Onlineとーきんぐ
No.180 「上海ハム交遊録2015」
6月12日、茨城空港からLCC(格安航空会社)の春秋航空に搭乗して3時間半、上海浦東空港に降り立ちました。2009年の「上海 Ham Radio EXPO」の取材から6年が経っていましたから空港の施設に初めて見るような新鮮な感じを抱きました。
先月、上海の徐儒(シュ・ル)さんと連絡を取ったところ4月20日、BA4CA黄耀曾さんが103歳で亡くなったと訃報がもたらされました。徐儒さん(85歳)は上海ハム界の重鎮でBY4AAの初代台長(局長)、SRSA(Shanghai Radio Sports Association)秘書長(事務長)を務め、上海アマチュア無線界の普及に大いなる指導力を発揮されました。傍らBA4AAのコールサインで14.180MHzの"BAネット"にオンエアされ、CWの名手でもあり、日本や米国からの訪問客と英会話によるコミュニケーションが取れる国際人でもあります。
懐かしい顔
通い慣れた空港なのに6年の空白は見るもの聞くものが記憶から薄れてあいまいなものにしていました。空港施設を拡張したらしく巨大な施設を入国審査の窓口をめざして、外国人用の長い列に並び順番を待ちました。「ノービザ」とパスポートを見ながら係官がつぶやき、反射的に「イエス」と答えました。"短期滞在ならビザは要らない"と自信を持って上海にやってきましたので、係官のつぶやきにドギマギしました。
ここでビザの免除の事由を示しておきます。「一般旅券を所持する日本、シンガポール、ブルネイの3ヵ国国民が、中国へ観光、商用、親族知人訪問或いは通過の目的で入国する場合、滞在日数が入国した日から15日以内であればビザが免除され、外国人向けに開放された空港、港から入国できる。」
税関検査場を通り抜けて迎えの人が待つエリアに入ります。SRSA※の前主席(会長)の顧安義(グ・アンイ)さんの懐かしい顔を見つけて手を振りました。顧さんは上海体育委員会の元幹部で現役の頃はおいそれとお会いできない方でしたから今回のお出迎えに恐縮しました。
※上海無線電運動協会(Shanghai Radio Sports Association)
SRSA王秘書長(左)、SRSA前顧安義主席(右)
はじめてお会いしたのは1989年、上海体育館に隣接する体育関係者専用ホテルの建設現場に連れて行かれたときでした。「ホテルが竣工したら招待するよ」。社交辞令と聞き流していましたが、翌年、徐儒さんを通じて「オリンピックホテルにクラブ局を作りたい」と協力要請があり、BY4AOHの開局が現実のものとなりました。この時、三好二郎さん(故人、JA3UB)と一緒にBY4AOHの開設に協力した思い出があります。
BA4CA(SK)
BA4CA黄耀曾さんが103歳でSK(サイレントキー)になりました。この間、100歳記念(アマチュア歴77年)を祝ったばかりなので、あれから3年、2015年4月18日、「アマチュア界の最高齢者がSK」のニュースが内外を駆け巡りました。ファンさんは1936年XU8CA、1946年C2CA、1992年BA4CAを開局した上海の代表的なOT(オールドタイマー)です。亡くなる直前まで14.180MHzのBAネットで毎日欠かさず運用していました。因みに愛用の無線機はアイコムIC-756トランシーバーでした。
BA4CAの100歳記念QSLカード
1992年12月22日、個人局の開設を祝い、BAネットにて内外の局と交信して喜びを表しました。中国で著名なBA1CY周海嬰(チョウ・ハイイン、故人)さんと共に北京・上海のOTが一緒になり中央政府に働きかけて「個人局の開設」にこぎ着けました。その頃、ex JA1CLN(故人)と私はBY4AOM「上海電子学会」の海外会員でしたから、個人局についての情報が逐一入ってきました。
オリンピックホテル
儒さん(BA4AA)に2泊3日の宿泊予約と会いたい人のリストをメールで伝えて滞在計画を作っていただきました。ホテルは定宿の「上海オリンピックホテル」です。ここにはクラブ局があり、外国人運用許可証を提示するとBY4AOHの運用が許可されます。ホテルの屋上にトライバンド八木アンテナが上がっているのでアマチュア局があるとすぐにわかります。同ホテルの初代総経理(社長)の顧安義さん肝いりのホテル内クラブ局が「いつでも運用可能に整備されている。」のは驚きに値します。今回は時間が取れなくて残念ながら入室していません。
BA1AA 童效勇さん(79歳)
BA1AAとアイボールQSO
折から上海に滞在中のBA1AA 童(トン)さんがオリンピックホテルを訪ねてくれました。トンさんは「CQ現代通信」(人民郵電出版社)の編集員として、またレポーターとして北京・上海で活躍されていると聞きました。あのBY1PKの消息を尋ねると「休局中」と寂しい情報に接しました。79歳の童さんの健康の秘訣は「毎日、昼寝を欠かさないこと。」と伺いました。夫人の焦亮梅さん(BD1AYL)はCQ現代通信の4月号に「上海手振り電鍵クラブ」を寄稿していました。別れ際に童さんからアイボールQSOの印に特製の写真入りメダルをいただきました。
