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No.77 偶然が織りなすオールドタイマーBA1SSとの出会い
1982年3月21日、世界が注視する中BY1PKが21MHz帯CWで交信して、中国にアマチュア無線が復活したのは記憶に新しいところです。それから15年、組織や制度が充実した1997年9月、首都の北京でIARU、世界アマチュア無線連合・第3地域総会が開かれました。初めてのアマチュアの国際会議をCRSA(中国ラジオスポーツ協会)が、隣国のJARLからノウハウを学び、みごとな運営ぶりをみせました。IARUはInternational Amateur Radio Unionの略称で、世界を三つの地域に分けて国を代表するアマチュア無線組織が集まり、さまざまな問題について話し合い、結果を加盟国で共有するほか、ITU(国際電気通信連合)や主官庁に要望する重要な総会と位置付けて3年に一度、総会を開いています。
日本は第3地域(アジア・オセアニア)に属し、ARM(マカオ)、ARRL(アメリカ)、ARSI(インド)、CRSA(中国)、CTARL(台湾)、FARA(フィジー)、HARTS(香港)、JARL(日本)、KARL(韓国)、MARTS(マレーシア)、NZART(ニュージーランド)、PARA(フィリピン)、PIARA(ピトケアン)、RAST(タイ)、SARTS(シンガポール)、WIA(オーストラリア)、ARANC(ニューカレドニア)、ARCOT(トンガ)、BARL(バングラデシュ)、ORARI(インドネシア)、PARS(パキスタン)、RSGB(イギリス)、RSSL(スリランカ)、VARC(ベトナム)などが加盟しています。これにReg.3の理事、事務局長、IARUの会長、副会長など、Reg.1、Reg.2の理事、その他スタッフが参加して大がかりな国際会議となります。ただし、小国は主要な国に委任状を託して出席しないため、全部が揃うことはありません。
BY1PKのQSLカード(中国ラジオスポーツ協会)
第3地域総会の歓迎会で左からBA1AA、BA1RA、JA1FUY、BA1SS
代表はオールドタイマー
中国で開かれる初めて第3地域総会とあってCRSAは万全の準備の下に開会にこぎつけました。全体会議では中国代表の席にCRSAの許増武主席か、陳平(BA1HAM)秘書長、あるいはBY1PKの童效勇さん(BA1AA)が座ると予想しいていると、見かけない顔が代表の席についていました。参加者名簿にはC.S.Wang(王傳善)とあります。お役人か学者のような印象を受けて、どんなお人だろう、アマチュア歴は?等々、興味がわいてきました。王さんの発言の番になると、滑らかなな英語でCRSAの活動報告を淡々と読み始め、いかにも国際会議になれた感じで、これはただ者ではないという印象を受けました。
昼食を済ませて人気のない総会会場に戻ると、そこに王さんがおられましたので、これは絶好のチャンスとばかりにご挨拶して名刺をいただきました。コールサインがBA1SS、1940年代にex C1SSを開局されたオールドタイマーとわかり、CRSAは本物のアマチュアを代表に任命してベストな布陣で臨んでいると直感しました。ここでCRSA顧問のBA1CY周海嬰さん(著名な作家、魯迅の息子さん)を話題にすると、笑みをたたえながら「親しい友達です」とこたえられました。「上海のBA4CH、BA4ADをご存知ですか?」と畳み掛けると、「親しい仲間」という。「私は上海、BY4AOMの海外会員です」と続けると、「もちろん知っている」と言うではありませんか。
BA1SSのQSLカード
BY4AOM(上海市電子学会)の海外会員に笠原さん(故人・ex JA1CLN)と共に仲間入りした経緯があり、上海のオールドタイマーと親しい交流が続いていましたから、王さんの耳にも届いていたと納得するものがありました。それにしても北京と上海のオールドタイマーの連帯に気づかなかったのは迂闊でした。1992年12月22日、個人局の開設が認められ、オールドタイマーたちの50年のブランクを取り戻す第一歩を記したのですから、喜びも大きかったと思われます。BA1CYをはじめBA4AB(沈さん、ex C1MK)、BA4CH(許さん、ex XU8CH)たちが法律の改正を政府に働きかけていたことを思い出したのです。
