[オーストラリア]

これまでの3回の経験で、海外運用の楽しさが分かった野瀬さんは、少しレアなエンティティから運用してみたくなり、JK2VOC福田さん、JO2SLZ平松さんと野瀬さんの3人で、オーストラリア領ロードハウ島(VK9L)から運用する計画を立てた。というのも、たまたま平松さんが仕事の関係で2007年5月から1年間オーストラリアに滞在しており、ロードハウ島行きの切符や宿の手配を引き受けてくれることになったからであった。

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オーストラリア国立博物館の入口にある巨大なモニュメントの写真を使ったVK1BNNのQSLカード。

ロードハウ島は、DXCC上でオーストラリア本土とは別エンティティとなっており、さらに島には常駐局がいないため、珍しいエンティティに分類されている。3人は2008年1月に運用する計画を立て準備を始めたが、南半球であるオーストラリアは1月が夏場のハイシーズンにあたり、さらに、ロードハウ島はリゾート地のため、この時期に宿を取るのは非常に難しく、飛行機の切符についても同様であった。また、たとえ飛行機が取れたとしても、搭乗に関し手荷物を含めて1人18kgという重量制限があって、無線機材一式を持ち込むには厳しい条件であった。そのため3人は計画を一旦断念した。

しかし、野瀬さんと福田さんは、「せっかく計画を立てたのだから、せめてオーストラリア本土までは行ってこよう」と話がまとまり、現地にいる平松さんを2人が訪ねることに決まった。当時平松さんはオーストラリアの首都キャンベラに在住しており、キャンベラはオーストラリアの1エリアのため、VK1ANUのコールサインでオンエアしていた。

[VK1BNNを取得]

オーストラリアと日本は相互運用協定を締結しているため、日本の免許をベースに申請してオーストラリアのライセンスを取得することができる。かつては、オーストラリアの免許発行機関(ACMA)への飛び込みでもライセンスの受領は可能であったが、ACMAでは地方支所を閉鎖し、免許の発行は首都であるキャンベラの事務所に集約したため、ライセンスの申請は渡航3ヶ月前が原則となっていた。

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JA2BNN局免許の英文証明書。

野瀬さんと福田さんは、ルールどおり、電子ビザであるETASに日本のライセンス(無線従事者免許および無線局免許)の英文証明を添えて申請する準備を始めたが、なかなかETASが取得できず申請期限の3ヶ月を切ってしまった。しかしキャンベラ在住の平松さんがACMAの事務所に出向いて交渉してくれた結果、「ETASは後でよいので先に申請書の写しだけ送ってくれ、ライセンスは当日事務所で発行する」という話になり、「希望のコールがあれば申し出てくれ」と返事があった。野瀬さんは、JA2BNNと同じサフィックスのVK1BNN、福田さんはVK1JMAを予約した。申請料はAUであった。

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VK1BNNのライセンス。

[出発]

2008年1月31日、野瀬さんと福田さんは、中部空港を14時20分発のJAL3084便で飛び立ち成田空港で乗り換え、成田空港を20時00分発のQF22便で南に向かった。今回のオーストラリアでの運用は、すべて平松さんの機材を借用することになり、ほとんど手ぶらに近い状態で出発した。パソコンも持って行かなかったため、ログはノートに手書きで記入したという。もっとも野瀬さんは、90年代までは手書きによる紙ログだったため、何ら苦にはならなかった。

翌朝8時に、オーストラリア・シドニーのキングスフォードスミス空港に到着したが、オーストラリアも米国同様に入国審査が厳しく、入国には時間がかかった。オーストラリアでは、特に食べ物の持ち込みが厳しく、ほとんどの食べ物は破棄させられる。せんべいでさえ通してくれなかった。2人はシドニーキングスフォード空港で国内線に乗り換えたが、空港内の国際線と国内線はかなり離れており、バスに乗車して10分くらい乗らなればならなかった。

[飛行機が引き返す]

