シャープの「QT-8D」の大ヒットが電卓のLSI化に拍車

シャープ「QT-8D」の大ヒットが、電卓のLSI化に拍車をかけることになった。ライバルメーカー各社は一斉にLSI化の研究を開始、シャープに続けと熾烈な開発競争が始まった。そして究極は、1971年にオムロンが1個のLSIだけで可能としたワンチップ電卓「オムロン800」まで行き着く。

価格も49,000円と大幅な低価格化を実現し、企業や商店が業務用として使う電卓から、個人が購入して使うパーソナル電卓が誕生したといえる。だが、軍需用や宇宙開発用であったLSIを民生品に使うという新しい半導体市場を形成したのもシャープの大きな功績である。

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写真:オムロンのワンチップ電卓「オムロン800」

「ポケット電卓」開発に内外のメーカーがしのぎを削る

パーソナル電卓として普及するためには、小型化、低価格化を同時に達成する必要がある。そこで、国内外のメーカー各社が次に開発目標としたのは手軽に持ち運びできる「ポケット電卓」だった。電卓の回路を1チップLSIで構成するとで「ポケット電卓」を目指した。

TI社では1967年3月に、世界初の携帯型の電卓「Caltech 」(カルテク)を開発した。大きさは弁当箱ぐらいあり、重量も640gと重い。携帯型といってもかなり大きく、「ポケット電卓」とまで呼べるものではなかった。そのため試作はしたものの商品化は見送られた。

キヤノンが初のポケット電卓「ポケトロニク」を発売

国内では、シャープとともに電卓に力を入れていたキヤノンが、TI社から「Caltech 」(カルテク)の技術を買い取り、改良を加えた携帯型電卓「ポケトロニク」を1970年10月に発売、本格的にパーソナル電卓市場に参入した。このポケトロニクが市場に出回った最初の「ポケット電卓」だ。

しかし、「ポケトロニク」は基本的に「Caltech」と同じで、LSIをバイポーラ型からMOS型(3個使用)に変更しものだけに、重量も820gと重かった。サイズは101(W)×208(D)×49(H)mmとたしかにポケットに入らなくもない。だが、ディスプレイはなく、サーマルプリンターに印字するものだった。内蔵NiCd電池により連続3時間の使用が可能で、本体価格87,000円、バッテリーチャージャーが8,500円だった。この「ポケトロニク」は、翌年米国でも発売され大人気となった。

ビジコン社が低価格の高性能電卓「ビジコン161」を発売

一方、日本の計算機メーカーであるビジコン社も電卓の商品化には力を入れていた。1966年に電卓「ビジコン161」を発売。16桁の加減乗除と平方根の計算が可能でメモリー付の高性能電卓で、価格は298,000円と、当時としては驚異的な安さだった。

ビジコン社の小島社長は「ビジコン161」と他社製品の性能と価格の比較表を作り、『「ビジコン161」の出現により、これまで電卓では15万円も余計にお払いになっていたことになります』という挑発的なキャッチフレーズの広告を掲載。先発メーカーや通産省は強く反発し、問題となり、この後の電卓戦争の引き金になったといわれる。

ビジコン社とINTEL社が電卓用のLSIチップを共同開発

その後、ビジコン社は電卓用のLSIチップの開発においてINTEL社と契約を結び、LSIを共同開発することになった。1971年3月、電卓用のLSI「Intel 4004」の開発に成功する。そしてビジコン社は1971年10月に「Intel 4004」を搭載した電卓「141PF」を発売した。「Intel 4004」は、マイクロプロセッサを搭載しているためROMによるプログラムの追加だけで新しい機能を付加することができた。

また、ビジコン社はINTEL社との共同開発とともに、モステック社との間でもワンチップ電卓用LSIの共同開発を進めていた。このモステック社は、TI社からスピンアウトした14人の若い技術者が作った会社で、イオン注入法という最新技術を持っていた。そして若い技術者たちの努力によりワンチップ電卓用LSIの開発はわずか半年で実現した。そして、このチップを採用し、ビジコン社は1971年に超小型のワンチップLSI電卓「LE-120A」を発売した。

TI社の電卓用ワンチップLSIの発売が電卓戦争の引き金に

その後、TI社からも電卓用のワンチップLSIが発売され、電卓メーカーがLSIを購入しやすくなり、電卓の小型化、薄型化、軽量化、低価格化競争が一段と激しくなり電卓戦争に突入することになる。電卓に参入した代表的なメーカーとしては、シャープ、カシオ計算機、キヤノン、東芝、日立製作所、三洋電機、ソニー、松下電器、オムロン、ビジコン、栄光ビジネスマシン(ユニトレックス)、クラウン・ラジオ、ブラザー、リコー、ティール、コクヨ、シチズンなどの国内勢。

海外では、ヒューレット・パッカード、テキサスインスツルメント、ユニソニック、シンクレア、コモドール、ブラウン、レクソン、マークスマン、オリベティなどのメーカーがある。ほとんど世界中の名のある家電メーカーや事務機メーカーが電卓市場に参入したことになる。もちろんこの他にも多数の中小メーカーが参入しており、電卓戦争の激しさは、数ある商品開発競争の中でも、歴史に残るものとなった。

パーソナル電卓「カシオミニ」が爆発的ヒット商品に

オムロンがワンチップ電卓「オムロン800」を発売して以降、本格的なパーソナル電卓時代に突入したわけだが、さらに翌1972年にカシオ計算機がパーソナル電卓「カシオミニ」を12,800円と衝撃的な低価格で発売。「カシオミニ」は、発売後10カ月で100万台、3年で600万台、累計で1000万台の爆発的ヒット商品となる。

“答え一発カシオミニ”のキャッチフレーズで話題を呼んだ、カシオ計算機初のテレビコマーシャルの効果もあって「カシオミニ」の快進撃が続いた。この「カシオミニ」の登場によって、事務所に1台から、個人が1台電卓を持つ時代が到来したのだった。その結果、ライバルメーカーの電卓は売れなくなり、ライバルメーカーは在庫の山ができた。そのため、多くのメーカーが電卓市場から撤退することを余儀なくされた。「カシオミニ」は、まさにカシオ計算機が放った必殺の一撃と言えるものだった。

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写真:カシオミニ

半導体は「産業の米」と呼ばれるようになる

電卓用半導体の量産により、半導体の需要も増加し続ける。やがて、半導体は「産業の米」と呼ばれるようになるが、1971年(昭和46年)の国内におけるICの分野別の需要は、電卓用40%、コンピューター用26%、通信・計測機用15%、テレビ用13%、その他6%となっている。

その後、電卓用半導体はICからLSIにとって代わって行くが、1975年(昭和50年)の半導体需要は、電卓用22%、コンピューター用35%、通信・計測機用18%、テレビ用8%、その他17%となり、電卓用半導体で培われた半導体量産技術によって半導体が様々な分野に使われてゆくことになる。軍需、宇宙開発からスタートした半導体産業は、電卓によって民生需要へと、その応用範囲を広げ、「エレクトロニクス立国日本」の立役者となって行くのだった。

 

 参考資料:「電子立国・日本の突破口」(佐々木正著:光文社)、「原点は夢 わが発想のテクノロジー」(佐々木正著:講談社)、「シャープのスパイラル成長経営」(下田博次著:にっかん書房)、「躍進シャープ」(宮元惇夫著:日本能率協会マネージメントセンター)、シャープ広報資料、電卓博物館