4月上旬、初めてのロシア・ツアー「ロシアスペシャル8日間」(クラブツーリズム)に出かけました。出発に先立ち1枚のQSLカードをここに紹介しておきます。ロシアの局とはSSTV、RTTYで幾度となく交信しましたが、2008年11月2日、KH2/NV1Jのコールサインでグアム島のPalm Tree DX Club(WH2DX)レンタルシャックからSSBモードを運用してヨーロピアン・ロシアから呼ばれた時の交信カード(RV6HT)です。

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KH2/NV1Jで交信したRV6HTのQSLカード

1日目(4月2日)、成田空港からボーイング787(JL413)にてフィンランドのヘルシンキ空港へ向かいました。ヘルシンキで思い出されるのは、昭和27年(1952)ヘルシンキオリンピック(7月10日から8月3日)です。水泳の橋爪四郎選手が競泳男子1,500m自由形で銀、同100m自由形の鈴木弘選手が銀メダル、小野喬選手が体操男子跳馬で銅メダルに輝きました。奇しくも同年7月29日、全国の免許申請者30名に予備免許がおりて、戦後、アマチュア無線界の新しいスタートを切る記念すべき日となりました。ヘルシンキ到着後、マーケット広場、ウスペンスキー寺院、ヘルシンキ大聖堂を見学して、この日はホリデイインウエストルオに宿泊しました。

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ヘルシンキ大聖堂

2日目(4月3日)、ヘルシンキ中央駅から高速列車「アレグロ」号No.784に乗車しました。頑丈そうな列車が高速走行すると横揺れがひどくて歩くのが難しく、「レールのメンテナンスが悪いのか?」と考えていると、「席を立たないように」との車内案内と共に国境を越える辺りで拳銃を携行し、無線機を身に着けてタブレットを操作する国境検札官により税関と出入国審査を受けます。列車内のWiFiは無料なので、スマホを取り出してメールチェックやネットサーフィンをやって検札を待ちました。なお、観光ビザはクラブツーリズムが申請を代行してくれましたが、旅行の予約確認書と現地旅行会社からの招待状(旅行確認書)を添付して駐日ロシア大使館に申請するため、個人旅行は簡単ではないようです。

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ヘルシンキ駅ホームのアレグロ号

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アレグロ号の車中に無料のWiFiが使えました

乗車3時間半でサンクトペテルブルグ駅に到着しました。同市は1924 -1991年の間、レニングラード市と呼ばれていました。ここは第二次世界大戦の独ソ戦でドイツ軍がレニングラードを900日にわたって包囲し、飢餓や砲爆撃によって100万人以上の市民が死亡した歴史があります。ピョートル大帝による建都(1703年)以来、1754年には冬宮が完成し、その一角にエルミタージュ美術館の元となる展示室が開設されました。詩人で作家のアレクサンドル・プーシキン、『罪と罰』のフョードル・ドストエフスキーを輩出しているほか、プーチン大統領も同市出身です。

サンクトペテルブルグ駅に到着後、専用バスにて市内観光に出かけました。サンクトペテルブルク歴史地区(世界遺産)のイサク聖堂、聖堂の騎士像、血の上の教会、丘の上救世主教会を外から観光した後、クラウンプラザエアポートへ。

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丘の上の救世主教会

3日目(4月4日)、世界3大美術館の一つ、ロマノフ王朝の栄華を極めたエルミタージュ美術館は、サンクトペテルブルグ随一の大宮殿を6時間かけて見学しました。金箔の装飾と壮大な宮殿内部に圧倒され、維持管理に莫大な費用が掛かり原油やガスをいくら売っても追いつかないのではと考えていました。

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エルミタージュ美術館

ロシア・バロックの大使の階段」を上り、「将軍の間」「ピョートル大帝(小玉座)の間」「紋章の間」「1812年祖国戦争の画廊」「聖ゲオルギー(大玉座)の間」を見学し、18世紀後半に英国で造られた「ハヴァイリオンの間」のカラクリ時計「孔雀の時計」の精緻な作りに驚く。「イタリア美術」へ進むと「ダ・ヴィンチの間」でリッタの聖母、ラファエロのコスタビレの聖母、聖家族などを鑑賞。ラファエロの手になるヴァチカンのフレスコ画が壁面に模写されています。そして「フランドル美術」「オランダ美術」「スペイン美術」「ヨーロッパ美術」にセザンヌ、ルノワール、モネ、ゴーギャン、ゴッホ、マティス、ピカソの近代美術を鑑賞しました。

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聖グルオギー(大玉座)の間

4日目(4月5日)エカテリーナ宮殿へ。1724年、ピョートル大帝の妃、エカテリーナ I 世のために建設されました。外壁の長さ約300m、青い塗装のロシア・バロック建築に55の続き部屋はどこも金色に装飾されてまばゆいばかり。中央の階段を上がると東側に目覚める天使、西側に眠れる天使の彫像が出迎えてくれます。歴史展示室の次が大広間、ここは「おろしや国酔夢譚」(井上 靖)で知られる大黒屋光太夫がエカテリーナ II世に拝謁し、帰国の許可を得たとされています。続いて、壁一面を琥珀で覆った「琥珀の間」。第2次大戦時にナチス・ドイツ軍に持ち去られたが2003年に再現された。そして絵画の間、緑の食堂、青の客間などへ続く。いずれも世界遺産「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」に登録されています。昼食後、ピョートル大帝の夏の宮殿と呼ばれるペテルゴーフへ。サンクトペテルブルグの南西約30kmにある庭園と噴水を備えた宮殿。フランス式の上の公園、噴水と金色の彫像群が美しい下の公園です。1723年に完成。

