エレクトロニクス立国の源流を探る
No.49 日本のエレクトロニクスを支えた技術「日本語ワープロ」第7回
他社製品との互換性より機能、価格の優位性を重視
日本語ワープロが普及するにつれ、異機種間における文書の互換性の問題がクローズアップされてきた。メーカー各社の日本語ワープロ用FDDの文書フォーマットが統一されていなかったからだ。メーカー各社は、文書の互換性より、自社の製品がいかに入力、仮名漢字変換、印字速度・品質、価格面で他社製品より優れているかに商品開発の重点を置いていた。
それまで世の中に無かった商品だけに、あらゆる面で先陣争いをしていたのだから、それも当然と言えなくもない。「最も優れた入力方式は何か」、「最も効率的で変換精度の高い仮名漢字方式は?」など、東芝が1978年に初の日本語ワープロ「JW-10」を発表して以来、メーカー間で熾烈な開発競争が繰り広げられた。
激烈な開発競争が繰り広げられた日本語ワープロ発展の歴史
東芝の「JW-10」に続いて発表された主要な日本語ワープロの歴史をたどると、「JW-10」が発表された翌年の1979年に、シャープの“書院”「WD-3000」がある。入力方式はタブレット方式を採用し、価格は2,950,000円だった。この頃になると電卓戦争は、薄型のカード電卓に行き着き、最終段階に向かっており、電卓市場を制したシャープでは、家電品に次ぐ経営の柱に事務機事業を志向していた。
当時、コンピュータ、日本語ワープロ、複写機、ファクシミリがOA機器の4本柱であり、シャープは、電卓戦争のさなか1971年にマイクロコンピュータを開発。その後、マイクロコンピュータ技術を生かして複写機やレジスターを手がけ、1979年に、パソコンや日本語ワープロを発売した。さらにこの年、ファクシミリを発売し、総合OA機器メーカーへと発展していく。 「ニュービジネス戦略」をスタートさせ、その中で日本語ワープロ“書院”は、重要な戦略商品となっていった。
まさに世の中はOA化の波が押し寄せており、シャープは“オフィス作業の迅速化、効率化”と“創造的で快適なオフィス”の2つをコンセプトに新しいビジネス機器を開発していった。以後、シャープの日本語ワープロは“書院”の愛称で、次々と新製品を発表していくことになる。
1980年台初頭は高級車並みの価格で一般には高嶺の花だった
富士通は、1980年に日本語タイプライター向けに独自の親指シフトキーボードを発表したが、同時にこの親指シフトキーボードを採用した同社初の日本語ワープロ“OASYS100”を発表した。“OASYS”の愛称は、一般公募によるもので“OASYS”(Office Automation System)から命名されたもの。
親指シフトキーボードは、仮名50音が英文タイプライターと同じように3列30個のキーに配列し、キー配列を覚えることで、キーボードを見ることなく、スピーディーな入力が可能となる。キーは出現頻度の高い文字を指の移動量が少なく、更に左右の指が交互に使われるように配列され、1文字の入力が1回の打鍵で済み日本語文書入力が容易に出来るというのがセールスポイントだった。価格は270万円で、このころの日本語ワープロは、まだ高級車並みで高嶺の花だった。
業界で始めて100万円を切る“MY OASYS”登場
翌1981年になると、日立が同社初の日本語ワープロ“ワードパル”「BW-20」を発表した。また、1892年には、シャープが業界初のコンパクト型日本語ワープロ“書院”「WD-1000」を発表した。さらに、沖電気も“Lettermate800”を発表するなど新規参入メーカーが相次いだ。そして、価格競争も激しくなり低価格の普及機も登場する。日立はコンポスタイルの普及機“ワードパル”「BW-10」を発表、富士通も業界で始めて100万円を切る“MY OASYS”を発表した。
先発メーカーの東芝も新規参入組みには負けてなるかと、卓上一体型の日本語ワープロ“TOSWORD”「JW-1」を発表した。パーソナルユースの小型・軽量モデルで価格は598,000円だった。重量は11.5kgのオールインワンタイプのポータブル機で、初の日本語ワープロ「JW-10」と比べ体積が20分の1、重量が15分の1、価格が10分の1となり、この間の技術進歩とコストダウンの激しさが窺い知れる。表示は、2行漢字液晶ディスプレイを採用し、熱転写プリンタ、5.25インチFDDを内蔵している。このほか、富士通は、A4文書のフル表示が可能なディスプレイを搭載した“OASYS100G”を発表、日本電気は音声ワープロ「VWP-100」シリーズを発表するなど、機能、価格両面で日本語ワープロは大きな進化を見せた年だった。
富士通の「MY OASYS」
HDD内蔵の卓上型ワープロ東芝“TOSWORD”登場
1983年になると、シャープが本格的なビジネス日本語ワープロ“書院”「WD-2400」を発表し、日立が技術文書の作成も可能とした“ワードパル”の上位機として多機能ワープロ「BW-30」を発表している。また、沖電気は小型低価格機“Lettermate85”を、東芝は容量10メガバイトの5インチHDD内蔵の卓上型ワープロ“TOSWORD”「JW-7D」を発表している。HDDにはシステムや辞書を格納し、FDDは文書専用だが、HDDにも1,000ページまでの文書の保存が可能だった。これにより頻繁にFDの差し替えの煩わしさが無くなり操作が簡素化された。
CRTディスプレイ搭載機として初めて30万円を切った「PWP-100」
1984年になると日本電気が、先にこの連載で紹介した新入力方式「M式キーボード」を採用した「PWP-100」を発表した。12インチのCRTディスプレイを搭載し、セット価格は349,800円だった。プリンタを除く本体価格は252,500円と、12インチのCRTディスプレイ搭載機として初めて30万円を切る低価格化を実現した。
沖電気は、手軽に持ち運びできるキャリングタイプの日本語ワープロ“Lettermate8”発表している。 本体、表示部、プリンタ、FDD、キーボードが一体化されたオールインワンタイプ。入力方式は、仮名漢字変換方式とローマ字漢字変換方式とがあり、文節単位の変換方式を採用していた。印刷は、熱転写プリンタ搭載し毎秒30字の高速印刷が可能だった。さらに、この年は富士通が同社初のパーソナルワープロ“OASYS Lite”を220,000円で発表している。
乾電池駆動を日本語ワードプロで初めて実現した“OASYS Lite”
“OASYS Lite”は、初の本格的なポータブル日本語ワードプロだった。キーボードとプリンタを一体化したことで、大幅な小型化・軽量化が可能となり重量は3.5kgと持ち運びに便利になった。しかも高集積半導体技術により小型化・軽量化と同時に省電力化も実現している。このため、乾電池(単1×4本)駆動を日本語ワードプロで初めて実現した画期的なものだった。むろん富士通の“OASYS”シリーズで採用してきた親指シフトキーボードを搭載している。
液晶ディスプレイは、8字×1行表示と小さいが、約4万語の豊富な辞書を装備し、日本語に加え,英,独,仏,スペイン語に対応するなど機能は充実していた。印刷は本体内蔵の24ドット熱転写プリンタで静かに印字できた。このほか、電源オフにしてもA4判約2ページを記憶できる文書のメモリバックアップ機能も搭載したほか、オプションとして最大A4判40ページが記録できる外部記憶装置も提供されていた。
参考資料:「新・匠の時代」(内橋克人著:文芸春秋)、東芝科学館、「日本語ワープロの誕生」(森健一、八木橋利明:丸善)、社団法人情報処理学会HP、富士通HP、シャープHP、日立製作所HPほか