自分は反デジタルでもデジタルオーディオの研究を黙認した井深さん

始めはデジタルオーディオに反対していた井深さんも、CDの規格が決まる頃になるとデジタルオーディオに対する見方も少し変わってきていたのではないだろうか。というのも、半導体技術はIC化が進むなど大きく進歩しつつあったからだ。始め井深さんがデジタルオーディオに反対していた理由もその頃の半導体技術レベルからして十分理解できる。井深さんは、音をデジタル処理するためには、膨大な数のトランジスタやダイオードを使って、大がかりで複雑な回路が必要なことを知っていたからである。

デジタル処理することで音質面ではレベルの高いものを実現することができるが、果たしてコンシューマー商品にそこまでする必要があるのか?という経営者ならではの感覚であり、また1人のオーディオファンとしてもアナログレコードで十分楽しめるということであったのだろう。しかし、自分の考えが反デジタルであっても、部下にはデジタルオーディオの研究を黙認してやらせるといったあたりに、惚れ込んだ技術にはチャレンジさせる技術者魂が感じられる。

「DAD懇談会」では「光学式」「静電式」の2方式に集約

1980年の6月に開催された「DAD懇談会」に、ソニーとフィリップスがまとめた光学式の「CDシステム」が共同提案された。この他にもドイツのテレフンケンが提案した「機械式」や、日本ビクターが提案した「静電式」があった。

ディスクにピックアップがまったく接触することなく、寿命が長く、取り扱いも簡単な光学式の「CDシステム」は、他の2方式がディスクと接触して信号を読み取る方式だったのに比べ格段に優れていた。しかし、「DAD懇談会」では約1年かけて検討した結果、1方式に絞るのは大変だったようで、ソニーとフィリップスの「CDシステム」と日本ビクターの「静電式」の2方式を並行して開発していくこととなった。

世界初を目指して商品化競争に突入

デジタルオーディオは、とりあえず2方式併存で商品化競争に突入。メーカー各社は、商品化第1号を目指し開発陣にハッパをかけた。ソニーでも発売時期を1982年10月に設定し、世界初のCDプレーヤー発売を目指した。しかし、当時の技術レベルでは、はるか彼方にある高い目標を目指すようなもので、技術陣にとっては難題が山積みだった。

CDの規格は前回紹介したように「21世紀になっても通用する規格に」ということで技術的なハードルは高い。商品化には心臓部となる光ピックアップやデジタル処理回路などのキーコンポーネントの開発が不可欠だったからである。光ピックアップは、1.6μm間隔に並んでいる幅0.5μmのピットに正確にレーザー光を当てなければならない。しかもディスクは回転しており微妙に揺れる。

これを正確に追従して読みとるためにレンズを素早く、かつ正確に動かす2軸システムを開発しなければならない。また、レーザーもビデオディスクに使っていたガスレーザーでは光ピックアップも大きくなるため、CDにマッチした小型化が可能な半導体レーザーを実用化しなければならなかった。だが、半導体レーザーは、まだ実験室段階のものであり実用化にはほど遠い状況だった。

解決すべき難題が山積みだったCDプレーヤー開発

また、デジタル処理のための回路も解決すべき難題が多かった。トランジスタからICの時代となっていたものの、CD規格を処理するためにはまだ集積度が低く、500個ものICが必要だった。これでは一般家庭用のCDプレーヤーとするためにはコストがかかり過ぎた。これを解決するには、数個のLSI(大規模集積回路)でデジタル回路を構成するようにしなければならない。さらに、何とかCDプレーヤーが完成したとしても、ソフトが無ければどうにもならない。

実は、ディスクもまだ実用可能なものはまだできていなかったのである。プラスチック材料の良いものが無かったので、ディスクの反りが大きく、光ピックアップで正確にトレースできない問題が発生していたのだ。いかに、反りの起きない素材でCDを作るかも難題となっていた。「後2年で本当にCDを発売できるの?」、あまりにたくさんの難題に技術陣も自信を失っていた。

遂に超小型、高性能な光ピックアップが完成

その後、光ピックアップに関しては、幸運にも量産可能な半導体レーザーを生産しているメーカーが見つかった。その半導体レーザーを使ってCDプレーヤーにマッチした超小型の光ピックアップを作ることができた。また、ディスクへの追従性も正確な2軸システムが何とか完成したことによって十分満足できるようになった。遂にディスクの反りや、偏芯回転にともなう揺れに見事に追従する超小型、高性能な光ピックアップが完成したのである。これによって世界初のCDプレーヤー完成に大きく前進したのだった。

1981年秋のオーディオフェアにCDプレーヤーの試作機を参考出品

一方、デジタル回路の開発はコスト削減が最大の課題であり、技術陣は様々な難題に直面していた。D/Aコンバーターは当初、トランジスタやダイオードなど半導体をたくさん使っていたため30万円近い価格だった。これを10分の1以下にコストダウンしなければCDプレーヤーを商品化できない。

技術陣は、日夜、悪戦苦闘の末、1個のICに集約することで1万円程度のコストに抑えることが出来たのだ。そして、信号処理用の約500個のICも、わずか3個のLSIに集約することに成功した。これで技術的な難題をほぼ解決することが出来た。こうして1981年秋のオーディオフェアにCDプレーヤーの試作機を参考出品することができたのだ。

この試作機は、ディスクが前面に垂直にセットされており、虹色に輝きながら回転するディスクに来場者は魅入られていた。CDの明るい未来を予感させる美しい輝きだった。その後、1982年に世界初のCDプレーヤー「CDP-101」、1984年に世界初のポータブルCDプレーヤー「D-50」、さらに1999年にはスーパーオーディオCDプレーヤー「SCD-1」を発売、より高音質、小型・軽量へ向かってCDの技術は大きく進歩していった。

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世界初のポータブルCDプレーヤー「D-50」と、目標としたサイズを示すモック(右) (ソニー歴史資料館にて撮影)

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スーパーオーディオCDプレーヤー「SCD-1」  (ソニー歴史資料館にて撮影)

『参考文献』 Web:ソニーヒストリー、ソニー歴史資料館、「本田宗一郎と井深大」(板谷敏弘、益田茂著)、「ソニー自叙伝」(ソニー広報センター著)、井深大の世界(毎日新聞社)