゲルマニウム合わせて23石のトランジスタと19個のダイオード、小型高圧整流用真空管2本が使われている。
世界初の直視型トランジスタテレビ「TV8-301」
まだ、オールトランジスタテレビとまでは行かないのは、高圧整流用のシリコントランジスタが開発できていないためだった。また、使用されているトランジスタもシリコンとゲルマニウムの組み合わせで、しかも12chまで受信できるテレビチューナーに使用される高周波用ゲルマニウムトランジスタが完成したのは「TV8-301」の報道発表1ヶ月前のことだった。
[故障が多かった「TV8-301」]
トランジスタテレビ「TV8-301」を発売したことによってソニーのトランジスタ技術、テレビの製造技術の高さを世界に示すこととなった。ところが世間の評判の割にはなかなか売れなかった。それもそのはず、「TV8-301」は69,800円もする高価な商品。当時、テレビは庶民にとって高嶺の花で、家庭用の14インチ据置型テレビでさえまだ本格的に普及していなかった。
まず家庭用の据置型テレビを買う方が先であり、ポータブルテレビを買えるのはすでに家庭用の据置型テレビを持っていて、余裕のある一部の金持ちだったからである。また、悪いことに「TV8-301」はトラブルが多かった。画像がぼけたり、画面が暗くなったりしてしまう。原因はトランジスタだった。十分なコントラストを得るために必要なシリコントランジスタの開発が遅れていたためだ。
コントラストを上げようと電圧を高くするとトランジスが壊れてしまうので電圧を上げることが出来なかった。また、チューナーには小型のロータリー式チューナーが使われていたが、これも接触不良を起こしよく故障した。当時、ロータリー式チューナーは据置型テレビでも使われていたが、やはりも接触不良が起きやすくテレビの故障の多くを占めていたほどで、後の電子式チューナーの登場を待つまでメーカー泣かせの部品だった。
[遂にオールトランジスタテレビ「TV5-303」を発売]
それ以外にも、同期がずれたり、テストパターンの左側が伸びてしまったりなどの故障もあった。自動車の中で見ていたりすると画面が上下方向に流れてしまう。温度変化の影響で周波数が徐々にずれて行き同期が外れてしまうのだ。自動車の中だけでなく、暖かい部屋から寒い外に持ち出した時や、直射日光の当たる所に置いた時なども同様なトラブルに見舞われた。
急激な温度変化に対応できないのである。これでは売れる方が不思議と言わざるを得ない。社内の営業報告会では、「TV8-301」の販売台数の実績欄に△印がついており「販売台数に△印とはどういうこと」と、ある役員が聞いたら「売った台数より返品の方が多いのですよ」と大笑いとなったという。
実は、大笑いですませるのも当時、トランジスタラジオの売れ行きが好調で大きな利益を上げていたからだった。だが、メーカーとしてこのままで良いわけがなく、着々と技術的な解決策を追求していた。そして、世界最小・最軽量のオールトランジスタテレビ「TV5-303」を発売したのは2年後の1962年5月のことだった。
[井深さん達の努力が “エレクトロニクス立国日本”の源流となる]
ソニーを先頭にトランジスタの技術開発、量産技術の確立が進んでいった。1960年代は、生産歩留まりが上がってコストが下がり、また真空管でしか扱えなかったテレビのような高い周波数でも使えるようになったため、各社から小型トランジスタラジオやトランジスタテレビが発表された。
さらに高い電力やUHFでの使用が可能になる1970年までには、家庭用テレビやラジオから増幅素子としての真空管が姿を消した。 トランジスタはその後も集積度を高めて、ICやLSIといった集積回路へと進化、日本の半導体技術が世界のトップレベルへと躍進する。井深さん達の努力が “エレクトロニクス立国日本”の源流となったのである。
『参考文献』 Web:ソニーヒストリー、「本田宗一郎と井深大」(板谷敏弘、益田茂著)、「ソニー自叙伝」(ソニー広報センター著)、フリー百科事典『ウィキペディア』