円間さんが自宅外に次々とビッグアンテナを自作してきたのは、海外との交信の魅力に取りつかれたためだった。「当初は初歩的なアワードを集めていたが、次第にDXCCを意識し始めた。一生DXCCの魅力から抜けきれないだろう」と言うのが円間さんの現在である。今回は円間さんの各アワードの思い出である。

[WAJA]

昭和29年(1954年)JARLは全県交信のアワードを制定した。この時、佐賀県には開局者がいなかったが「年末には最初の局が出る」との情報が入り、必然的に佐賀県との交信争いとなった。12月23日、ついに秀島照行(JA6CO)さんが電波を出した。円間さんは「そのころパイルアップという言葉は無かったが、全国からの一斉コールはすさまじかった」と、当時を語る。

交信第1号は出田喜一郎(JA6AE)さん。円間さんは2番だった。浜松の村松健彦(JA2AC)さんが申請書と秀島さんのQSLカードを列車でJARL事務所に最初に届けたことから、意義申立てがありJARLでは理事会が開かれた。その結果、村松さんには「ナンバー1」の賞状が、出田さんには「最初の完成者の認定」が決まった。円間さんにはそのような東京の事情はわからない。届いた賞状番号は5番。「カードに記載された時間で決まると思っていたので不可解でした」という。

WAJA

[WAC]

6大陸との交信であり、MIX、PHONE別、バンド別でも申請でき、MIXモードはCW、PHONEが混じっていても、周波数がどれでも良いので簡単。しかし、周波数別では難しいものもあり、160mバンドでの南米などはその一つである。円間さんが取得したのは開局3年目の昭和30年(1955年)4月である。

WAC

[WAS]

米国全州との交信。円間さんが取得したのは昭和34年(1959年)7月であり、10880番であった。このころは「設備が貧弱で東海岸は入感時間が短く交信は非常に困難だった」という。メーン州との交信に苦労したがARRA主催のコンテストを注意深くワッチして成功。また、西海岸に近いワイオミング州も局数が少なく苦労した一つであった。

WAS

[WAZ]

ゾーン23のチベット+モンゴルが難関。中国に併合される前の昭和28年(1953年)に、チベット在住のチャックラバティ(AC4NC)さんと交信した数人の日本局があったが、その後はほとんど交信無し。昭和33年(1958年)9月ころからチェコスロバキアのルドビック(JT1AA)ミラ(JT1YL)夫妻が政府の許可を得て現地から電波を出してくれた。円間さんはこの年の9月14日に交信、翌年4月に発行番号963を米国の無線雑誌「CQ」発行社から受けた。

WAZ

[DXCC]

1937年にARRLが、国、海外領土、離島などをそれぞれエンティティとして、交信をQSLカードにより審査、エンティティ数は機関誌の「QST」に定期的に掲載される。このため、自分の世界的な順位を知ることができ、世界のハムが競争心をたぎらしている。エンティティ数は国の消滅などもあり時代とともに変わっており、現存は335エンティティ。今は無き58のエンティティを含めて393エンティティが最高となる。

円間さんは40年かけて、平成14年3月17日にMIX部門で現存335エンティティを完成させた。しかし、電信部門のギリシャのマウント・アトス、電話部門の中東のパレスチナが未交信。「モード別DXCCの完成に今でも日夜交信の機会を狙っている。それほど熱中するもの」と円間さんは強調している。全エンティティ達成者には自局のコールサイン入りの「トップ オブ オナーロール」盾が贈られる。

円間さんの消滅エンティティを含めた交信数は372。世界のトップは米国のエドワード・フォーキンス(K6ZO)さんで391、日本のトップは海老沢政良(JA1DM)さんの382。もちろん両氏ともに現存の335は達成している。ちなみに円間さんの記録は国内9位。

DXCC100エンティティ完成アワードと円間さん

[DXCCチャレンジアワード]

ARRLが2000年に、現存335エンティティを1.8-50MHz内の10バンド、合計3550エンティティ達成に対して設けた。世界のトップはジョン・エシュレマン(W4DR)さんで3079、日本のトップは石野一郎(JR3IIR)さんで2869の世界17位。日本では雑誌「59」が同様な「59DXA」を創設しており、今年(2003年)8月現在、右遠光政(JH4IFF)さんが10バンド、MIXモードでトップ。2850といわれている。

DXCC370エンティティのステッカー付きのアワード

[DXCC余話]

これだけ、世界のハムが熱中するDXCCだけに、おもしろい話がある。米国のガス・ブローニング(W4BPD)さんとドン・ミレ(W9WNV)さんの2人は、しばしば珍エンティテから電波を出したことで知られていた。しかし、前人未踏の島や、入国困難な国からの電波もあるため、真意が疑われることになった。

1960年代の話しであるが、当時のハムは「結果がどうであれ、やれるものはやっておけ」の交信組と「君子危うきに近寄らず」の慎重組の2つのグループに分かれた。ARRLはDXCCの申請に対して認めたものと、無効としたものに分けた。円間さんは「私は交信しなかったので、少なからずのエンティテイを落したが、逆に両氏のQSLカードは1枚も無い、と強がりを今でも言える」と複雑な心境である。

ウクライナのロメオさんは、旧ソ連邦と国境を接する珍エンティティを巡った方であり、アフガニスタン、ビルマ、北朝鮮(朝鮮民主人民共和国)から電波を出したが、ビルマと北朝鮮については入国の事実が不明瞭なことが判明した。ARRLは「ビルマは有効、北朝鮮は無効」と判定した。この北朝鮮の無効宣言にはDXCC全エンティティ達成目前の世界のハムがひどく落胆したと言う。

西アフリカ領のFF4と仏領赤道アフリカのFQ8はQSOの難しいエンティティであった。ところが昭和35年(1960年)8月の独立により「TL、TN、TR、TT、TU、TY、TZ」の7国が一挙に誕生した。このため「新エンティティからのDXペディションが続き、大喜びした」と円間さんは言う。

DXCCトップオブオナーロールの盾

北朝鮮のP5RS7のQSLカード

[消滅したエンティティ]

円間さんが交信した後に消滅してしまったエンティティは37もある。以下にそれを記しておく。

AC3PT CN2AQ CR8AC DK2IO EA9EI ET2PA FF8AJ FH8CY FQ8AP I5EX 7J1RL JZ0ML KR6QW KS4CJ KS4KZ KZ5LS P29CD P29RJ UN1KAA VQ1HT VQ6AB VQ9HCS VQ9/D VQ9/F VS2BN VS4NW ZC5JM ZD4CC 4X4IM 9K3TL/NZ 9S4AX 4W1AF VS9AAC ET3ZU PA3CXC/ST0 ZS1IS ZS9AAA/1  計37カントリー