BA1AAとBD1AYLのアイボールQSOメダル(Zライトの基部に貼りつけた)
BY4ALC
6月13日午前、ex BY4ALCの元教師、鄭正文(チェン ジェンウン)さん夫妻が訪ねてきました。鄭さんは中国福利会少年宮の英語・科学の教師でしたが、傍らBY4ALCを運営して、多くの子どもたちをアマチュア・オペレーターに養成しました。その後、英語力を買われて国際交流が増えたSRSAに招かれて秘書長を務めた時期がありましたが、再び中国福利会に呼び戻されて国際的な連絡処の処長を歴任して6年前に定年を迎えました。折からコペンハーゲンの外資企業に勤める娘さん(燕=イエン)宅の訪問から戻った鄭さん夫妻と昼食を共にして近況を伺いました。
BA4AA徐儒さん(左)とex BY4ALC鄭正文さん
左からBA4AA、BA1AA、JA1FUY、ex BY4ALC
BY4AA
午後、上海軍事体育クラブのBY4AAを訪問しました。同局はBY1PK(1958年11月)に続く1983年10月に開局して上海のアマチュア界をけん引してきました。屋上に巨大なアンテナのTH6DXXが建つビルにSRSAの事務室とBY4AAのシャックがあります。6年ぶりのBY4AAのシャックは依然と変わらないレイアウトでした。デスクのガラスの下敷きに差し込んだJA1UQAのQSLカードを見つけました。昔、28.640MHz のモービル局同士で交信した間柄なので、「酒井さん、遠くまで遠征してこられたのだ。」とカードに見入ってしまいました。
BY4AAのシャックにてBD4AYM
儒さんがHFトランシーバーのチューニングを始めました。しかし、オペレートを始める気配がありません。「ペースメーカーを体内に埋めているため20W程度の出力で運用するように」とドクターから釘を刺されていると語ってくれました。徐儒さんから運用を勧められましたが、今回は許可証を携帯していないので固辞し、代わりにBD4AYM張(ツァン)さんがCQを出して1~2局交信しました。張さんは2006年SEANET大阪大会に参加した経験があり、大阪大会のTシャツを着て通訳を務めてくれました。現在はTEXRON AVIATIONに勤務してビーチクラフト、セスナ、ホッカーなどの軽飛行機を富裕層に販売していると聞きました。
左からBD4AYM、BA4AA、JA1FUY、SRSA韓主席、BG4FA(王秘書長)、BG4EII
BA4AD
14日午前、BA4AD郭徳文(グオ・デウェン)さん (89歳) がご子息夫妻に伴われて来訪されました。先年、郭さんは奥様(BD4AD)を亡くされ、意気消沈の時期がありました。時を同じくして、愛用のTS-850S Limitedのディスプレイ部が不調と訴えていましたが、技術に強い友人が修理して元通りに直してくれたと喜んでいました。郭さんは、元上海第2医科大学放射学教授、上海胸科医院放射線科主任医師として活躍されました。4年前に「完全リタイアになった」と話していました。1940年代にアマチュア局を開局、建国の激動期を経て1990年、BY4AOHでアマチュア活動を再開、個人コールサインBZ4CTWを取得しました。1992年12月BA4ADを開局し、パケット通信やSSTVに取り組み、コンテストにも積極的に参加しました。
BA4AD郭徳文さん
あとがき
5年ぶりに訪ねた上海はドイツ車の独壇場となり、日本車のシェアが極端に落ちている事実に愕然としました。警笛が減った感じと運転マナーの向上も若干感じました。高速道路を走行する車のほとんどがVW、アウディ、BMWで、これにプジョー、オペルのEU勢が多数を占めていました。
そしてSRSAの顧会長が引退して韓(ハン)新会長(YL)に変わり、BG4FA王(ウォン)秘書長(YL)が就任しました。BY4AOMが廃局になり、上海市無線電管理委員会の展示室に同局の無線設備を公開しています。一世を風靡したBY4ALCは指導者不在で休局し、楊浦区無線電運動協会のBA4BAは指導者のBA4GM高明(ガオ・ミン)さんのSKに伴い廃局に至りました。オールドタイマーのBA4CA、BA4CH、BA4AC、BA4AE、BA4AFが相次いで他界されました。OnlineとーきんぐNo.29回「BA4DH John物語」~自作にこだわったアマチュア・スピリット~ に掲げたBY4AOMの記念写真の収まった13名中、健在なのは僅か4名となりました。
中国のコールサインは従来、BY(クラブ局)、BA(個人1級)、BD(個人2級)、BG(個人3級)の区分けがありましたが、今は一律にBGプリフィックスの割り当てに変わったということです。また「上海ハムEXPO」はスポンサーが付かなくて3回目の開催が困難とのことですが、SRSAは子供たちに電信術の講習会を開くなど熱心な活動を展開しているので、今後の取り組みに期待したいと思います。