エレクトロニクス立国の源流を探る
No.61 日本のエレクトロニクスを支えた技術「パーソナルコンピュータ」第5回
“パソコン御三家”の台頭
1980年代初頭は、NEC、富士通、シャープ、東芝のほか、三菱電機、ソニー、キヤノン、日立、エプソン、カシオ計算機、リコー、沖電気など様々なメーカーがパソコン市場で激戦を展開していた。1982年には、米国でIBMが「IBM PC/XT」を発表し、1984年に発売される「IBM PC/AT」へと発展していくことになる。国内では、1982年にNECが16ビットパソコン「N5200/05」を発売したほか、「PC9801」を発売し着々とパソコン市場でシェアアップしていった。
そして富士通も8ビットパソコン「FM7」や、ビジネスユースの16ビットパソコン「FM11」を発売しNECに対抗した。また、東芝は「パソピア」シリーズに16ビットパソコン「パソピア16」を発売した。パソコン市場には大型コンピュータや通信系メーカー、家電系メーカー各社が参入しており、盛り上がりを見せていたものの、互換性の無さが大きな問題となっていた。また、徐々に、力関係がはっきりし出して、“パソコン御三家”と言われたNEC、富士通、シャープのマーケットシェアが高まっていった。このため、“パソコン御三家”以外のメーカーには危機感が高まっていった。
「MSXパソコン」登場で新たな時代に
そうした中に登場したのが8ビットの「MSXパソコン」だった。1983年6月にパーソナルコンピュータの共通規格として「MSXパソコン」が発表された。発表会場には、マイクロソフトのビル・ゲイツ社長とマイクロソフトの極東担当副社長兼アスキーの社長の西和彦氏が出席、「MSX規格」の説明を行った。そして、同年10月には、「MSXパソコン」をソニー、三洋電機、三菱電機、日本ビクター、東芝、日立、松下電器(現パナソニック)、キヤノン、カシオ計算機、パイオニア、富士通、ゼネラル、ヤマハ、京セラ、シャープなどが発売した。
「MSXパソコン」は、マーケットシェアの低いメーカーにとっては、横並び一線で再スタートし、後れを取り戻すチャンスであり大歓迎だった。しかし当然のことながらNECや富士通、シャープなど先行メーカーにとっては、必ずしも歓迎できるものではなかった。従って、「MSXパソコン」への取り組みには、メーカー間にかなり温度差があった。
一応、富士通、シャープは参入することにしたが、NECは『独自路線で十分勝算あり』と参加しなかった。また、海外のメーカーでは、韓国の大宇電子や、金星電子、ゴールドスター(現LG電子)をはじめ、米国のスペクトラビデオも参加したが、やはり巨人IBMは参加しなかった。
ソニーのMSXパソコン「HB-55」
「MSXパソコン」に期待寄せる家電系メーカー
そうした背景があって、メーカー間による「MSXパソコン」への取り組みには違いがあった。富士通は、「FM-X」を発売したが、この第一弾のみで、その後は撤退していった。シャープは、国内市場では販売せずブラジルでしか発売しなかった。「MSXパソコン」に頼ることなく独自路線で行く方がベターと考えたからだ。NEC同様、自社の既存パソコンと競合すると判断したのだ。
しかし、ヤマハや日本ビクターは、楽器やオーディオ分野へ「MSXパソコン」を使うことで、操作性、機能性を高めることができ、新たな楽しみ方を提案できると期待していた。また、家電系メーカーなどにとっては、独自のパソコン販売網が無いだけに、家電の系列店や量販店ルートでパソコンを販売できるという大きなメリットがあった。
「MSXパソコン」は、8ビットパソコンで価格も安く、専用モニターが無くても家庭用テレビに画面や音声を直接出力できるので誰でも手軽に使えることが大きな特徴だった。将来、本格的なパソコン社会が訪れると予想されていたことから、子供たちにパソコン教育をする必要性が叫ばれていたことも追い風となった。「MSX-BASIC」を搭載し、「MSX-DOS」も提供可能なほか、アセンブリ言語やC言語、Pascal、COBOL、FORTRANなどのコンピュータ言語の学習が可能だった。
価格競争が避けられなかった「MSXパソコン」
しかし、実際のところ「MSXパソコン」の購入者は用途として、ゲームに使うことが多かった。そして、規格を統一すると言うことは、各社が同じようなスペックのパソコンを発売すると言うことであり、市場では、機能・性能による競争ではなく価格競争となりやすい。価格競争を避けるために他社製品との差別化を図り色々な機能を搭載すると部分的には互換性が無くなってしまう。また、半導体の性能アップ、周辺機器の開発、通信技術の進歩などパソコンをとりまく環境は進歩が速く、規格統一を重視しすぎるとこうした周囲の環境変化に素早く対応することが難しくなる。
世界出荷台数総累計400万台以上に達した「MSXパソコン」
ゲーム機としては、すでに「ファミコン」が人気を呼んでおり、ゲーム専用機と比較すると魅力は劣っていた。パソコンとしては上位機と比べ実用性で劣り、ゲーム機としてはゲーム専用機に劣るといった具合で、どうしても中途半端感じは拭いきなかった。そのため、次の規格として「MSX」に比べグラフィック機能が大幅に強化され「MSX2」が1985年に登場した。
それでも低価格化競争から抜け切れず、メーカー各社の苦悩は続いた。さらに、1988年にグラフィック機能の改造や一部オプション規格を標準化した「MSX2+」が登場する。「MSX3」とならなかったのはグレードアップが小幅だったためだ。そして「MSX」規格の最後の規格となった「MSXturboR」が1990年に発表された。
「MSXturboR」規格を発売したのは松下電器(現パナソニック)のみだったが、1995年にMSX規格対応パソコンの生産を終了した。規格統一による互換性の確保を旗印に登場した「MSXパソコン」だったが、国内のみならず、ヨーロッパ、南米、東アジア、米国、アラブ諸国で発売され、世界出荷台数総累計は400万台以上に達し一応の成果は上げたと言えるだろう。
参考資料:東芝HP、シャープHP、ソニーHP、東芝科学館、JEITA、社団法人情報処理学会、富士通HP、NEC・HP、コンピュータ博物館ほか