エレクトロニクス立国の源流を探る
No.33 日本のエレクトロニクスを支えた技術 「電卓」第6回
登場してからわずか10年あまりで一般庶民が日常使える計算機に
電卓は、英国のBell Punch社がトランジスタを使った電子式計算機を1962年(昭和37年)に発表してから日進月歩の技術開発によって急速に進化していった。そして1973年(昭和48年)にシャープが発売した液晶表示電卓“エルシーメイト”「EL-805」へと、わずか10年あまりで一般庶民が日常使える計算機となった。
液晶ディスプレイ搭載がポケットサイズ電卓を実現させる
この間、電卓の第1世代機である演算素子としてトランジスタやダイオードを使用したもの、そして、第2世代機はLSIを採用した電卓となり、価格も10万円を切っていった。電源も乾電池へと変わりポータブルタイプが登場する。毎年2倍以上のハイペースでの拡大が続き、1970年(昭和45年)に需要は1000億円規模となった。電卓メーカー数は50社を超え、「電卓戦争」と言われるほどの熾烈な競争が繰り広げられた。さらに、第3世代機では、液晶ディスプレイが採用され電池寿命も長くなり、ポケットに入れて持ち運びできるまでになった。
第4世代機の開発でさらなる薄型競争時代へ突入
そして、第4世代機として、さらなる薄型競争時代へ突入した。1975年(昭和50年)にシャープが厚さ9ミリの手帳サイズ電卓「EL-8010」を発売した。さらにシャープは、液晶技術を採用した薄型電卓の開発に力を入れ、1976年(昭和51年)に厚さ7ミリの「EL-8020」を発売した。この「EL-8020」にはフィルムキャリアと呼ばれる技術が採用されていた。それまでガラス基板を使っていた液晶表示部分のフィルム化である。
難しかったフィルムキャリア技術
だが液晶の表示部分のフィルム化は非常に難しい技術であった。ガラス基板のように剛性があれば液晶を保持するすき間を一定に確保できる。しかし、軟らかいフィルムではそれができない。また、液晶は水をきらうがフィルムは時間が経つと水分を透過してしまう。そして透過した水分は黒いしみになって現れる。さらに製品の歩留りが悪く、量産品にこの技術を採用するのは至難の技だった。
シャープがフィルムキャリア電卓「EL-8020」開発に成功
こうした難題を解決するために、強度のあるフィルム材料を探すことや、水分を通さないコーティング材の確保、歩留りを良くする量産技術の開発などひとつひとつ問題を消していかねばならなかった。だが、ついにシャープの技術陣は、悪戦苦闘の末フィルムキャリア電卓「EL-8020」の開発に成功した。そしてこの、フィルムキャリア技術はICカードなど様々な電子機器の生産へと広がって行き、ローコストで高品位な製品の量産に大きく貢献することになった。
フィルムキャリア電卓「EL-8020」
名刺サイズ電卓で対抗しようとしたカシオ計算機
この頃には、シャープも「カシオミニ」ショックは無くなっていた。
むしろフィルムキャリア電卓「EL-8020」の発売によって、薄型化競争ではシャープがリードしていた。一方、「カシオミニ」で成功していたカシオ計算機は、複合電卓の開発に力を入れていた。しかし、シャープの薄型化攻勢に対応する必要がでてきた。そして、この頃主流だった手帳タイプ電卓から、さらに小型、かつ薄型の名刺サイズ電卓で対抗しようとしていた。
シャープが初の太陽電池付電卓「EL-8026」を発売
また、シャープは太陽電池を電源とする世界初の太陽電池付電卓「EL-8026」を1976年(昭和51年)に発売した。サイズは、幅65mm、奥行き109mm、厚さ9.5mm、重量65gで、価格は24,800円だった。それまで乾電池やボタン電池が電卓の電源に採用されていたが、太陽電池を電源に採用するためには、消費電力を少なくする省電力化技術が必要だった。技術的にはフィルムキャリア方式、LSI 1個という簡単な構造で、省電力化を可能としたものだった。
太陽電池付電卓「EL-8026」
常に新技術採用にチャレンジしてきたシャープ
ここまでの、シャープとカシオ計算機の電卓開発の流れを見ると、シャープは、佐々木さんを電卓開発のトップに迎えるなど外部の人材を活用して、リスクを恐れず新しい技術を取り入れることで数々の「世界初」となる商品を発売してきている。例えば、1964年(昭和39年)に発売した世界初のオールトランジスタ電卓「CS-10A」、1966年(昭和41年)発売の世界初のバイポーラICを使用した世界初のIC電卓、また1969年(昭和44年)発売の世界初のLSI化電卓“電子そろばん”「QT-80」、1973年(昭和48年)発売の世界初のCMOS化電卓(世界初の液晶実用化電卓)「EL-805」であり、1976年(昭和51年)発売の太陽電池付電卓「EL-8026」などがある。
生え抜きの技術者、外部半導体メーカーの力を生かしたカシオ計算機
これに対して、カシオ計算機は、自社生え抜きの技術者で電卓を開発してきた。そしてシャープがICなど半導体を自社生産する方向で開発してきたのに対して、カシオ計算機は外部の半導体メーカーや部品メーカーの協力を得ながら開発してきた、という違いがある。それはそれで一長一短があり、どちらがどうのとは単純に言えないのだが。いずれにしても、電卓メーカーの両雄として、その後も新たな製品開発に全力を投入する両社だった。
参考資料:「電子立国・日本の突破口」(佐々木正著:光文社)、「原点は夢 わが発想のテクノロジー」(佐々木正著:講談社)、「シャープのスパイラル成長経営」(下田博次著:にっかん書房)、「躍進シャープ」(宮元惇夫著:日本能率協会マネージメントセンター)、シャープ広報資料、カシオ計算機広報資料、電卓博物館、電卓の歴史(東京理科大学)