JA8ATG 原恒夫氏
No.2 北海道の戦前のハム達(1)
昭和38年(1963年)3月、原少年は岩見沢東高等学校を卒業する。高校時代には完全に「ラジオ青年」に育っていった原さんは「教科書の代わりにCQ誌を持ち歩き、送信機、受信機、アンテナの構想をいつも練っていた。勉強は全然しなかった」という。高校2年の6月、電話級アマチュア無線技士の免許を取得し、9月に開局する。コールサインはJA8ATGだった。
[始まったアマチュア人生]
昭和38年、父親と同じ北海道教育大学に入学。アパートの一室で無線ばかりやっていた大学生活だったらしい。原さんが免許を取得した翌年の、昭和37年(1962年)3月時点のアマチュア無線局数は全国で20,262局。従事者免許数は36,378名であった。このうち、北海道のJ8エリアの従事者免許数はちょうど2000名であり、全国の比率で推定するとJ8エリアの局数は1,100局強となる。
原さんは交信を通じて、徐々にハム仲間との交流を広げていく。最初の頃「遊びに来なさい」と声を掛けてくれたのが、北大生の谷本健一(JA8OW)さんだった。訪ねると「あんたの電信、何打っているかさっぱりわからんぞ」といわれる。原さんは答える「そりゃそうでしょう。打っている本人だって良くわからんですから」と応酬した。
橋本さんの送信機 --- 戦前に使用していたものを再度組み立てなおした
戦前のハムでは橋本数太郎(戦前J7CB、戦後JA8RT)さんが唯一北海道に残っていた。その橋本さんが免許を取得した日付に付いて戦前の「宮井コールブック」では2説あり、6年前の1996年に作られた「藤室衛レポート」ではさらに別の日付である。和歌山県の宮井宗一郎(戦前J3DE)さんが自費で毎年発行した「宮井コールブック」は、権威のある資料であり、現在では戦前のハムの歴史を調べる上では貴重なデータである。
その「宮井コールブック」では、橋本さんの免許取得日は昭和9年1月発行分までは昭和2年10月25日となっており、その年の8月発行以降は昭和4年11月9日に変更されている。昭和2年の秋はわが国初の「私設無線電信無線電話実験局」が免許され、9局が誕生しているがそこに含まれていないのは確かである。さらに、昭和3年の10月の官報には18名のアマチュア局が掲載されているが、そこにも橋本さんの名前はない。
北海道のアマチュア無線局(当時は私設無線電信無線電話実験局)第1号は藤縣潔(J7CA)さんであり、免許は昭和4年4月4日。橋本さんはそれより後でなければならず、やはり昭和4年説が正しいといえそうだ。北海道の戦前のハムは15名。旧制中学生時代、大学時代に免許取得したケースもあれば、社会人になってからの場合もあるのは他のエリアと同様である。
橋本さんは明治35年4月生まれ、NHK札幌放送局時代にハムになったらしい。NHK勤務のハムはわかっているだけで4名と多い。橋本さんの他、河野、伊藤、近江谷さんである。ちなみに藤縣さんは逓信局勤めだった。戦後、再びハムになったのは4名。橋本さんもその一人であるが、他の田母上さん、姫野さん、澁谷さんの3人はJ1エリアに移動してしまった。
[戦前のハム達の活躍]
戦前のアマチュア無線は、当然のことながら東京、大阪が先行した。地方にハムが誕生し始めるのは昭和4年の頃であり、北海道も決して遅れてはいなかった。ただし、北海道の戦前のハムの活躍の姿を記録したものがほとんどない点でも、他の地方と同様である。原さんは平成2年(1990年)、JARL北海道地方本部長になったが、平成4年(1992年)にアマチュア無線再開40周年記念誌「道産子ハム奮闘記」を発行した。
40周年記念誌「道産子ハム奮闘記」
この頃はまだ田母上(戦前J7CG)さんがご存命であり、貴重な戦前の思い出を寄稿されている。田母上さんによると、昭和初期、北海道にハム志望者がいないのではと推測した逓信省では、昭和3年頃に「札幌逓信局と仙台逓信局の実験局(アマチュア無線局)の認可業務を仙台逓信局に統合しようと考えていた」という。
J7CAとなった札幌逓信局勤務の藤縣さんはその頃、釧路の漁業船舶局の落成検査に行き、検査終了後の懇談会の席上で実験局の免許の話しをした。漁業会社の嵯峨社長は話しを聞いて、長男の嵯峨晃さんに「2級通信士の資格を持っているのだからお前やったらどうか」ともちかけた。晃さんは「仕事が忙しい。余裕ができてからやる。それより、藤縣さんはやられませんか」と藤縣さんが逆にけしかけられてしまったという。
北海道の戦前のハムリスト
氏名 | コールサイン | 免許取得日 (昭和) |
当初住所 | その他のコールサイン |
藤縣 潔 | J7CA | 4. 4. 4 | 札幌市南14条 | |
橋本 数太郎 | J7CA | 4.11. 9 | 札幌群豊平町 | JA8RT |
河野 七郎 | J7CB | 5. 2.15 | 同上 | |
伊藤 誠一 | J7CC | 5. 2.13 | 同上 | |
渡邊 久夫 | J7CD | 5. 4.24 | 苫小牧町本町 | |
直井 洌 | J7CE | 6. 4.10 | 札幌市南6条 | |
田母上 栄 | J7CF | 6.12. 5 | 札幌市南6条 | J2PS・MX3H・JA1ATF |
東 寛二 | J7CG | 7. 6.11 | 札幌市北6条 | |
姫野 善一 | J7CH | 14. 9. 5 | 樺太豊原町 | JA1BGJ |
橋本 亮 | J7CI | 7. 6.15 | 札幌郡浅岩村 | |
河本 富士男 | J7CJ | 7. 7.20 | 足寄群淕別 | |
近江谷 富士男 | J7CL | 7.12. 3 | 札幌市豊平2条 | |
嵯峨 晃 | J7CR | 9. 9.15 | 釧路市入船町 | |
妹尾 信義 | J7CS | 10. 7.23 | 札幌市南11条 | |
渋谷 兵衛 | J7CT | 12. 6.16 | 函館市船身町 | JA8AE・JA1NAE |
※東さんは京都放送局へ転勤、姫野さんがコールサインを引き継いだ