初日の歓迎会で再び王さんにお会いしました。名刺交換ですっかり打ち解けていたので、日本から持ってきた「ハムwithコンピュータ」を差し上げると、SSTV、RTTYのスペシャライズド・コミュニケーションに強い関心を示し喜んでくれましたが、控えめな人柄なのでしょうか、それ以上の話に発展しませんでしたが、居合わせたBA1KY銭さんとBA1RA(ex C7RA)朱さんのお二人を王さんから紹介されました。このとき旧知のBA1AAの童さんを交えて4人で撮影した写真をお目にかけます。童さんとは天津のBY3AAを開設するときに一緒に活動して以来、親しい交友が続いていました。
記念局BT1IARU
第3地域総会では記念局を設けて、代表団員とスタッフ、報道陣に開放するのが恒例です。北京総会でも会場の一隅に開設した記念局BT1IARU を運用することができました。BTは臨時の局を示すプリフィックスで、サフィックスのIARUは世界アマチュア無線連合を表し、当時としては4文字のコールサインが珍しく、オンエアするとパイルアップを受けていました。このときシャックで世話を焼いていたのがBA1OK王新民さんです。
BT1IARU記念局とBA1OK
偶然な出会い!
第3地域総会が終わってから半年が過ぎた週末、BAネット(14.180MHz)をなにげなく聞いていると、BA1SSのコールサインをキャッチしました。聞き耳を立てると、SSTVが話題になっているようです。中国語なのでほとんど分かりませんが、Q符号やSSTVの断片的な言葉から14.230MHzへ移行すると判読して、ダイヤルを回して待っていると、BA1SSが移ってきて北京市内のBA1KYとSSTVモードで写真を送り始めました。周波数を微調整してSSTVを起動、鮮明な画像が受信できました。王さんはSSTVの愛好者だったとはじめて知り、その驚きは最高潮に達しました。
交信が終わるの待ってコールすると直ぐに応答があり、「お元気ですか?」とまぎれもない王さんの声が聞こえてきました。「中国代表を務めていたので、堅い話ばかりに終始してしまいゴメンなさい。SSTVでお会いできてうれしいです」と、声が弾んでいます。「ウォンさんと交信できるのは、とてもうれしいです」と、こちらも興奮していました。総会で撮った写真を送信すると、鮮明な画像が受信できて感動の交信になりました。偶然の出会いだけに喜びが大きく話も弾んだのはいうまでもありません。SSTVソフトのダウンロードの話に及び、後日、W95SSTVを郵送することを約束してファイナルを送りました。
再会と交友
それから数ヵ月、日本と中国の子ども達が交流する訪中団に同行して、北京を訪問する機会が巡ってきましたので、王さんにお会いしたいとメールでお知らせしたところ、滞在先のホテルまで2時間の道のりを訪ねて来られました。Reg.3総会の時と違いアマチュア同士の打ち解けた雰囲気の中、ご専門のロケットの打ち上げに関する珍しい話しをうかがいながら、かつて代表団を率いて来日したことがあると知りました。日本のDX’erと交流があるということで、知っている範囲で消息をお知らせしました。中でもSSTVのソフトウェアについては、特徴や使い方で盛り上がり、北京大会のぎこちない会見を取り戻すかのように旧交を温めた2時間があっという間に過ぎました。
その後、米国にお住まいの娘さんを訪ねてニューヨークへ向かう途中、飛行機の乗換えで成田空港からほど近いホテルに一泊されたときに声がかかり、王さん夫妻にお目にかかりました。その折に近くの名刹・成田山新勝寺を案内して一緒に回り、大変喜んでいただきました。アマチュア無線は「偶然の出会い」を取り持つと言われています。王さんをはじめとする北京の多くのオールドタイマーとの出会いと親しい交友もまた、この趣味の持つ奥深さを教えてくれたと思っています。
「2003 Chinese Callbook」個人、クラブ、香港 、台湾、マカオ、レピーターを収録