JA3ART 海老原 和夫氏
No.61 4S7GGG(9)
[4S7EAを訪問]
運用1日目である18日は、一旦昼食のために外出し、RSSLの幹部メンバー達とコロンボ市内の中華レストラン「金城」で昼食を摂った。その帰路、チームリーダーの長谷川さんならびに海老原さんを含む5名が、4S7EAアーネストさんの自宅に招待された。ちょうど15時頃だったので、アーネスト夫人と2人の令嬢がスリランカ本場の紅茶とケーキで歓待してくれた。「4S7EAといえば、当時スリランカでは一番アクティブであり、スリランカを訪問した外国人ハムは、たいがい一度は彼のお世話になっているくらい気さくで親切な方です」と海老原さんは話す。
参加者全員でのスナップ。(※クリックすると画像が拡大します)
アーネストさんは夫人共々、元テレコムの職員で4年前に定年退職していたが、現職時代には何度も研修で日本を訪問しており、京都にも来たことがあると話していた。シャックを見せてもらったところ、無線機器は1世代古いもので、かなり手を入れて使っているのが見てとれた。リニアアンプは出力300ワット程度の小型の物を使っていた。アンテナはハイバンド用には2エレメントキュビカルクワッド、ローバンド用にはダイポールなどのワイヤー系のアンテナが張られていた。
4S7EAのアンテナ群。
シャックは狭いながらもきれいにまとまっており、シャックにベッドまで持ち込むほどアクティビティは高く、机の上には日本からのSASEが何通か置かれていた。話を続けるうちにあっという間に2時間が経過した。ホテルに帰るためのタクシーを呼んでもらったところ、このタクシーの車体は日本ではもう見ることのできないような年代物で、冷房は殆ど効かず、座席は今にもスプリングが飛び出しそうな穴だらけ、悪路では舌を噛みそうになる様なポンコツ車だった。
アーネストさんと海老原さん。アーネストさんのシャックにて。
[本格運用を開始]
運用2日目の19日は、本格的な運用をスタートして、無線組は終日無線を楽しみ、QSOのペースも上がっていった。翌20日は滞在しているブルーオーシャンビーチホテルがあるニゴンボに住んでいる4S7NEネルソンさんが、4S7ABカマルさんを伴ってホテルを訪ねて来た。海老原さんらの無線設備を見学した後、カマルさんの車で、海老原さんを含む4人をニゴンボ市内の魚市場、スーパーマーケット、日本人宗教家の寄付で運営されている幼稚園などを案内してくれた。
ホテルを訪ねてきた4S7AB、カマルさん。
海老原さんは、魚市場では日本では考えられない氷もない露店での鮮魚販売に驚いたという。「あれでよく魚が腐らないものだとある意味感心しました。カマルさんは今晩のおかずにするのだと言って生のエビを20匹ほど買っていきましたよ」と話す。また、スーパーマーケットの電気用品売り場ではACの延長コードとパソコン用の電源コードを買った。これらは現地規格のプラグなので、以後、変換アダプターが不用となった。ついでに、海老原さんは200V規格の半田ごてや湯沸しヒーターも購入した。
[4S7NEを訪問]
カマルさんはニゴンボから50kmほど離れた所に住んでいるため、一旦ホテルまで送ってもらい彼とはそこで別れ、今度はネルソンさんの車に乗り替えて彼の家に案内してもらった。ネルソンさんの自宅は、ホテルから車で15分ほど走ったところで、椰子の木が生い茂った住宅街の一角にあった。200坪ほどの広い敷地があり、落ち着いた感じのガレージ付き平屋建てであった。表でクラクションを鳴らすと夫人が出てきて門を開けてくれた。セキュリティの面で高い塀と門扉でガードされていた。
左から田中さん、中浴さん、ネルソンさん、海老原さん。ネルソンさんの自宅にて。
家に入れてもらうと、手作りクッキーや、地元でしか作られないという油で揚げた菓子と紅茶などで歓迎してくれた。その後、シャックを拝見させてもらったところ、ネルソンさんのシャックも、一昨日に訪問したアーネストさんと同じで、一世代前のIC-720Aなどのトランシーバーが並んでいた。出力は50ワット程度で運用しているとのことだった。電源器は手作りのトランス式で、木の板の上に組まれており、放熱のための小型扇風機が回っていた。
軽くバンドワッチ中のネルソンさん。
