Onlineとーきんぐ
No.161 「サハラ砂漠の国 モロッコ紀行」
日本の約1.2倍の面積に人口3,195万人(2010年)のモロッコ王国(プリフィックス:CN)を訪ねました。JTBの旅物語「モロ得モロッコ8日間」に参加して、無線機を持たないアフリカ5か国目の観光旅行です。モロッコにはARRAM(モロッコアマチュア無線王立協会)がありますので、事前に連絡してアイボールQSOも考えられますが、多くの観光地をバスで駆け巡る暴走ツアーのため、そのような願いはかないません。
モロッコと周辺国の地図
旅行中はコールサイン入りの帽子をかぶりモロッコのアマチュアの目に留まることを期待しましたが、声を掛けられることはありません。また、バスの車窓からアンテナを探しましたが一度も見かけませんでした。首都のラバトでHF帯3素子モノバンドの大型アンテナを見かけて胸が高鳴りましたが、あれは大使館の業務用のアンテナだったかもしれないと思い直しています。モロッコの通貨はDH(ディルハム)、「ハム」が使われているのが慰めでした。因みに1モロッコDHは約12 円になります。
アフリカ5か国目
2012年5月、南アフリカ(ZS)、ジンバブエ(Z2)、ボツワナ(A2)の3ヶ国(OnlineとーきんぐNo.142)、2012年12月のエジプト(SU)、そして今回のモロッコ(CN)訪問でアフリカ5か国目となりました。「なぜアフリカなのか」と問われて的確な答えを持ち合わせていませんが、アフリカ大陸に魅せられたのは確かです。いつの頃からか始めたミニグラスのコレクションです。左からモロッコ、エジプト、南アフリカになります。
ミニグラス(左からモロッコ、エジプト、南アフリカ)
モロッコへ
11月4日、エールフランス航空AF277便で成田空港を出発、所要時間約13時間でパリのシャルル・ド・ゴール空港に到着しました。ここでAF1896便に乗り換えて、約3時間でモロッコのカサブランカ空港に降り立ちました。1942年製作のアメリカ映画「カサブランカ」はフランス領モロッコを舞台にハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンによるラブロマンスがあります。あの映画は終始ハリウッドのスタジオで製作されたということですから、映像に現実のカサブランカを求めても無理とわかりました。空港からバスに乗り換えて約240km先の世界遺産マラケシュを目指しました。
世界遺産マラケシュ
【11月5日】
モロッコの中央に位置する標高450mの都市マラケシュは、背後のオート・アトラス山脈によって、北の肥沃な大地と南のサハラ砂漠を分ける分水嶺となっています。城壁に囲まれたマラケシュの旧市街(メディナ)は、現在も人々が生活を続ける「スーク」(市場)や「ジャマ・エル・フナ広場」が世界遺産に指定されています。「スーク」は間口一間ほどの小さな店が細い道の両側に並び、どこまでも続く迷路のような商店街です。専門のガイドに頼らなければ、スークから脱出は困難と言われています。
店で売っているのは肉や野菜、香辛料、アクセサリ、スリッパ、ベッド、皮革製品、織物、工芸品、ありとあらゆるものが山積みにして売っているが、値札がないので安い値段から始めて値切りを楽しむのがスークの常識のようです。
「革なめし職人地区」はスークの外れに革なめし職人地区があります。羊や牛の生の皮を動物の尿に浸けているとかで、ものすごい臭気が漂い居たたまれません。ガイドから生のミントを渡されて鼻の孔に詰めるように言われました。ミントの香りが異臭を防いでくれますが、鼻の孔から飛び出たミントは異様な光景でした。ここで作られた革材料はフランスやイタリアに輸出されて有名ブランドに採用されているということです。
次にマラケッシュのシンボル「クトゥビアの塔」を訪ねました。塔の高さ約77mのミナレット(塔)は、ナツメヤシの森と調和して美しく、1147年に着工、その後、メッカの方向に向いていないとしてモスクを一度破壊、1199年モスクを建て直して現在に至るが、今も塔の南側に破壊されたモスクの基礎部分が見られます。クトゥビアとはアラビア語の「本屋、写本屋」に由来するもので、12〜13世紀にモスクの周りに写本屋が集まっていたことから名づけられました。
マラケッシュのシンボル「クトゥビアの塔」
スークに隣接する「ジャマ・エル・フナ広場」に着いたのは、夕闇が迫るころ。組み立て式の屋台の食べ物屋が整然と立ち並び裸電球が闇夜を照らしています。人だかりを覗くとアクロバット芸やベルベルダンスなどの大道芸でした。昭和30年代のお祭りのような雰囲気です。暗闇を歩くと、蛇使いの前でコブラが鎌首をもたげてじっとしていますが、威嚇のシュルシュルという音が不気味です。親子のサルを抱えたサル使いなど、いずれも写真を撮らせてチップを稼ぐ稼業のようです。この広場はかつて公開処刑場でもあったということで歴史の移り変わりを感じる場所でもありました。この日の昼食はシシカバブ、夕食は世界最小のパスタ、クスクスを食べました。
「ジャマ・エル・フナ広場」の屋台
【11月6日】
広大な庭園と豪華な個室が並んだ美しいバヒア宮殿を観光した後、マラケシュの旧市街を馬車に乗って優雅に巡りました。
美しいバヒア宮殿
マラケシュの旧市街を馬車に乗って巡る
