樫尾4兄弟の活躍(4)

「カシオ14-A型」の売れ行き好調で新工場を建設

科学技術長官賞を受賞したこともあって「カシオ14-A型」の売れ行きは好調だった。さらに、平方根も計算できる新製品「カシオ14-B型」も順調で、会社は予想以上の業績を上げることができた。生産台数も月産200台を超えてきたため資本金を2倍の100万円に増資、新工場を現在の東京都東大和市に建設した。同時に社長に樫尾忠雄さんが就任、新製品の開発にも力を入れた。

photo

東京都東大和市に建設した新工場(カシオ計算機社史から)

昭和35年に科学技術計算用計算機「301」を発売

昭和35年には「カシオ14-B型」を発展させた科学技術計算用計算機「301」を発売し、大学など研究機関の関心を集めた。まだコンピューターがない時代だっただけに学会なども積極的に応援してくれ、発表会には後に総理大臣になった池田勇人通産相が列席したほど期待は大きかった。

作表計算機「TUC(タック)」を昭和36年2月に発売

事務用計算機の分野でも作表計算機「TUC(タック)」を昭和36年2月に発売した。リレー式計算機と「かなタイプライター」を組み合わせ、計算機能だけでなく事務全般の業務を可能とした画期的なものだった。「TUC(タック)」の名の由来は、東芝タイプライターのT、販売代理店の内田洋行のU、そしてカシオのC、それぞれの頭文字をとったものだった。そしてその年の「ビジネスショー」に出展・実演したところ大きな反響を呼んだ。

photo

作表計算機「TUC(タック)」(カシオ計算機社史から)

年商6億円、従業員300名を超える規模に急成長

実際「TUC(タック)」を発売してみると、折からの「岩戸景気」にも支えられ、大企業から中小企業まで売れに売れた。内田洋行という強力な販売網に加え、東芝の系列販売網もあったので販売台数は急速に拡大していった。そして昭和37年3月期には年商も6億円近くになり、従業員も300名を超える規模に急成長していった。次々に出す新製品は順調に売れ、売上も好調だった。しかも、品質管理(QC)や、資格制度の導入によって組織が整備されたこともあって、忠雄さん達兄弟が直接細かな指示をしなくてもきちんと会社が運営されるようになっていった。

ゴルフに熱中しだす4兄弟

だが、業績が順調な時ほど何処かにスキが出てくるもの。あまりにも好調な業績に慢心したのか、「兄弟4人ともずっと仕事ばかりしてきたのだから、このへんで少々休んでもバチは当らないだろう」と、覚えたてのゴルフに熱中しだす。4人1組で回るゴルフは、仲の良かった4兄弟にうってつけだったことから4人揃ってゴルフ場へ通うのが日常茶飯事となる。午前中は会社で仕事だが、昼ともなると兄弟の誰かがこえをかけると、すぐに意気投合「なんかあったら、ゴルフ場に来いよ」などと社員に言い残して出かけてしまう有様だった。

週のうち3日から4日もゴルフ場通い

忠雄さんをはじめ4兄弟は、計算機の研究開発に明け暮れの毎日で、遊びらしい遊びもせず、ひたすら仕事に専念してきた。物事に熱中すると止まらない4兄弟の性格から、一旦、遊びを覚えたら中途半端で終わるはずはない。「月明かりでゴルフをしている人がいる」と噂されるほど、午後から暗くなるまでコースを回ったという。週のうち3日から4日もゴルフ場通いなのだから社員もあきれてしまうほどだった。

販売代理店から「おたくの製品の在庫がたまっている」という連絡が

だが、その陰では危機が忍び寄っていた。販売代理店の内田洋行から「おたくの製品の在庫がたまっている」という連絡があった。当時の月間生産台数200台相当の在庫がたまっているというのである。原因は、シャープが39年7月から発売した電子式計算機の登場だった。リレー式計算機で市場をリードしてきたカシオ計算機だが、より小型軽量で、計算性能でもリレー式を上回る電子式計算機の登場によってカシオ計算機の優位は吹き飛んでしまったのである。

「しまった」と後悔したが時すでに遅しで経営危機を迎える

は、忠雄さん達も電子式計算機のことを知らなかった訳ではない。シャープが電子式計算機を発売する前年のビジネスショウでシャープを初め数社が電子式計算機を展示しているのを見ていたのだ。それがあっという間に実用化されることになり、リレー式計算機を市場から追い落とそうとしていたのである。忠雄さんが「しまった」と後悔したが時すでに遅し、経営危機を迎えることになる。

開発部門から電子式計算機開発の進言があったのだが

開発部門でも「リレー式だけでは不安です。電子式計算機の開発を」と忠雄さん達に進言していたのだが、あまりにもリレー式計算機の販売が好調だったため、本格的な電子式計算機の開発に遅れをとってしまった。気のゆるみから、ゴルフに熱中してしまい経営者としての大事な仕事を放り出していたと、反省するも危機的状態が迫っていた。

業界では「カシオは危ないぞ」と言う噂が飛び交う

業界では「カシオは危ないぞ」と言う噂が飛び交った。リレー式計算機の発売で、電動式計算機を市場から追い落としたカシオ計算機が、今度は電子式計算機よって市場から追い落とされようとしていた。時代は大きく変わり、カシオ計算機でもリレー式計算機の生産を中止せざるをえない状況が迫ってきていた。

リレー式計算機最新鋭機「81型」で危機突破を目指す

忠雄さんは、とりあえず開発中のリレー式計算機の新製品「81型」を発表することで乗り切ろうと考えた。「81型」は、99算の考え方を取り入れた最新鋭機で、計算速度は従来のリレー式に比べ5倍以上の速さを実現していた。しかもコンパクトで設置場所をとらない。まさにこれぞ自信作と言えるものだった。

参考資料:カシオ計算機広報資料(社史ほか)、「私の履歴書 兄弟がいて」(樫尾忠雄著:日本経済新聞社)、「考える一族」(内橋克人著:新潮社)