[コモロ諸島ペディション] 

平成13年(2001年)2月、荒川さんはアフリカのコロモ諸島でのDXペディションに参加した。このDXペディションは英国のCDXC(チルターンDXクラブ)などが企画したもので、日本からは荒川さんと小笠原一夫(JA1RJU)さんの2名が加わった。10エンティティから集った26名の混成グループが、約20日間で16万9000局と交信するという驚異的な記録を達成した。

コモロDXペディションD68Cの一行

DXペディションは長期間になるため3グループに分けられ、それぞれが都合の良い期間に加わるため、全員が揃うことは1度もなかった。小笠原さんは全期間を通して参加したが、荒川さんは半ばの期間6日間の運用を行った。さまざまな経験をしている荒川さんも、この時の規模の大きさには驚いている。「国際的な混成部隊のため、企画段階から大掛かりなものであった」という。

アフリカ大陸の東岸、マダガスカル島との間のモザンピーク海峡には4つの島があるが、1つはフランス領であり、3つの島が「コモロイスラム連邦共和国」を構成しており、人口は70万人弱。1975年にフランスから独立し、首都はもっとも大きなグランドコモロ島にあるモロニ。DXペディションはこの島の最北端ガラワビーチで行われた。

D68C運用する荒川さん

[10局同時運用] 

このDXペディションで記録した16万8731局は、その後も破られていないと見られており、やや詳細に紹介したい。使用するアンテナ、無線機など関連機材は総重量3トン。1カ月前には現地に揃うように送られ、設営は7日と8日の2日間で行われた。シャックは海岸沿いに建てられたバンガロ-5棟を借り、1つを管理棟とし4棟には10局の設備が置かれた。

海岸近くに周波数ごとのアンテナを建て、全バンド、全モードで同時に運用が可能とし、運用は4時間単位の6シフト。それが全参加者に割り当てられて24時間の運用が続けられた。荒川さんは6日間で8シフト32時間、18MHzから28MHzまでの4バンドを運用して約2000局と交信。

グループは第1日目に16500局を達成し、それまでの記録であるFO0AAAのフランス領クリッパー島でのDXペディションの局数を破った。さらに、最初の1週間では92728局とZL9CIが1999年にニュージーランド領キャンベル島で行った局数に近づき、2月16日に10万局を達成している。このDXペディションには「日本のハムクラブやハム個人から資金面での支援をいただき感謝している」と荒川さん。

[食べ放題だが、水は個人購入] 

このDXペディションに加わるために荒川さんは「運用以外でいろいろと苦労した」という。まず「主催クラブからマラリアの予防注射を受けておくことが条件と連絡があったが、日本では薬がない。英国在住の日本人ハムに依頼して取り寄せ事なきをえたが、出発して経由地のシンガポールに行くといくらでもあった」らしい。

日本からの航空路は大変で、シンガポールから南アフリカのヨハネスブルグに飛んだものの「予定していたモロニ行きの便が出てしまっていた。次ぎの便で現地に着いたが荷物が届かない。航空代理店に尋ねても見つからなかった」ところが「帰りにヨハネスブルグのシンガポール航空事務所でねじ込むと荷物置き場に案内してくれ、そこで積み忘れた荷物を見つけた」というハブニングもあった。

現地では「食事は食べ放題であるが水だけは個人で買い求めなければならなかった」水不足だからである。同島は24―27度Cと年間の温度差はなく温暖。ところが降雨量は少なく、しかも火山島のため雨はすぐに火山岩石の土壌に吸いこまれ、乾季には川もなくなる。「DXペディションが行われた2月は雨季ではあったが、それでも飲料水は貴重品であった」という。

この体験は7月の「関西ハムフェスティバル」と8月の「ハムフェア」の場で、それぞれ荒川さんから講演の形で報告された。ちなみに、荒川さんによると「チルターンDXクラブはその前に、南シナ海にあり5カ国が領有権を主張している南沙諸島に、また、その後モーリシャスのロドリゲス島にDXペディションに出かけており、次ぎはアフリカの島でのペディションを計画している」と言う。

[上海/コタキナバル/クアラルンプール] 

コモロ島から帰国してほどない2月下旬から3月上旬にかけて、荒川さんは上海に出張し、終末にはBY4AA、BY4AOH、BY4BJA局を訪ねてそれぞれのシャックから運用。11月には東マレーシアで開かれたSEANETのコンベンションに参加。この会場でもコモロでのペディションの模様を報告している。そのついでにサラワク州のムルから9M8AERで交信。

上海のBY4AAにて、歓迎を受ける荒川さん(左から2番目)

上海のBY4AOHを運用した荒川さん(前列左から3番目)

1か月後の12月にはマレーシアに出張し、クアラルンプールで日本人クラブのクラブ局を訪ね、9M8AER/2のコールサインでJA局を含む10数局と交信。仕事での出張もあったとはいえ、この年だけで4回ほど海外に出かけており、久しぶりの日本に落ち着くそぶりはなさそうな活動振りである。

もちろん、国内でも奈良の懐かしいNDXAの総会に出席、関西JANETの集りに参加、地元の河内長野市アマチュア無線連絡協議会年次総会に出たり、また、河内長野市文化祭にはコモロのペディションの写真を展示している。その多忙ななかで9月には岡山で開かれたVECによる米国のFCC(連邦通信委員会)アマチュア無線試験を受けて、アドバンスドからエクストラに昇格している。

ちなみに米国FCCアマチュア無線の資格取得はARRLの認定を受けたVEC(ボランティア・イグザミナー・コーディネーター)が代行しており、いくつかのVECグループが国内外でその役割を果たしている。日本でも受験の機会が増えており、この制度を利用して米国の免許を取得する人が多くなっている。