ハイバンドのアンテナはモズレーのTA-33Jr、ローバンド用は敷地が広いので、椰子の木を使って1.8〜7MHzの各バンドのワイヤーダイポールが張られていた。ネルソンさんが「面白い所へ案内する」とのことで再度車に乗り、ニゴンボの市街地を出たところにある、広大な敷地に何本ものタワーや50m〜100m高の垂直系アンテナの建っている施設に到着した。
[デューラス]
ネルソンさんは入り口で警備兵に身分証を預け、海老原さんらもボディチェックを受けた。 構内に入って車で走行中、とある建物の前で彼が「ここが私の職場でした」と説明してくれた。それまでネルソンさんの職業を聞く機会はなかったが、ネルソンさんはこの電波監視所の元技術者で、1年前に定年退職したとのことだった。
この電波監視所にある、日本でもお馴染みの「デューラス」(DEURAS)の設備を見学させてくれるとのことで、デューラスの建屋に向かったが、その間の300mほどにも銃を持った兵士が警備していた。さらにデューラスの建屋の入り口でも2人の警備兵が警戒しており、これは政府の重要な設備であることが感じ取れた。
土足禁止の建屋に入ると、エアコンがガンガンに効いており、チリひとつ無い部屋に職員が一人で勤務していた。モニター上にはスリランカ全土の地図が表示されており、リモコンで5ヶ所に設置されている受信局を操作し、位置測定が必要な電波を受信して到来方向を検知し、それぞれの受信局から引かれる直線が交差したところが当該電波の発信地点ということになり、かなり正確な位置が表示されていた。
海老原さんは、まさかスリランカでもデューラスが稼働しているとは思ってもおらず、大変驚いたという。ネルソンさんは「ここで勤務する職員はこの設備の導入にあたり日本へ研修に行きましたよ」と話した。電波監視所からの帰路はニゴンボの町を案内してもらいながらホテルまで送ってもらい、来年の再会を約束して別れた。
[QSOを重ねる]
9月21〜23日はホテルの敷地から一歩も出ず、もっぱらQSOを重ねていった。「同じホテルに8日間も連泊し、毎日3食を摂るレストランの女性従業員とは顏馴染みになって、いろいろと話しをする様になりました。また、レストランのマネージャーは、私たちが金持ちの日本人にでも見えたのであろうか、しきりに高価なメニューやワインを薦めてきました。それでも、同じホテルに滞在しての無線運用ですと余裕もあって、楽しく毎日を過ごせました」と海老原さんは話す。
ホテルのプライベートビーチ。
滞在最終日の24日は午前中無線を楽しんだ後、午後から無線機やアンテナの撤収を行った。夕刻にはニゴンボに戻ってきた観光組と再会した。観光組は、スリランカ国内を回って毎日別のホテルに宿泊するなど転々と移動したが、100Wトランシーバー1台とワイヤーダイポール1本でオンエアし、合計500QSO程の成果を残していた。
その晩は、反省会を兼ねた晩餐会を開催し、RSSLのメンバー6人を招待して次回の再会を約束した。晩餐会が終わると、いつものように4S7VKビクターさんに、トランシーバー、リニアアンプ、アンテナなどなどの保管をお願いし、氏の車に積み込んだ。深夜にコロンボ空港に移動し、早朝1時35分発のシンガポール航空機に搭乗して、シンガポール経由で、15時45分関西空港に到着した。
晩餐会の様子。
[スマトラ沖地震での津波被害]
海老原さんらが帰国したその年の暮れ2004年12月27日、スマトラ沖地震で発生した巨大津波がスリランカを襲い、海老原さんらが無線運用したニゴンボの町や、前年運用したインド洋に面しているゴールやベントタの町は壊滅的なダメージを受けた。特にこの2004年の運用拠点だったニゴンボのブルーオーシャンビレッジホテルは全壊し、レストランで顏馴染みになったスタッフのうち2人が犠牲になったと聞いた。
不幸中の幸いであるが、RSSL会長のビクターさんに預かってもらったHFトランシーバー2セットとリニアアンプが、その際の非常通信で役立ったとビクターさんからメールがあった。スリランカでは、まだまだ通信インフラが確立されておらず、通信機材が不足している状態だったので、海老原さんらのグループは、2005年1月に4台のU/VHFハンディ機を現地に送ったという。
4S7GGGのQSO結果。