JA3ART 海老原 和夫氏
No.70 V63JJ(6)
[電波行政機関訪問]
ポンペイ滞在3日目の8月1日、この日は初めて全員で観光に出かけた。普段は運用を行っていないメンバーが、交代でレンタカーを使って街に出かけたり、土産物屋に出かけたりしていたが、この日の目的はたとえレンタカーがあってもガイドなしでは行けない島の南部方面への観光と、その道中にある電波監理行政を司っている機関(Department of Transportation, Communication, and Infrastructure)を訪問して、書面のライセンスを受け取ることだった。河瀬さん夫妻も同行してくれることになった。
この日のガイドは、日本のテレビなどでもおなじみのケニー大村さんにお願いした。大村さんは、ポンペイでダイビングショップを経営しており、河瀬さんとは懇意の間柄のため、海老原さんらの免許申請書類は、河瀬さんから大村さん宛に発送され、大村さんからこの電波行政機関に手渡しで届けてもらっていた。海老原さんらはすでに免許をFAXで受け取っていたが、原本は郵送等を行ってくれないため、本人が出向いて受け取る必要があった。
トラックで迎えに来たケニー大村さん(右から3人目)。
朝食が済んだ頃、大村さんが5人乗りのトラックで迎えに来てくれた。冷房の付いていないそのトラックには河瀬さん夫妻とV60IL杉浦さんが乗り込み、残りのメンバーは海老原さんが運転するレンタカーに乗り込んで、まずは首都バリキールにある電波行政機関に向かった。バリキールは約25年前、旧日本軍の飛行場跡に政府官庁のためのエリアとしてできたもので、他の行政機関の建物も整然と並んで建っており、いわば官庁街だったが、周囲は緑や芝生に囲まれていて日本の様なオフィス街の雰囲気ではなかった。
緑に囲まれた電波行政機関のオフィスビル。
[免許状を受け取る]
この電波行政機関は、他の島の無線行政も担当しており、担当次官であるジョニーボーイ(本名)さんとはなかなか会えないと聞いていたが、その日は事前連絡なしでの訪問にも関わらず、幸運にも在席しており、丁重に事務室に招き入れてくれた。海老原さんらは、日本から持参した和紙で作った民芸品や、岩本さん手製のうちわなどをプレゼントし、V60のプリフィックスの特別発給に対してお礼を言うと、「新しいことをリクエストされると、それが可能なことなのかどうか、法令や条約を調べたりすることも勉強になります」と前向きな話しをしてくれた。
担当次官のジョニーボーイさん(右)。
さらに、海老原さんのV63JJの免許は、前回の免許の更新で出力が250Wだったため、他のメンバーと同じ1000Wをリクエストしたところ、その場でリクエストに応えてくれ、プリントアウトされた免許状は1000Wになっていた。全員が免許状を受け取った後は、現地の小学校を訪問して授業風景を見せてもらったり、この島で一番大きな滝である「ケプロイの滝」に行き水浴びをしたりなどをした。
[ナンマドール遺跡]
ここはミクロネシア最大の観光スポットで、以前に訪れたことのあるJA3AJ小川さんの奥さんからも「ポンペイに行くのだったら、絶対にここは訪ねられたらいいですよ」と言われており、海老原さんが、日本を出発する前から訪れてみたかった遺跡だった。この遺跡に行くには、船を使った海側から行くルートと、陸路徒歩で行くルートとがあったが、海老原さんらは陸路を選び、ジャングルの中を歩くコースに挑戦した。
ジャングルの中を歩いて遺跡に向かう。
ただし、徒歩でのルートでは干潮時でないと遺跡に渡れないため、潮の干満を見極めて行く必要があり時間に制約される。海老原さんは、「道中でいろいろな昆虫や清流に棲む魚たち、マングローブの林などを見ながら2時間程かけてジャングルを歩いた後、遺跡に到着したときの感動は大きかったです」と話す。
ナンマドール遺跡。
ナンマドール遺跡は、無数の石で造られた古代建築物の遺跡で、数千年前の運搬技術のない時代にどの様にしてそれらの石が運ばれてきたのか、またほとんどの石は鉛筆の様な6角形に成形されていて、積み上げた石がぴたりと隙間なく接して安定している不思議な建築物だった。遺跡に着くとちょうど昼になったため、遺跡のそばの大木の下で、大村さん夫人手作りの、豚の生姜焼き弁当を食した。
[ダイビングと島内観光]
滞在4日目の8月2日は、V60DU野原さん、V60IL杉浦さん、V60KL川村さんの3人は、大村さんのダイビングショップが主催する体験ダイビングツアーに参加した。この中でも川村さんはプロ級のダイバーで、ミクロネシアに来たのは無線よりダイビングが一番の目的だった様で、他のメンバー5人が帰国後も川村さん1人、ダイビングだけのためにもう1週間滞在した。
この日、海老原さんは河瀬さん夫妻に島内を案内してもらい、一部のみタクシーを使ったが、主に徒歩で街中を巡り歩いた。まずは、ホテルでタクシーを呼んでもらい、車で10分ほどのところにある回転寿司屋へ向かった。ポンペイのタクシーは乗合で、どこまで行っても1ドルで、ちょっと遠距離だったなと感じたら2ドルを渡すとのことだったが、運転手から追加料金の要求ななく、さらにチップも不用だった。
10分ほど乗車すると、道路の目立つところに赤いペンキで「回転寿司 ROTARY SUSHI PCR」と書かれている大きな看板が目に入った。この回転寿司屋に入ったところ、カウンターの中で調理を行っていたのは50歳くらいの日本人女性だった。看板のPCRの文字がレンタカーと同じで、気になって尋ねたところ、この寿司屋とレンタカー会社の経営者は、この女性の主人とのことだった。
道路脇にあった回転寿司屋の看板。
「日本人が調理しているので、生魚も大丈夫であろうと安心して食べましたが、結構ネタは新鮮で美味しかったです。ただ、お寿司と書いてあるのにお寿司ではなく、廻ってくるお皿にはお刺身だけが乗っています。あとは春巻きやカレーライスなどです。ご飯は別のお皿に乗って廻ってきます。結局、お刺身で御飯を食べているような感じです。ただし、かっぱ寿司だけはお寿司の形になって回って来ました。7ドルで食べ放題は安かったです。ちょうどお昼時だったので現地の人たちも結構入っていました。外国人は生魚を食べないと聞いていましたが、皆さん、結構な食欲でした」、と海老原さんは話す。
にぎり寿司は回ってこないレーン。