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No.74 SEANETコンベンション2006(大阪)に参加して
SEANET2006大阪大会は日本で初めてコンベンションの招致に成功、9月14日~17日の4日間、大阪国際交流センターで開かれました。14日歓迎会、15日京都観光、16日大阪散策、夜はメインディナー、17日セミナーと公式会議のプログラムを楽しみました。参加国はマレーシア、シンガポール、タイ、ブルネイ、中国、韓国、バングラディシュ、豪州、インド、ユーゴスラビア、米国、日本などから延べ200名が参加して盛会でした。
8J1SEA QSLカード Op.はJA3AA島さん
SEANET(東南アジアネット)は毎日12:00UTC(日本時間の夜9時)から14.320MHzでロールコールを行っています。東南アジアを中心にアジアとオセアニア地域のアマチュアが、国際理解と親睦を図るために緊急連絡や医療の連絡を優先しているほか、DXぺディション、外洋を航行するヨット、クルーザーなどの情報交換にも熱心です。そして毎年各国持ち回りでSEANETコンベンションを開いてメンバー相互の親睦を深めています。
大阪国際交流センター
シンガポール大会(1988)から18年
林さん(JA1UT)の50MHz帯伝播実験を兼ねたDXサービスに同行したのが第17回SEANETシンガポール大会(1988年)でした。続く第18回東マレーシア(Kuching)大会(1990年)にも参加しました。そして第26回シンガポール大会(1998年)では、上海で知り合った9V1XOピーターさん、タイ在住のG3NOMレイさんとシンガポールでの交友が思い出に残りました。それから8年のブランクを経て思いがけなく第34回大阪大会が巡ってきて、参加者名簿に友人知己のコールサインを見つけて心踊るものがありました。
中でもミュンヘン在住の壱岐さん夫妻(DF2CW、DN2MCW)を発見!2002年、南ドイツのフリードリッヒハーフェンで開かれるヨーロッパ最大のハムの祭典に出かけたときに、何かとお気遣いをいただいたご親切が忘れられません。お目にかかりご挨拶だけでもと思いながら名簿を順に見ていくとBA4AAのコールサインが目に入りました。1987年以来の友人、徐儒先生が大阪に来られるとわかり即座に参加の申込みをしました。
上海から参加のBA4EHら7人
「大阪でお会いしましょう」徐先生に電子メールを送ると、国際電話が掛かってきて「体調がよくないのでチェン(BA4EH)を代表に7名が大阪に行く」という意外な展開になるが、チェンさんはBY4AAの台長で旧知の間柄ですから再会が楽しみと応じました。ほかにBD4AIL、BG4AYM、BG4CFT、BG4DDA、BG4BWH、BG4CCPのコールサインを確認。因みにプリフィックスのBAが一級、BD二級、BG三級を表しています。旅費を自ら負担して個人の資格での参加と伺い、さすが経済発展の著しい上海の一行と感じ入りました。
そのチェンさんが大会期間中に日本橋のハムショップでクリエートのHF帯アンテナ318C-40(7,14,21,28MHz 1,4,5,5エレメント)の見積を取ったと聞きました。大会閉幕後、東京・秋葉原へ、ここでアンテナを購入して成田空港から上海へ持ち帰ったという話です。デイトンハムベンションからコリンズの通信機を持ち帰るクレージーな日本人アマチュアとイメージが重なり、共通のアマチュア気質にほっとするものがありました。
コンベンションの記念局8J3SEA
日本人が海外で無線局を運用させてもらえても、日本と相互運用協定を結んでいない国のアマチュアは、大阪国際交流センターに特設した記念局8J3SEAをオペレートできない状況にありました。SEANETコンベンションでは「ホームコールサイン/9V0SEA」のようにコンベンションの期間中に運用が許されてきましたから、外国から来られたアマチュアたちも8J1SEAを運用できると思っていたかもしれません。
後日、3年ぶりに上海を訪問した際「日本で電波を出すにはどうしたらよいか」とお尋ねがあり、大阪で記念局を運用してみたかったという話がありました。運用協定を結んでいる国同士ならゲストオペレーションもできるし開局申請もできる、そうでない場合は日本の無線従事者免許を取る方法があると申し上げたが、筆者自身が中国の各地でBY局を運用させていただいていますので、内心恥じる思いが先に立ちました。
