エレクトロニクス立国の源流を探る
No.27 小さな町工場を世界のSONYに育て上げた井深大さん(第16回)
優れた技術者・経営者であると同時に、すばらしい教育者でもあった井深さん
資本金19万円で、社員20数人の東京通信工業(後のソニー)を創業。新しい独自技術の開発にチャレンジし、次々と革新的な商品をつくりだし、小さな町工場を世界のSONYに育て上げた井深さん。優れた技術者、企業経営者として“エレクトロニクス立国日本”を築いた井深さんだが、その一方で教育、とりわけ幼児教育に熱心に取組んだことでも知られている。
それは、戦後の日本が高度成長とともに「物質的な豊かさ」を得る一方で、「心の豊かさ」を失っていくことに危機感を持ったからである。物質的に豊かになったが、学校におけるいじめ問題や、少年の殺人事件などが増え、気がつけばモノばかりがあふれかえり、子供の将来の夢が「金銭的に豊かになること」が一番に挙げられ、心はどこかに置き去りにされる傾向が強くなっていた。物づくりだけでなく「人づくりこそ豊かな日本をつくるための最重要課題」と痛切に感じたのである。
幼児教育に関心を持つきっかけとなったのは1960年代の学園紛争が全国規模で起きたことだった。「幼稚園では遅すぎる」を始め幼児教育に関する様々な著書を発行。「幼稚園では遅すぎる」は、英語、フランス語、ドイツ語、中国語などに翻訳されるベストセラーとなり、教育者としても名声を得え、“井深理論”として注目を集めた。
ソニーの出発点だった東京通信工業のプレート (ソニー歴史資料館にて撮影)
幼児教育に熱心に取組み、数々の出版物を発行
1959年に全国の小学校を対象に「ソニー理科教育振興資金制度」(現・ソニー教育財団)を設けた。さらに、社員の小学校へ入学する子供にランドセルを贈ることになった。当時はまだ、国民の生活はそれほど豊かではなく、新しいランドセルを買ってやれる家は少なく、ソニーの社員でも同じ状況だった。社員の負担を軽くしてやりたいと言う考えである。
さらに、1969年に文部省認可の財団法人「幼児開発協会」を設立し、理事長に就任、「幼児開発」誌を創刊する。その後「幼稚園では遅すぎる」、「あと半分の教育」、「0歳からの母親作戦」、「胎児から」など次々と幼児教育に関する本を発刊する。
また、井深さんは知的障害児の親だったことはあまり知られていない。会社設立以来、新製品の開発や資金繰りに日夜奔走、仕事一筋の毎日で家庭はほとんど奥さんに任せきりだった。 会社はどんどん大きくなり、経済的にも豊かになった井深さんの経済力からすれば、我が子をサポートする介護人を雇うことは訳のないことだった。だが、知的障害児のための学校に入れ、将来一人で生きていける人間にする道を選んだ。そして、その学校が資金面で行き詰ると資金面で援助した。
やがて娘さんは、成長しソニーが知的障害者を雇用する専門の工場「ソニー太陽」の食堂で働くようになった。そこで井深さんは、娘を特別扱いせず、一人の従業員として扱った。一人の社会人として元気に働き、自立し人生を全うできるようにじっと見守っていたのである。今では、障害者を一定割合雇用することが法律で義務付けられているが、まだ、ソニーが知的障害者の為の工場を持っていることを知られていなかった時代のことだった。
科学万能から「心の教育」の重要性を説く
なお、協会では1998年に「幼児開発」誌を「EDA(Early Development Activity Center)」に改称、2001年にはソニー教育財団幼児開発センターと名称を変更する。しかし、2003年3月をもって業務を収束させることなり、2006年3月に活動を終了している。生前、井深さんは、「幼児開発国際シンポジウム」、「0才まえのコンサート」の開催や、「親子教室モデル地区事業」など積極的に活動している。そして1992年には“文化勲章”を受章している。
また、井深さんは、幼児開発協会のセミナーで「未来へのメッセージ」として協会設立の趣旨を次のように語っている。「赤ちゃんは、私が思っていたよりも、さらに深く、広く、感性によって、すべてのことが相当分かっているようです。言葉が出るよりも以前に持っている非常に高い理解力、感性をもっと生かさなければいけません。
お母さんは、まず自分自身の愛情、心の問題を大切に考えて、我が子を育てることです。赤ちゃんの感性からすれば、これがこうで、愛はどうで、なんていう理屈なしに、お母さんに心をこめてしっかり抱きしめられ、おっぱいをもらい、やさしく子守歌を歌ってもらうだけでも、愛情、心のあたたかさというものは伝わり、十分育っていくと思います。
次の世界を考えてみますと、現代の自然の姿を忘れた科学万能的なものの考えではやっていけない。やはりどうしても物から離れて、心の問題へと入らざるを得ません。しかも自分自身だけでなしに、そういう時代に入っていかなければ、今や地球は破滅するところまできてしまっています。きれいな宇宙というのは、人間のエゴイスティックな考えではなしに、自然の姿に沿って対処していかなければならない。 いい宇宙を保全していく、いい人間を育てる。そしてそのための役割は、どうぞお母さんを中心にして頑張っていただきたい。そのことを私の未来へのメッセージとしたいと思います」と。
人間は、技術や科学の発展により、物質的な豊かさを手に入れても、自然を大事にし、心の豊かさも同時に実現していかねば、地球、そして宇宙の破壊につながると示唆しています。今まさに、地球温暖化の脅威が人類を襲っています。そして世界各地でテロや戦争が絶えません。技術者として、また教育者としての井深さんの洞察力に驚かされます。
墓石には戒名がなく井深大とその横に自由闊達という言葉が彫られている
その井深さんは、1997年12月19日天国に召された。享年89歳だった。井深さんの墓石には、戒名はなく、ただ井深大とあり、そしてその横に自由闊達という言葉が彫られている。この言葉は、井深さんがソニーの設立趣意書に書いた「真面目なる技術者の技能を最高度に発揮せしむるべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」から採られたものである。「人を喜ばせ、豊かにするものを創造する」という一貫した姿勢にあった。
また、井深さんの幼児教育の目的は「心の教育」であった。「0歳からの母親作戦」には「基本的な生活習慣とか、生きていく上でのルールこそ、幼児に与えるパターンとして尊重していただきたい」。また、「自分だけ偉くなればいいという考え方でなく、他人のことも考えられる人間に育ってこそ、その子がほんとうに豊かで充実した人生が送れる」と書かれている。エレクトロニクス技術の発展により経済的に豊かになるだけでなく、「子供が正しく生き、真の幸福者になってもらいたい」という思いが井深さんの半生を貫いていたのだった。
井深さんの幼児教育の思想が反映された子供用の「マイファーストソニー」商品(ソニー歴史資料館にて撮影)
『参考文献』 Web:ソニーヒストリー、ソニー歴史資料館、ソニー教育財団HP、井深大の教育論、後半分の教育、井深大成功へのヒント、「本田宗一郎と井深大」(板谷敏弘、益田茂著)、「ソニー自叙伝」(ソニー広報センター著)、井深大の世界(毎日新聞社)