エレクトロニクス立国の源流を探る
No.22 小さな町工場を世界のSONYに育て上げた井深大さん(第11回)
“アナログからデジタルへ”デジタルオーディオにチャレンジ
「コンパクトカセット」の普及によりテープオーディオ時代が花開き、ラジカセやヘッドホンステレオ、ミニコンポがどこの家庭にも1台や2台はあるといった全盛期を迎えた。もちろん従来からあるLP・EPレコードも盛んに使われており、ディスクとテープが共存していた。レコードからテープにダビングしてラジカセやヘッドホンステレオを使ってアウトドアで音楽を楽しむ、またカーステレオで楽しむといった使い方が一般的となっていった。
そのころオーディオマニア達は、自分のオーディオシステムが少しでも他人のものより良い音が出るようにすることが自慢だった。レコードプレーヤーやアンプ、スピーカーをはじめ配線、端子などあらゆる部分をより高音質なものへと、とっかえ、ひっかえしては試していた。まだ、“デジタル”という言葉など全く頭の中に無い“アナログ”の時代だった。
日本初のデジタルオーディオテープレコーダーが完成
そんなアナログオーディオ全盛の中にあって、放送業界やメーカー技術陣にはデジタルオーディオに取組む人達がいた。中でも、中島平太郎さんは、おそらく日本で始めて「デジタルサウンド」を実現させた人ではないかと言われている。中島さんはNHKの技術研究所で音のデジタル化に取り組みデジタルオーディオテープレコーダーを完成させた人である。中島さんがデジタルオーディオに取組んだのは、NHKがFM放送を開始するために高音質の録音機を必要としていたからだった。
当時ソニーの社長だった井深さんは、NHKから中島さんをソニーが新しく作った技術研究所の所長として迎えた。しかし、井深さんはデジタルオーディオの第一人者として中島さんを呼んだわけではない。意外にもこのころ井深さんはデジタルオーディオには積極的でなくむしろアナログ派だったのである。後にデジタルオーディオに積極的に取組むようになるのだが、中島さんを呼んだころはデジタルオーディオには批判的だった。
デジタルオーディオに逆風の時期に入社
また、これも意外だがソニーでも電卓(電子卓上計算機)を開発していた。そして1967年には電卓1号機SOBAX「ICC-500」を発売している。しかし、より小型軽量化、低価格化のために電卓に使う専用のICやLSIを開発する必要があったため、他社とのコスト競争は無理との判断から電卓から撤退することを決断した。
ソニーが開発していた電卓(ソニー歴史資料館にて撮影)
中島さんがソニーに入社したのはちょうどそのころで、社内はデジタル技術に関してむしろ消極的で、デジタルオーディオにとっては逆風の時期だった。そんな社内ムードの中でも中島さんはデジタルオーディオの研究はあきらめなかった。というのも、初めてデジタルオーディオの音を聴いた時の素晴しさを忘れることができなかったからだ。中島さんは「将来、必ずデジタルオーディオの時代となる」と確信していた。
こっそりとデジタルオーディオの研究を始めた中島さん
とは言っても、入社したての身ですぐデジタルオーディオの研究を始めるわけにはいかない。社内のムードがアンチデジタルだし、なにしろ自分を呼んでくれた井深さんもアンチデジタル派だったのでなおさらだ。しかし、中島さんはデジタルオーディオへの夢を捨てきれない。遂に我慢しきれず入社してから2年ほど経って、こっそりとデジタルオーディオの研究を始めた。
幸いにも中島さんのいる技術研究所は井深さん達のいる本社から離れた所にあり、目が届きにくかったので自由に研究できた。研究したのは、NHK時代に使ったものと同じで、アナログ音声をPCM(パルス符号化)方式でデジタル変調するもので、この技術はコンピューターやアポロ宇宙船からの宇宙中継にも使われていた。
テープと固定ヘッドのPCM録音機「X-12DTC」が完成
そんな苦労をしながら1974年に何とか完成させたのがPCM録音機「X-12DTC」で、2インチ幅テープと固定ヘッド56チャンネルを使用した大型冷蔵庫並みの大きさのもの。これがデジタルオーディオ時代の幕開けを告げる記念すべきソニーの第1号機である。オーディオフェアに参考出品したり、オーケストラの録音実験を行ったりして専門家の評価も高かったが、結局、商品化までは至らなかった。やはり、大きすぎることや250kgもある重量、そしてなにより価格が高くなってしまうことが商品化を難しくした。
家庭用VTR「ベータマックス」を使うことに閃く
商品化のためには「もっと小さく、価格も安いものを」と模索している時に、閃いたのがビデオ機器を流用することだった。折しも、家庭用VTR「ベータマックス」が発売され、中島さんは、これを使ってみようと研究を開始した。
「映像を扱うVTRはアナログオーディオの数百倍の情報量を記録・再生できる。これなら情報量の多いデジタルオーディオでも扱えるのではないか。しかも価格は安い」と中島さんは喜んだ。そして完成したのがベータマックスに接続するPCMプロセッサ「PCM-1」で、その年のオーディオフェアに展示すると大勢の人だかりが出来るほど大きな反響を呼んだ。
「PCM-1」発売の経験が次なるCDの商品化へと結び付く
このPCMプロセッサ「PCM-1」は、1977年9月に48万円の価格で発売された。VTRと一緒に使うとはいえ、世界初の家庭用デジタル録音・再生機器だった。アナログでは実現し得なかったデジタルならではのクリアな音質が大評判を呼んだ。
PCMプロセッサ「PCM-1」
ところが、予想しない苦情も発生した。「FMチューナーに雑音が入る」、「録音時にノイズが入ってしまう」など実験室で開発していた時には予想もしなかったクレームが入った。原因を追求して行くと技術的な問題もあったが、使い方の説明不足や防音設備の無いところで録音したため周囲の音まで録音してしまった例など様々で、これが後のデジタル録音機器開発に大いに役立った。そして、これらの経験が次なるCDの商品化へと結び付いてゆくのである。
『参考文献』 Web:ソニーヒストリー、ソニー歴史資料館、「本田宗一郎と井深大」(板谷敏弘、益田茂著)、「ソニー自叙伝」(ソニー広報センター著)、井深大の世界(毎日新聞社)