免許人の責任の下に運用する分には問題が起きないはず。参加者の名簿を見る限り、相互運用の恩恵を受けるのはアメリカ、豪州、ドイツ、韓国の4カ国でした。記念局8J3SEAで母国と交信できたら良い思い出になったと思います。かつて政府主催の国際会議に出席した外国人アマチュアに母国の免許証の提示で記念局のオペレートが許されたことがあります。免許証の携帯がなくてもQSLカードでもいいという臨機の処置も目の当たりにしました。規則の解釈、運用一つで国際親善を果たした良い例でしょうが、民間の国際会議にも弾力的なゲストオペレーションをお許しいただきたいと期待するものです。
第18回東マレーシア大会(クチン、1990年)参加証
第36回大阪大会(2006年)参加証
参加者の顔ぶれ
来年1月のVU7ラッカディブへのDXペディションに参加される方が大阪大会に勢ぞろいしました。ホスト国のVU2MY、VU2MYL夫妻は人気の的でした。日本から参加のJA1BK、JA3IG、JA3NHL、JA3UB、JA3USA、JR3MVFの各OM・YLでした。著名な溝口さん(JA1BK)とアイコムの井上徳造会長(JA3FA)がメインテーブルに着いて談笑しておられ、隣のテーブルにはJARL原会長(JA1AN)と上海のチェンBY4AA台長(BA4EH)がとなり合わせという中国一行に対する厚遇が目立ちました。
セミナー「Sebatik島 初のIOTAエクスペディション」9M6TW
メインテーブルのJA1BK(左)、JA3FA(右)のお二人
顔なじみの川西さん(JA8RUZ)と木場さん(JK1KHT)、隣の9V1XWゴーさんを見つけてカメラを向けると3人がポーズを取ってくれました。ゴーさんには2回のシンガポール大会で顔をあわせていますので、「ようこそ大阪へこられました」と挨拶すると、ふくよかなお顔に笑みを浮かべて握手。少しお疲れの様子が見えたので何事もなければよいが思っていた矢先の大会閉幕後に急逝の知らせが入りました。大阪滞在の9月20日、気分が悪くなり救急車で病院に担ぎ込まれて「くも膜下出血」と診断され、意識混濁のまま22日午前11時に亡くなりました。シンガポールからご子息が駆けつけ『父は大好きなSEANETコンベンションに参加できて本望だったでしょう』と語り、上海から駆けつけたお嬢さんとともに看取ったということでした。ご冥福を祈ります。
ガラパーティーで元気な9V1XW Francis Gohさん
マレーシアの9M2KN、Dr. K N Singhさんはもっぱら司会で活躍されました。ガラ(Gala=お祭り)パーティーでは、人懐っこい笑みと巧みな英語が印象に残りました。一般公開のセミナーVU2MY「アンダマンこぼれ話」、JA3AOP「時空の新たな測定」、9M6T「SEBATIK島で初のIOTA DXペディション」を仕切りました。続く公式会議では2008年の開催地にマレーシア・コタキナバルとオーストラリア・ダーウィンが立候補して、それぞれがプレゼンテーションを行い、居合わせた出席者の挙手によりコタキナバルに決まりました。2007年は昨年の大会でタイのランパンで開かれます。
あとがき
大阪コンベンション閉幕直後、某OMからSEANETコンベンションの目的は何か?」とお尋ねがありました。即座に「観光と親睦」と簡明に答えてみたものの、こんなことでいいのかなと自問自答しました。会場にVU7ラッカディブへのDXペディションに参加される方が集まっておられましたので、いろいろなお打ち合わせがあったものと推測します。
詳細はうかがい知れませんがDXCCウォンテッド上位を争うDXペディションの実現もコンベンションに集う人々の輪、それに連なる人脈がきっかけになったと思われ、観光と親睦だけではないと思い直しました。初参加の中国・上海が2007年のタイ・ランパンにも参加すると予告、2009年の開催地にも意欲的と伺いました。東南アジアを核に日本・豪州に加えて中国の加入は、親睦の輪をいっそう広げるので大いに歓迎されものと思われます。
大阪大会の記念切手を貼った封筒