JA1AI 稲葉全彦氏
No.15 自販機での社会貢献
[ロケットエンジンの探索]
稲葉さんの率いる「湘南」技術陣による映像機器の成果が発揮されたのが深海に沈んだロケットエンジンなどの探索時であった。平成11年(1999年)1月11日に打ち上げられたHⅡロケット8号機は、第一エンジンが推力を失い、4分後に強制爆破され海上に墜落した。日本の威信をかけて開発されたロケットであり、事故の原因を追求することが必要であった。そのため落下したエンジンの引き上げが計画され、海洋科学技術センターが協力することになった。
落下場所はある程度の範囲内として特定されてはいたが、水深が3000m以上の深海であるうえに、潮の流れの影響も考えられた。調査は11月20日から始まり、意外に早く27日にはエンジンやロケットの一部が発見された。調査はその後も3次にわたり断続的に続けられ、翌年の1月11日に主要部材の場所を特定し、全調査を終了している。
[困ったときの湘南頼み]
この時に活躍したのが「湘南」が開発製作した深海用高感度ビデオカメラであり、深海に横たわる落下物を鮮明にとらえていた。稲葉さんはその時の映像をテレビ放送で見て「縁の下の力持ちとしてお役に立っていることの喜び」を味わった。そして「この成果の蔭には実施責任者である海洋観測に精通された科学者の経験があった」という。
海洋科学技術センターでの「湘南」の活躍に対して、日本ビクターでの活躍同様「困った時の“湘南”頼み」という言葉がセンター内で語られていたといわれている。それほど、同社の存在は貴重であったらしい。しかし、稲葉さんはその「湘南」を昨年(2006年)7月に解散する。「後継者を得なかったことや年齢的な面と黒字のうちに事業をやめたかった」とその理由を説明する。
[自動販売機の売上げで社会貢献]
会社は解散閉鎖されたが、会社の前に置かれたジュース、お茶、コーヒーなどの飲料の自動販売機は現在も動いている。どこにでも置かれている自販機と違うのは中央部にメッセージの書かれた紙が張られていることである。「売上げ金から管理費などを引いた利益金を日本赤十字、ユニセフ、WWF(世界自然保護基金)などを通じて、世界各地の災害救援、絶滅危惧種の保護に役立てています」という内容である。
自販機に張られたメッセージ
近くに大学や企業の寮があることに目を付けた飲料メーカーが、自販機の設置を提案してきたのが昭和50年(1975年)ころだった。自販機本体そのものは無料ということであり、奥さんの教子さんが「多少でも小遣になれば」とその気になったために設置することにした。
ところが「飲料の仕入れ価格が高くほとんど利益が出ない様子であり、だまされたようなものであった。しかし、本人が楽しみでやっていることでもあり口出しはしなかった」らしい。その後、教子さんが亡くなり稲葉さんは自販機の管理を引き継いだが、新しい飲料メーカーからの話しがあり、それを契機に好条件の契約をし、利益が出るようになった。
[心が救われる]
稲葉さんは、この時「教子が楽しみに手がけていた仕事である。その意志を生かし利益を社会福祉に寄付することにした」とその経緯を語る。メッセージを見た近所の人達からは「これからここで買います」と励ましの声もある。しかし「最近は大学構内にコンビにができ、企業の寮も廃止されつつある。売上は減っている」と、時代の変化を話してくれた。
災害が多い時には稲葉さんは自費を追加して寄付することもある。「そうすると気持ちが救われて何となく楽しくなる」と言う。ちなみに「バブル経済期には寄付などに使えた金額は年間50万円ほどにもなったが、最近は20万円以下に落ち込んでいる」からでもある。
この社会福祉を生み出している自販機について稲葉さんは今悩んでいる。会社を解散させた稲葉さんは、年金生活である。「やがて、会社の土地も売却することになる。そうなると、自販機も運用停止となる。誰かが稲葉の考えに賛同して引き継ぐ人がいないか」と、後任者を募っている。稲葉さんは言う「黙って静かにボランティア」と。
[再びアマ無線の世界に]
アマチュア無線から離れた話題を長々と続けてきた。稲葉さんは先に触れた通りアマチュア無線については「嫌な思い出があったため、旧コールサインを復活してもらった後も4級のままでいるつもりだった」と言う。ところが、その後受講者集めに協力するつもりで受講した養成課程講習会が「3級短縮コースであり、うっかり3級になってしまった」と笑う。
日本ビクター、海洋科学技術センターの仕事に携わっていた時代には、多忙でもあり細々と電波を出す程度だった。それでも、時間を割いて地元クラブの集まりに参加したり、白馬村の稲葉山荘に無線局を開設し、信越エリアでのJ1φXBBを取得している。その程度の活動は続けていたらしい。
昨年(2006年)7月8日、東京のメルパルク東京を会場に「VHFミーティング」が開かれた。関東地区を中心に約60名のハムが出席したが、その時、稲葉さんは原JARL会長に推されて発起人として面倒をみている。「湘南」を解散することを決め、「アマチュア無線の世界に戻る余裕ができたこともお引き受けする理由だった」という。
昨年のVHFミーティング