カシオ計算機が初めて6万円を切る59,800円の普及価格“カシオワード”「HW-100」を発売

富士通が220,000円の低価格でパーソナルワープロ“OASYS Lite”を発売してから、日本語ワープロの低価格化が進み、個人が家庭やオフィス、学校などで使用することができるようになっていった。1985年になるとカシオ計算機が同社初の日本語ワープロ“カシオワード”「HW-100」を発表した。価格は59,800円と初めて6万円を切る普及価格を実現。手軽に持ち運びできるコンパクトサイズで、本体カラーも黒・赤・白の3色を用意し、パーソナルユースを強く意識したデザインを採用したものだった。また、乾電池とACの2電源方式で、当時としては大型の液晶表示を採用しており、見やすく操作しやすい画期的な製品だった。また、増設“RAMパック”を装着することで記憶容量を増やすこともできた。

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カシオ計算機初の日本語ワープロ“カシオワード”「HW-100」

三洋電機、富士ゼロックス、横河電機、ソニーなども日本語ワープロ市場に参入

また、この頃までには三洋電機や富士ゼロックス、横河電機なども日本語ワープロ市場に参入していたが、ソニーも1985年にパーソナルワープロ“ヒットビットワード”「HW-30」を発表、新規参入した。キーボードは入門者向けに分かりやすい「50音配列キーボード」を採用、仮名/ローマ字入力による漢字変換方式で仮名文字、英文字のどちらで入力しても漢字に変換できた。表示装置は、12桁のワイド液晶ディスプレイを装備し、プリンタは熱転写式16×16ドットプリンタを内蔵、印字リボンの交換により5色のカラー印刷が可能だった。電源は乾電池、充電式電池、ACの3電源方式を採用し、本体重量2.6kg、幅346×奥行き300×高さ64mmの軽量・薄型を実現し簡単に持ち運びできた。

東芝はパーソナルワープロ市場で“Rupo”「JW-R10」で迎え撃つ

普及価格のパーソナルワープロ市場が立ち上がってくる中で東芝もこの市場に本格参入することになる。すでに同社は1982年にパーソナルユースを狙った“TOSWORD”「JW-1」を発売していたが価格が598,000円、重量も11.5kgであり、パーソナルユースの普及価格、小型・軽量モデルとまではいかなかった。そこでパーソナルワープロ市場でライバル各社と十分戦えるモデルを開発する必要に迫られていたが、その第一弾として発表したのが1985年に発表した新シリーズ“Rupo”「JW-R10」だった。ビジネスユース市場において市場をリードしていた東芝だけにパーソナルワープロといっても機能・性能でこだわりを持った製品だった。

ビジネスモデル並みの24×24ドットプリンタを採用した“Rupo”「JW-R10」

パーソナルワープロ市場では、普及価格を実現するために熱転写式16×16ドットプリンタの採用が多かったが“Rupo”「JW-R10」は、ビジネスモデル並みの24×24ドットプリンタを採用し、文節変換入力などの高級機並みの機能を持ちながら、10万円を切る99,800円の普及価格を実現している。高機能機ながらパーソナルユースを意識して黒、赤、白の3色の本体カラーを用意した。本体サイズは、幅320×奥行き305×高さ54mmで、重量は3.15kgと、それまでの“TOSWORD”「JW-1」と比べて大幅な小型・軽量化を図っている。電源は、乾電池(単一×4本)、ACの2電源方式を採用し、文書の保存はオーディオ用のカセットテープを使用するものだった。

東芝は、さらに“Rupo”「JW-R10」の上位機として3.5インチFDD搭載の“Rupo”「JW-50F」を1985年11月に発売した。価格は128,000円と多少高くなったが、外部記憶装置としてFDDを搭載したことにより、文書の保存や持ち運びが可能となり、使い勝手が大幅に向上した。また、液晶表示装置も「JW-R10」の10文字×2行から、40文字×2行へ拡大しており、見易さが向上している。

東芝はパーソナルの“Rupo”とビジネスの“TOSWORD”に2シリーズ化

一方、ビジネスユースの“TOSWORD”シリーズにおいて「JW-8DII」を発売、「全文かな漢字変換機能」を搭載し、従来の「かな漢字変換」では文節単位で変換キーを押して変換指示していたものを、ワープロが自動的に行う画期的なものだった。さらに、 文書中の表計算などのデータ処理も可能なほか、印刷イメージを1/4の大きさで表示しバランスのよい文書が作成できる「印刷イメージ表示機能」、複数の文書を同時表示可能な「マルチウィンドウ機能」など、その後のワープロの標準となる機能を先取りしたものだった。東芝は、“Rupo”「JW-R10」の大ヒットや“TOSWORD”シリーズの充実によって、パーソナルワープロは“Rupo”シリーズ、ビジネスワープロは“TOSWORD”シリーズと2シリーズに分けていくことになった。

一方、富士通も1985年9月にはパーソナルワープロ“OASYS Lite F”を“OASYS Lite”の上位機として発売した。パーソナルワープロでは初のプリンタ分離型を採用することで本体部を小型化・軽量化、B4サイズ、2.3kgのポータブル化を実現している。また、液晶表示の大型化競争においても40文字×5行表示の採用によって市場をリードした。また、内部メモリにA4判6ページの文書を保存でき、オプションの3.5インチFDDを接続すればA4判約200ページの文書保存が可能だった。このほか、はがき印字も可能な24×24ドットの熱転写プリンタを搭載している。

富士通は“OASYS Lite”シリーズのラインアップ強化で東芝に対抗

富士通では、東芝に対抗するために、1985年11月には“OASYS Lite K”、普及モデルの“OASYS Lite M”入門機、“OASYS Lite U”と次々と新製品を投入しラインアップを拡充した。そして翌1986年6月には“OASYS Lite”シリーズ初の3.5インチFDD搭載の“OASYS Lite KFD20“を発売、ラインアップを一段と充実させた。

NECがパーソナルワープロ“文豪mini”シリーズ3機種を一気に発売。東芝、富士通を追う

東芝、富士通を追うNECは1985年10月にパーソナルワープロ“文豪mini”シリーズを発売した。“文豪mini3”“文豪mini5”“文豪mini7”の3機種を一気にパーソナルワープロ市場に投入した。学習機能付き文節変換方式を採用し、使い勝手を向上するとともに、24ドット熱転写プリンタを搭載している。そして“文豪mini3”“文豪mini5”は電池駆動で持ち運びが自由だった。また、“文豪mini5”は40字×7行の大型液晶画面を搭載し見やすいのが特長だった。さらに、“文豪mini7”は9インチCRTディスプレイを搭載した本格派だった。

参考資料:「新・匠の時代」(内橋克人著:文芸春秋)、東芝科学館、「日本語ワープロの誕生」(森健一、八木橋利明:丸善)、社団法人情報処理学会HP、富士通HP、カシオ計算機HPほか