ナイル殺人事件

Amazonから届いたDVD「ナイル殺人事件」(1978年・ユニバーサル作品)は、アガサ・クリスティの推理小説「ナイルに死す」(1937年)の映画版で、名探偵「エルキュール・ポアロ」が事件を解決する紀行ミステリー。原題はDeath On The Nile、ビスタサイズ(16:9)、カラー映像が鮮明、デジタル・リマスター版だけに古さを感じない。豪華クルーズ船に3泊してアスワンハイダム、コム・オンボ神殿、ホルス神殿など古代遺跡を巡る。

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写真1. ナイル殺人事件

6千年の歴史を誇るエジプトが、19世紀末にイギリスの保護国(実質的な植民地)となり、第一次世界大戦後の1922年に独立する。イギリスの影響力を残す時代背景に金持ち階級の贅沢なクルージングが克明に描かれて、俳優がピラミッドに登るシーン(今は登頂禁止)や34年前のスフィンクス、移設前のアブ・シンベル大神殿に感銘を受ける。ホルス神殿に馬車で向かうシーンも現代と変わらない。本編134分、日本語字幕、1,034円。

ギザの3大ピラミッド

エジプト・アラブ共和国の首都カイロを起点に8日間のツアーに参加する。東京(成田)20:50エジプト航空MS965に乗り、翌日03:50カイロ着。ホテルにて朝食後、バスで世界遺産ギザのクフ王の大ピラミッドへ。平均2.5トンの石灰岩230万個を210段積み重ねたピラミッド。地震にも倒壊せず4500年が経過。入口から緩やかな上り坂、途中から高さ1.3mの上昇通路を上り大回廊に出る。石落とし装置のある控えの間を通り、たどり着くのが王の間、ここに赤色花崗岩の石棺が置かれている。内部の見学は午前と午後、150人ずつの人数制限がある。ピラミッド見学£60、内部入場料£100、1エジプトポンド:13.60円。

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写真2. ギザの3大ピラミッド

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写真3. スフィンクスを背景に記念撮影

ハプニングを乗り切る

ピラミッド内部の見学を終えて、携帯電話がバッグのポケットからなくなっていることに気づく。「身体を屈めて歩いた時に落としたか、王の間で盗られたか・・・。」見学者が多いので戻るのは不可能。「携帯電話の紛失届を出さなくては・・・。」 警察に届け出なくてはいけないが、ツアー中なので添乗員に紛失を伝える。

この後、高さ20m、長さ57mのスフィンクスを見学。太陽の博物館に4,500年前のクフ王の葬儀用の船を見学する。船の全長43m、1954年、大ピラミッドの南側で発見された。船で使われていたロープなどが展示されている。入場料£50。午後は古代エジプトの最初の首都メンフィスへ、現在は野外博物館となっている遺跡を訪ねる。ラムセス2世(紀元前1279〜1213年)の巨像ほか、立像、アラバスター製(大理石の一種)のスフィンクスなど。続いてバスでサッカラ・ダハシュールの赤のピラミッド(紀元前2613〜2589年)と黒のピラミッド(紀元前2613〜2589年)、途中から傾斜角が緩くなっている奇妙なピラミッド屈折ピラミッド(紀元前2613〜2589年)を見学。

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写真4. 太陽の博物館に4,500年前のクフ王の葬儀用の船が展示されている

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写真5. ラムセス2世(紀元前1279〜1213年)の巨像

ホテルにチェックインした後、持参のノートパソコン(HP Mini 5103)でWiFiに接続してメールで留守宅にNTTドコモに紛失届を依頼する。因みにWiFiの利用料は1時間US6ドル、1日US15ドルでした。留守宅からの返信は「利用の中断は契約者本人でなければならない」というもので、次いで「暗証番号でパソコンから利用中断ができる」と連絡してきた。

さらに調べると「海外からドコモのケータイを利用している場合に限り通話料が無料になる」と知る。添乗員の私物のケータイを借りてカイロ空港の搭乗口からドコモに電話して、本人確認(名前、生年月日、ケータイ番号、暗証番号)を済ませて、「利用の停止と再開、ケータイ補償など」について説明を受ける。本人確認の「4桁の暗証番号」が決めてでした。これにて一件落着!

※詳しくはdocomoのwebサイトでご確認ください。

アスワンへ

カイロ発MS090 04:50、アスワン着06:15.着後バスで285km(3時間)南下してアブ・シンベルへ。先頭と後尾の車両に銃を持った警察官がテロ対策に同乗し、さらに車両の故障に備えて何台ものバスが隊列を組む物々しさ。3時間、トイレ休憩のない過酷なツアーに戸惑う。

アブ・シンベル神殿

スーダンとの国境近くのアブ・シンベル神殿は、ダムの水没から避けるために1960年から5年の歳月をかけて、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の援助により移設、その姿を今も保っている。神殿は小さなブロックに切断されて北へ64m、西へ110m移動した。ラムセス2世(紀元前1279〜1212年)が建築した砂漠の中の巨大な大・小岩窟神殿を見学。大神殿大列柱室に戦うラムセス2世、カデシュの戦いなどがレリーフと共に象形文字が浮き彫りにされている。続いて大神殿から北へ100m行くとラムセス2世の第1王妃ネフェルタリとハトホル女神に捧げられた小神殿がある。

