森さんが東海地方本部長となった10月に名古屋市公会堂で「アマチュア無線技術シンポジウム」が開催された。アマチュア無線によるTVI(テレビ受像機への電波妨害)対策、RTTY(ラジオテレタイプ)やSSTV(静止画像通信)などの紹介、アンテナ製作の講演など、ハムにとっては最新情報の収集ができるタイミングの良い企画であった。この催しも全国に先駆けての企画であった。

[第16回JARL総会]

森さんは昭和49年(1974年)、名古屋市内大須で営んでいた飲食店「須栄」を閉店するとともに、一宮電子に勤務する。この年には愛知県勤労会館で第16回のJARL通常総会が開かれている。名古屋市での通常総会は、昭和37年に開かれて以来、戦後2度目の開催であった。

出席者は約1400名。地元開催を実現した森さんは開会の挨拶に立ち、盛大な総会を感謝するとともに意義ある会合となることを訴えた。原昌三・JARL会長は「郵政省と折衝していた3.5MHz帯で10KHz程度の拡張が認められるメドがついた。また、アマチュアバンドを妨害していた中国の7MHzの放送は他のバンドに移ることになりそうだ。集団で事に当たればこういうこともできる」と報告した。

質疑は午後8時頃まで続いたが、森さんが強く記憶しているのは「長野県茅野市に購入した土地についての質疑が延々と続いたこと」だった。茅野市の土地はJARLが財産保全を目的に約7,900平米を取得したもので、賛否の意見が飛び交った。

この年は役員改選の年であったため、選挙で選出された理事の互選による役員選出が行われた。会長は原さん、副会長に神戸幸生さん、大塚政量(JA5AF)が選ばれた。地元東海地区にとっては、副会長であった門口さんに替わって、再びJA2からの副会長誕生に会場は沸いた。

全国に先立ち東海事務局が設けられた。開局の記念写真。後列右から3人目が神戸さん、6人目が門口さん、左から2人目は森さん。前列左端は伊澤さん

[JARLでの活動]

翌昭和50年(1975年)4月12、13日、静岡県の富士山麓のグリーンパークでわが国で初めての「全日本ハムベンション」が開かれた。ハムによる企画で行われたこのイベントでは、SSTV、衛星通信の送受信説明、CW教室が開催され、モデルシャックJA1ZAZが設けられ、ジャンク市も開かれた。全体の企画はJA1エリアが中心に行われたが、地元開催であることから森さんは実行委員長となった。

グリーンパークで開かれた「全日本ハムベンション」には常陸宮様ご夫妻もご来場になった

スケールの大きなこの催しは大きな関心を呼び、12日には常陸宮様と妃殿下がご来場し、原会長、石川電波監理局長らがご案内した。森さんにとっては「これまでのハム生活でもっとも印象深い催し」であった。この年、森さんは2期4年務めた本部長を退任するとともに一宮電子を退社する。

翌年9月、森さんはJARLの東海事務局に勤める。東海支部は、昭和41年(1966年)に、全国に先駆けて名古屋市中村区広小路のガーデンビル6階にあった朝日文化センターに事務局を設けた。机ひとつの事務所であり、伊澤栄一(JA2ATI)さんがアルバイトの形で仕事をされた。実は、それより前に関西支部が、近畿電波監理局内に事務所を置いたが、独立した事務局は東海支部が始めてだった。

各エリアへの事務局設置は、増加するJARLの事業活動、事務を地元支部に密着させることにより、一段と支部活動を活発化させるとともに、事務の能率向上を目指したものであった。東海を皮切りに45年(1970年)9月の四国地方事務局の設置まで9事務局が出揃った。関東支部はJARL本部のお膝元であり、設置に賛否両論があったが49年(1974年)7月に遅ればせながら事務局を開設した。

東海支部事務局ができた昭和41年は、アマチュア無線にとって画期的な「養成課程講習会」が始まり、各支部の仕事量が増加した年である。「養成課程講習会」制度は、急増しつつある電信・電話級受験者に対応し、JARLが実施する講習会を受講し、終了試験に合格すると免許が与えられるというものであった。この講習会は最近では開催件数は減少したもののハムへの入り口として貴重な役割を果たしている。

[朝熊岳ビーコン局]

昭和47年(1972年)に、東海支部は三重県朝熊岳に50MHzのJARLビーコン局(JA2IGY)を開設する。朝熊岳は伊勢市にあり標高は555m。伊勢神宮の鬼門(東北)を守る山として知られ、山頂に金剛證寺があるため、早くから山岳信仰、参拝客で賑わった。このため、大正14年(1925年)にケーブルカーを含む登山鉄道が開通したが、昭和19年(1944年)に太平洋戦争激化とともに運転休止となり、レールなどは取り外されて供出された。

戦後再び登山者が多くなったのは昭和39年に「伊勢志摩スカイライン」が完成した後であり、山頂にレストハウスができるなど賑わいを見せている。この山が人気を集めているのは、山頂からの眺めがよく、伊良湖水道を経て渥美半島、知多半島や神島などが望め、伊勢市街も一望できる。このため、NHKや民放テレビ各局がUHFサテライト局や中継局のアンテナを林立させてきた。