2人は無事に10時15分発のQF1473便キャンベラ行きの国内線に搭乗できたが、問題が発生した。飛行機が出発して滑走路を走行中、いきなり減速しUターンして待機所に引き返してしまった。大雨と雷のためだった。オーストラリアはあまり雨の降らない国であるが、この日は竜巻まで発生する異常気象であった。シドニーからキャンベラまでは40分程度で、平松さんはすでにキャンベラ空港で2人を待っていたため、ローミング対応の携帯電話で遅れることを連絡した。

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一旦引き返したカンタス・オーストラリア航空のQF1473便。

実は、その日の午後にACMAの事務所に行くアポイントメントをとっていたが、金曜日だったので、もしこの日の16時までにキャンベラに到着できず、ライセンスがもらえなかったら、週末に運用ができないことになるので、2人はかなり焦った。それでもなんとか1時間半遅れで飛行機が飛び、キャンベラの空港で平松さんと合流した後、路線バスに乗り換え、急いでACMAに向かった。

ACMAには14時半に着いた。16時に事務所が閉まるのであまり余裕はなかったが、申請書の写しを先に送ってあり、この日にライセンスを受け取る段取りもできていたため、野瀬さんと福田さんは、申請料(AU)を添えて申請書の原本を提出し、免許状を手にすることができた。このとき2人が手にした短期免許は、ACMAが外国人に発行する最後のものであった。なぜなら、その後、法が改正され、短期滞在の場合は、申請なしで運用できるようなったからであった。そのため、現在では80日以内なら申請なしで、JA2BNN/VK1のコールサインでオンエアできるようになっている。

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ACMA事務所前でのスナップ。野瀬さんと福田さん。

[運用を開始]

その晩から2人は、さっそく平松さんの職場であるオーストラリア国際大学の研究室から運用を始めた。この研究室は共用部屋のため、平日の日中は他の研究員がおり、土日と平日の夜間のみの運用となったが、週末の運用を予定していたためそれで十分であった。2人は、金曜の夜、土曜の朝と夜、日曜日の朝と夜に運用した。

リグはIC-706MK2Gを使用し、アンテナはギボシ方式のワイヤーのダイポールアンテナを使った。バンドを切り替える際は、アンテナの所まで行ってギボシを切り替える必要があるので、毎回平松さんが、アンテナまで走ってバンドチェンジを行った。野瀬さんはいつもの様にSSBを中心に100局程度。福田さんはCWを中心に450局ぐらい交信したが、「100W出力なのでSSBは苦しかったです」と野瀬さんは話す。

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IC-706MK2GでVK1BNN運用中の野瀬さん。左はパソコンを操作中の平松さん。

交信相手は、ほとんどが日本の局だったが、11年周期の太陽活動が最低の年だったことと、100W出力にワイヤーアンテナという、国内の移動運用と大差ないような設備なので、これは致し方ないと野瀬さんは話す。

「帰りも飛行機のトラブル」

週末の運用を終え、月曜日は観光を行って、午後の飛行機で帰国の予定であったが、帰りの飛行機でも一悶着あった。戦争博物館、オーストラリア国立博物館と回り、国会議事堂を観光中に、切符の手配を頼んだ名古屋のJTBから「搭乗予定のキャンベラ-シドニー間の最終便が欠航するので、1本前の飛行機に乗ってくれ」と携帯電話に連絡があった。2人は国会議事堂の観光を急遽切り上げて、あわてて飛行場に向かい何とか間に合った。

後で分かったことだが、予定していた便の欠航は機体のトラブル等ではなく、お客が少なくて飛行機の運行を取りやめたらしい。実際に2人が乗った1本前の飛行機でさえ乗客は10人もいなかったと言う。2月5日(火)の午前中に2人は帰国した。「ロードハウ行きがキャンセルになり、オーストラリア本土へは無線半分、観光半分になったが、一般観光客ではまず泊まる事ができない、オーストラリア国際大学構内のゲストハウスに宿泊し、学生食堂で学食を食べるなど貴重な経験ができ、それはそれで楽しめました」と野瀬さんは話す。