[日本が生んだ新システム]

JARLの技術委員会のなかの次世代通信分科会の委員となり、D−STARシステムの概要を知り実験に協力し始めるが、水島さんは「行政とアマチュア無線業界が協力して開発したシステムだけに、これまで経験したアマチュアのデジタル通信のシステムとは規模が異なる」ことを感じた。それまでアマチュア無線のデジタル化は、先進的なユーザが興味で試みたシステムや、メーカーが独自規格で始めた仕組みがあったものの「普及となる土台があったかというと、残念ながら疑問を持たざるを得なかった」と言う。

さらに「アイコムが社運を賭けて開発を支援していることにも感激した」という。開発の実情が分ってくるにともない、アイコムが採算を度外視して取り組んでいることを知らされる。「行政の提唱の下、規格化を前提として、ひとつのメーカーがそこまで熱を入れておこなうプロジェクトに、いたく興味を覚えた」と言う。その結果、水島さんは「これからはこのD−STARシステムを世に送り出すことにアマチュア無線家としての自分を生かそうと決意した」。

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実証実験説明会

[D−STAR開発の経緯]

「D−STAR」プロジェクトが発足したのは平成10年(1998年)であった。そのころには、すでに映像や音響のデジタル化が進み、デジタル化された映像がビデオテープ、DVD、HD(ハードディスク)などに記録されるようになった。また、デジタルオーディオではCD(コンパクトディスク)MD(ミニディスク)が登場して久しかった。

さらに、携帯電話はデジタル化が終わり、テレビ放送も2000年にはBS(衛星放送)が、2003年に地上放送がデジタル化されることが決まった。このため、当時の郵政省(現在の総務省)は残された通信のデジタル化を進めることになり、業務用無線はもちろん、アマチュア無線のデジタル化を企画、JARLに「アマチュア無線のためのデジタル化技術の調査検討」を委嘱した。

[アイコム採算無視で引き受ける]

その後、JARLが事務局となり、JAIA(日本アマチュア無線機器工業会)傘下のメーカー、郵政省の検査官、技官も参加した調査検討会が発足した。郵政省は調査検討の一環として「デジタル伝送シミュレーション装置」の入札を行ったが、アイコム以外に応札する企業が無かったため、アイコムは、アマチュア無線の将来を考え採算性を省みず引き受けることになった。このため、後に業界の一部からは「アイコムとJARLが組んでの開発」との誤解を招いたこともあった。

ところが実情は、その後の調査検討にほとんどのアマチュア無線機メーカーの技術者が委員として参加し、共同研究の形で進められた。さらに次年度以降も郵政省は調査検討に必要な機材をグローバル化を意識して国際入札として公募。しかし海外からも応札はなかった。このように国際的に呼びかけたという意味では「D−STAR」システムは日本のアマチュア無線業界のみならず、国際的な土壌の上で開発されたともいえる。

いずれにしても3年間他社の入札参加が無いまま、委員の意見を聞きながらアイコムが開発を続けた結果、2001年4月に、JARLは開発された機材による実用化実験を開始した。水島さんが加わったのはこのころであり、積極的に実用化実験に取り組んでいる。

[移動実験]

これまで、D−STARと呼んできたが、実際にはその名称が決まったのはこのころであった。JARLの次世代通信分科会(後に「次世代通信委員会」として独立)では、システムの仕様を決めるとともに名称を「D−STAR」(Digital Smart Technologies for Amateur Radio)と決定し商標登録を行なった。

水島さんが最初に参加した実験は、利根川の河原で車を走らせての移動局の実験であった。

「車に試作機を載せてかなりのスピードで走ったが、5kmや10kmの距離でデジタルデータの伝送が可能だった。これはすごいと感心した」のが最初の感想であった。同時に小型にまとめ上げられていることも「驚きだった」と言う。

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車に開発機を乗せて行われた初期のころの実験

次いで、東京都内でレピーターを使用しての実験にも参加した。「車が止まっている時には交信が出来たが、ビルの谷間ではマルチパス(反射波などによる受信障害)によりまったく受信できなかった。また、パソコン接続時には共有フォルダーが見えてしまう問題が発生した」と言う。これらの問題はその後改良が進めら改善された。

[予測通りの小型化]

先に触れた通り、PRUG開発のデジタル移動機は背中に背負うほどの大きさであり、水島さんは「それもやがて小型化されるはず」と予測した。D−STARの1号機はまさに予測したとおり、モービル機なみに小型化されていた。「さすがにメーカーの力は大きいと改めて感心した」と言う。

フットワークの良い水島さんは通信実験などで活躍、なかでも得意分野であるネットワーク技術では貴重な提言をしてもいる。2003年1月になると、総務省の「デジタルアマチュア無線運用のための省令改正」が施行となり、その後主要地区にレピータの設置が始まった。

このように水島さんは実験に協力し、ネットワーク分野では規格づくりにも貢献したが「今、反省しているのは操作の簡易化の面でもう少し意見を言わせてもらいたかった」ということである。「D−STARは当時考えられる範囲内で開発された最高のシステムであり、そこに参加できたのは幸せであるが、使い勝手の面でもう少し改善できなかったか。リグ操作のイージー(お手軽)モードを設けても良かったのでは」と反省している。その反省の気持ちが、その後の水島さんの活動につながってゆく。

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水島さんは兵庫県の明石大橋でも交信実験を行った