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写真6. アブ・シンベル神殿(移設後)

ナイル川クルーズ船

約1時間30分の見学を経て再びバスで285kmの道のりを駆け抜けてアスワンに戻る。ここで5つ星クルーズ船「プリンセス・サーラ号」にチェックインする。ツインルームが20室、ダイニングルームやプール、パーティルームを備えたホテルのようなクルーズ船に乗り込む。60馬力のエンジンが4機、発電用の60馬力のエンジンが2機、川舟なのでエンジンの回転音は響かず、なめらかにナイル川を進んで行く。

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写真7. 5つ星クルーズ船「プリンセス・サーラ号」

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写真8. 「プリンセス・サーラ号」のロビーと豪華な階段

今夜はアスワン停泊。翌朝、バイキングの朝食を済ませてアスワン市内観光(約2時間)アスワンハイダムを見学、同ダムは軍事機密のため撮影に制限があり、銃を持った軍人が警戒している。スナップ写真程度は問題ない。この後、切りかけのオリベスクへ。オリベスクとはピラミッドに付属する太陽神のご神体のことで、長さ41.75m推定重量1,168トン。途中ひびが入ったために放置されている。入場料£30

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写真9. 切りかけのオリベスク

ルクソールに向けてクルーズ開始。お昼頃、ナイル川畔の小高い丘の上にあるコム・オンボ神殿へ。徒歩でライトアップされた神殿を見学。船内では現地ガイドによる簡単なアラビア語講座が開かれ、操舵室の特別見学も。船長の傍に大型のナイフが置いてあったのが印象に残った。夕食後、ガラベイヤパーティが開かれた。民族衣装を着て踊りを楽しむものだが、疲れていたので参加しなかった。エドフに停泊。

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写真10. コム・オンボ神殿

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写真11. コム・オンボ神殿の列柱

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写真12. コム・オンボ神殿のレリーフ

夕刻、馬車に乗ってホルス神殿へ。ハヤブサの神ホルスを祭る神殿。中庭のホルス神像が美しい。歴代のファラオ(古代エジプトの君主の称号)が増改築して複雑な構造になった。馬車の乗車賃はチップを含めて支払い済みだが御者はチップをせがむので、添乗員から秘策を授けられた。にこにこしながら「ショクラン」(ありがとう)を連発して馬車から下りると、御者はあっけにとられてなすすべもない。観光後、ルクソールへ向けてクルーズ。途中、エスナの水門を通過する。夜はくるくる回転し曲芸的に踊るタンターラ・ダンスとベリーダンスのショーを楽しむ。ルクソールに停泊。

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写真13. ライトアップされたホルス神殿

朝食後、クルーズ船を下りる。バスに乗り換えて世界遺産のルクソール西岸観光(3時間)。王家の谷(ツタンカーメン王の墓を含む3つの墓に入場。次いでハトシェプスト女王葬祭殿を見学。午後はボートに乗りルクソール東岸観光(2時間)へ。クレオパトラとシーザーも訪れたカルナック神殿、ルクソール神殿を見学。第1塔門のオリベスクは対になっているのが本来だが、もう1本のオリベスクはパリのコンコルド広場にある。1830年、国王モハメド・アリからフランス国王ルイ・フィルブクスにオリベスクを贈ったという。夜、ナイル・エキスプレス(1等個室寝台)にてカイロへ。

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写真14. ルクソール神殿のツタンカーメン王とアンケセナーメン王妃

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写真15. ルクソール神殿の第1塔門前のオリベスク

カイロではエジプト考古博物館を見学(3時間)。ファラオの栄光と財力を傾けた12万点を超える遺産コレクションが見られる。王家の谷で発見されたツタンカーメンの黄金のマスクや玉座など。圧巻はラムセス2世やトトメス3世など、歴代の王や王妃のミイラを安置した特別室(入場料£100)を静かに見学する。館内は撮影禁止。夕食後、空港へ。カイロ発23:20 MS964便で翌日の18:00成田空港へ到着して、8日間の旅は終わった。

おわりに

首都カイロの印象は「混沌」(こんとん)の一言に尽きます。砂漠の砂が街中に吹き付けるせいか、いたるところが砂色にくすんでいる。信号機と横断歩道がない道路は車がひしめきあい、人は車の間を縫って横断し、クラクションがあちこちで鳴り響き人がひしめく、これがカイロの日常で見方を変えると活気に満ちていると言えるのかもしれない。デモにこそ遭わなかったものの、のんきに市中を散策する雰囲気はなく、土産物売りが絵葉書を手にして「ワンダーラ」、スカーフを掲げて「10枚千円」と叫ぶ子供たちから逃れるのは並大抵でない。これは34年前の映画のシーンと同じで識字率40%、失業率が高く、政情不安なエジプト・アラブ共和国、8千4百万人の行方が気がかりだ。