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エカテリーナ宮殿の下の公園

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ウスペンスキー大聖堂

5日目(4月6日)、サンクトペテルブルグ空港からAEROFLOT(ロシア航空)にて1時間15分、モスクワへ移動しました。着後、セルギエフ・ポサード大修道院(世界遺産)へ。16世紀に築かれた城壁に囲まれた中の教会の一つ。ロドネジュの聖セルギウスによって13世紀半ばに創建されました。同修道院のシンボル、ウスペンスキー大聖堂は1585年に完成。玉ねぎ型をした4つの水玉模様のドームの中央に金色のドームを持ち、内部に巨大なイコノスタスが立ち、17世紀のフレスコ画で覆われています。

イコノスタスとは、寺院の内部を一般信者が礼拝する場所と至聖所とを隔てるイコンの壁のことです。一列に並べたイコンを何段かに積み上げて一枚の大きな壁面を形作っているものを指します。この日からベストウェスタンヴェガに2連泊。

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ポクロフスキー聖堂

6日目(4月7日)、早朝、世界遺産の赤の広場を散策しました。レーニン廟を左に見て広場の端まで歩くと10分余の距離がありました。「あの軍事パレードが行われる広場」と納得する広さがありました。因みに「赤」は古代スラブ語で「美しい」を意味し「美しい広場」となります。その南側に立つボクロフスキー聖堂(ワリシー寺院)の高さ46mの塔を始めとする9つの玉ねぎ型のドームは、9つの教会が繋がる不思議な建築様式です。いまは観光施設として大勢の入場者を受け入れています。次に近くのグム百貨店に立ち寄りました。1921年、レーニンの命により国立百貨店として開設され、内部は吹き抜けの3階建てで3つのアーケードが並んでいます。有名ブランド店やみやげもの店、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキンの店がありました。

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赤の広場と大統領府、左がレーニン廟

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グム百貨店の内部

午後、大統領府があるクレムリン(世界遺産)に入場しました。入るときは厳重な検査を受けるのが通常ですが、現地ガイドによると「日本人の検査は緩やか。」という通り、他の外国人の長い列をしり目に簡単に通してくれました。友好のサインなのでしょうか? ビルの屋上に大統領旗がひるがえるロシア連邦大統領府に見とれていると、突如、遠方よりヘリコプターが近づいて来て、にわかに警備が厳しくなりました。折からクレムリンを訪問中の外国要人の歓迎会にプーチン大統領が市内の執務所から飛来してきたとわかりました。市街地の道路の大渋滞が避けられないため、将来的にはクレムリンを観光施設として開放する計画もあると聞きました。この後、皇帝の戴冠式やモスクワ総主教の葬儀に使用されたウスペンスキー大聖堂に入場しましたが、プーチン大統領の就任式もここで行われました。ロシア人ガイドが別れ際に「日本に悪意を持っていないと伝えてください。」のメッセージを記憶にとどめて、ロシア・ツアーを終えました。

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大統領府(左)と丸屋根の聖堂

イミテーション・ゲーム

帰国便のボーイング787(JL442)の機内で観た映画「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」(原題:The Imitation Game)ベネディクト・カンバーバッチ/キーラー・ナイトレイの主演(115分)が面白かったので紹介しておきます。「英国政府が50年間隠し続けた秘密のミッションがテーマ。冒頭、モールス信号が流れ軍用無線機の製造工場のシーンが流れて「無線好き」にあっと思わせました。第二次大戦時、天才数学者アランは英国秘密部隊のプロジェクト・メンバーの一員として、ドイツ軍が誇る世界最強の暗号「エニグマ」を解読する任に就き、マシーンの導入を提案して他のメンバーと対立しながら暗号の解読に至る。」 暗号解読マシーン(コンピューターの原型)の製作と改良過程が描かれ、1600万人の命を救うことになるが、天才ゆえに誰からも理解されない宿命と妬みから刑役(薬物療法)に服し自殺に至る。後に恩赦により名誉を回復するストーリーです。

あとがき

ツアーを続ける中、時々みぞれが降る気候にもかかわらず、室内はTシャツで過ごせる温かさに厳寒のロシアの印象が変わりました。石油とガスの産出が豊富な国らしく豊かな暮らしが垣間見える中、ソ連時代の名残もそこここに見られました。ガイドが言う「ロシアはいまが転換期です。」の意味するところは、地政学的な問題を抱えながら西欧型の豊かさを目指すと言うことでしょうか、いろいろ考えさせられる有意義なロシア・ツアーでした。

参考:ロシア/バルト三国(クラブツーリズム株式会社) 地球の歩き方2014~15ロシア(ダイヤモンド社)