昼食はケバブ料理(四角形に切った肉を串に刺して焼いたもの)を食べた後、バスで標高2,260mのティシカ峠を越えて179km、アイト・ベン・ハットゥ(世界遺産)村へ行きました。ここは日干しレンガ造りの古いクサル(要塞化された村)のひとつです。村の入口で「キャンディーちょうだい」と手を出す少女に出会いました。小川のほとりにある丘の斜面に立体的に造られた村の住みにくさを考えると、「なぜこのような要塞を構えて、現代も住み続けるのか?」 迷路のような村内を歩きながら考えましたが答えが見つかりません。ここからバスで34km、ワルザサードへ夕刻到着しました。
世界遺産アイト・ベン・ハットゥ村
日干しレンガ造りの古いクサル(要塞化された村)
【11月7日】
午前7時35分、ホテルを出発。カスバ街道を走りトドラ渓谷へ169kmをひた走り。途中、バラ香水店に立ち寄り、友人から頼まれたローズ・ウォーター、アルガンオイル、ガスール顔パックなどを購入しました。この後、カスバ街道きってのダイナミックな景勝地、トドラ渓谷へ進みました。ヨーロッパからロッククライマーがやってきて、この岸壁で練習しています。昼食は小川のほとりのホテル・ヤスミナでコフタ料理(ひき肉を串に密着させて焼いたもの)を食べました。
ダイナミックな景勝地、トドラ渓谷
小川のほとりのホテル・ヤスミナ
トドラ渓谷から75km、オアシスの町ティネリールへ。サハラ砂漠の地下水道遺跡に立ち寄りました。
サハラ砂漠の地下水道遺跡
ここから70km走行して砂漠の入口エルフードの町、エルアティホテルに到着しました。夕食はバイキング。明日のホテル出発が午前4時30分なので、早めに就寝しました。
【11月8日】
午前3時半、モーニングコール。眠い目をこすりながら身支度を整え、荷物出しを終えてロビーに集合したのが4時過ぎ、防寒ジャンバーを着て手袋、帽子を被り、手にはLED懐中電灯を持ち、トヨタのランドクルーザーに乗りこみ、4時半に4輪駆動車5台が砂漠を目指して一斉に走り出しました。辺りは真っ暗闇、市街地を抜けて砂漠地帯に入り道なき道を走ります。夜明け前にメルズーガ大砂丘を目指し約60km、夜明け前の星空と幻想的なサハラ砂漠の日の出を観賞します。4輪駆動車から降りると、そこは赤い色の砂丘が広がっており、ヘッドライトの先にラクダのシルエットが浮かびます。
ラクダの背に揺られて30分ほど、砂丘から日の出を拝むという夢のような時間を過ごしました。ラクダの手綱を握るのは先住民族のベルベル人の若者たちです。人懐こい笑みを浮かべて片言の日本語で話しかけてきました。6時40分に砂漠の地平線から日の出が始まりました。日が昇ったところで、再びラクダに乗って出発地点に戻ります。朝食は砂漠のオーベルジュ(ホテルレストラン)にてベルベル人スタイル(タジン料理など)の朝食をいただきました。
メルズーガ大砂丘の日の出
日が昇ったところで、再びラクダに乗る
朝食は砂漠のレストランにてベルベル人スタイルのタジン料理
お土産に最適なミニタジン鍋
大砂丘の見学を終えて4輪駆動車で60km走行してエルフードのホテルに戻り、バスに乗り換えて一路フェズに向かいました。255kmを走行してアトラス山脈の麓「ミデルト」に、そこから140km先の標高1650mの高原リゾート「イフレン」にて小休止。さらに65km走り、夕刻「フェズ」のホテル・ミンゼザラーに到着しました。この日の昼食はマス料理、夕食はバイキングでした。
【11月9日】
世界遺産フェズの観光
フェズ・エル・バリの入口、タイル装飾のブー・ジュルード門をくぐると1,000年前の世界に迷い込んだ気分になります。モロッコ国王がフェズに滞在するときに使われる王宮、ブーイナイア神学校、大工職人たちのネジャーリン広場、現代も続く学問の場所カラウィン・モスクなどを観光した後、革染め職人地区のタンネリーを見学しました。
タイル装飾のブー・ジュルード門
革染め職人地区のタンネリー
再びバスに乗り82kmを移動して世界遺産のヴォルビス遺跡に到着しました。ここは紀元前1世紀にベルベル人のマウリ部族の王国でしたが、ローマ人が入ってきて、ローマ帝国の西限の都市として属州となり2万人が住んでいたということです。
世界遺産のヴォルビス遺跡
1時間で見学を終えてバスで60km移動、世界遺産メクネス遺跡に到着しました。
メクネスではマンスール門、エディム広場を観光した後136km走り、首都ラバトに到着、ラバトホテルに宿泊しました。昼食はタジン料理、夕食はバイキングでした。
【11月10日】
世界遺産ラバト市内観光(約1時間)、ハッサンの塔、ムハンマド5世の霊廟を見学して、バスで約100kmカサブランカへ移動しました。ここでもハッサン2世モスク、モハメド5世広場を1時間ほど観光しました。この後、カサブランカ空港からエールフランス航空AF1597でパリ(シャルル・ド・ゴール空港)を経由して、AF278に乗り継ぎ11日午後19時25分、成田空港に戻ってきました。
あとがき
成田-パリ12時間、パリ-カサブランカ3時間の計15時間、乗り継ぎ時間を入れると20時間近くになり、気軽に行ける距離ではありませんが、モロッコ国内を観光バスで周遊して全体像をつかめたような気がいたします。モロッコのタブーに「国王および王室の批判」「王宮、軍事施設の撮影」「宗教に対する誹謗、中傷」「一般女性(男性)の撮影」などに注意しなければ不測のトラブルに巻き込まれることもあると感じました。ZS、Z2、A2、SU、CNと続いたアフリカ旅行はこの辺で一区切りにしたいと思います。