Onlineとーきんぐ
No.64 電通大の歴史資料館を訪ねてJ4CTの送信機に対面!
紅葉が見ごろな11月下旬、神奈川県箱根町・強羅で開かれる「東京オールド」(旧JMHC東京)の一泊ミーティングに出席するために小田原までやってきました。小田原厚木道路の小田原西インターチェンジで降りて一般道路を進み、海岸通りに出る直前を右に曲がると箱根ターンパイク(大観山線)の入り口です。ここで通行料700円を払ってゲートを通り、急勾配の坂道を一気に上ると東京のFMラジオJ-WAVEが聞こえてきました。このあたりから430MHz/1200MHz 帯FMで都心方向と交信ができると期待が高まります。
箱根・大観山(約1,100m)ターンパイク・ビューラウンジ駐車場
県道75号線湯河原箱根仙石原線と箱根ターンパイク大観山線とのT字路にあるのがターンパイク・ビューラウンジ。天気がよければここから芦ノ湖と富士山を合わせて望むことができる展望スポットです。大観山(だいかんざん)は「だいかんやま」とも呼ばれ、足柄下郡箱根町と湯河原町の境にある標高1,011mの山で、箱根古期外輪山のひとつ。東京方面に開けていることから週末になると、VHF・UHF・SHFの各バンドの移動局が好んでやってくる場所として知られています。
大観山から東京方面を望む。リアフェンダーの1/4λホイップ(後方)
ビューラウンジの駐車場は広いので気兼ねなく利用できます。駐車場の隅に車を停めて車載のIC-706MKⅡGMのパワーボタンをオン、バンドを50MHzにセット。時刻は午前11時45分ごろ、気温10度、快晴、ノイズがなくバンドはシーンと静まり返っていました。まるで50MHz帯が使われていないかのように信号の入感がなく、意気込んで出かけただけに当てがはずれました。それでも気を取り直してオンエアの多い周波数(50.200MHz~50.300MHz)を根気よくさぐりました。
特別局の8N1C50Aに出会う
とつぜん50.200MHzでCQを出す強い信号をキャッチ。コールサインは記念局の8N1C50A、コールするとすぐに応答があり、RS59をもらいました。珍しいコールサインなので記念局の由来を尋ねると、『調布市制50周年の記念局です。電気通信大学(JA1ZGP)から運用中・・・』といい、オペレーターの岩瀬さん(JA1RKI)から次のような説明がありました。
『8N1C50Aは調布市市制施行50周年記念局( 10月1日~11月30日)で、QSO総数が12,500を超えました。サフィックスに数字が入るのは、全国でも初めてではないでしょうか。コールサインの8N1が特別局(CW運用で短い符号の組み合わせ)、CがChofu(調布)の頭文字、50が50th 数字の50、 そしてAがAnniversaryの頭文字です。運用場所は東京都調布市の電気通信大学のクラブ局(JA1ZGP )から運用しています。』
『電通大には、JARL展示室から移管した無線機器の展示がありますね』に、№21建物 の10階から8N1C50Aを運用しているが、すぐ近くの「歴史資料館」(№24の建物)にアマチュア無線機器を展示している、開館日は月水金の12時から13時までの1時間、その他の時間帯は予約が必要と伺いました。参考までにキャンパス内マップはこちらでご覧になれます。
創立87年の電気通信大学
電気通信大学の沿革は1918(大正 7)年12月8日社団法人電信協会「無線電信講習所」の創設に始まり、終戦直後の1948年、逓信省から文部省に移管された「講習所」が、翌1949年、新制「電気通信大学」に生まれ変わりました。真空管に代わるトランジスタ、マイクロ波回線、コンピュータ、そしてテレビジョンなどの新しい技術と共に、船舶通信士のための無線電信の講習が継続されました。電気通信学部に情報通信工学科、情報工学科、電子工学科、量子・物質工学科、知能機械工学科、システム工学科、人間コミュニケーション学科、菅平宇宙電波観測所があり、大学院電気通信学研究科、大学院情報システム学研究科などがあります。キャンパスは京王線調布駅から歩いてすぐ。
電気通信大学の歴史資料館の入り口
JARL展示室の展示物を歴史資料館に移管
平成14年(2002年)2月23日、24日のJARL理事会でJARL展示室の展示物を歴史資料館への移管について次のような決定を行っています。
『現在JARLの展示室には、たくさんのアマチュア無線の技術的な遺産や貴重な資料が集められていますが、利用者が少なくこの展示や保管のため多額の経費を必要としています。また、財政的にも厳しい状況で今後とも貴重なこれらの遺産を継続して保存していくため、現在電気通信大学で「歴史資料館」の整備が進められており、JARLの展示物についても受け入れても良いという非公式の申し出がありますので、これについて、アマチュア無線について理解があるしっかりしたところであり、移管について前向きに進めていくこととなりました。』同年9月17日に無線機、真空管などの所蔵品を電気通信大学歴史資料館に寄贈し、これにともないJARL展示室は「資料室」と名称を変更してアマチュア無線関連の文献などの資料が残されました。
J4CTの無線機に対面
去る12月5日(月曜日)、12時の開館にあわせて電気通信大学のキャンパス(〒182-8585 東京都調布市調布ヶ丘1-5-1)に「歴史資料館」を訪ねました。正面入り口からはいり守衛所で記帳して駐車許可証をもらい、そのまま車で進むと学生が大勢集う大学会館が見えてきました。この建物の後ろが24号棟で入り口に「歴史資料館」の看板が掲げてありました。入り口で記帳して見学が許されました。
歴史資料館の平面図によると、通路の右側に海外通信に使われた大型の短波送信機、受信機が並び、左側にラジオ・テレビ放送機器と漁業無線、航空無線機器のコーナーがありました。どれも歴史的な機材に興味をそそられたが、一時間の見学を有効に使うために一番奥の展示コーナー「アマチュア無線機器」を目指してまっすぐ進みました。
歴史資料館の平面図。一番奥がアマチュア無線機器のコーナー
三つのガラス製の展示棚があり、あたりを見渡して真ん中の棚を注目しました。なんとJ4CTのQSLカードと7/14Mc送信機が真っ先に目につきました。OnlineとーきんぐNo.59「不思議なめぐり合わせ 祖父はオールドタイマー」に登場の堀野治助さん(J4CT、JH4GGN)自作の送信機がそこにありました。というのも堀野さんの若い頃の肖像写真を手元に保存している不思議なご縁から、70年の時を経て対面できたのですから感動しないでいられません。堀野さんの開局は昭和10年(1935年)6月1日、戦後JH4GGNで再開して、「50年以上前の機械でQRV!」の見出しでCQハムラジオに紹介されました。
展示ケースに収まったアマチュア無線機器
堀野治助さん(J4CT)さんの若い頃の写真
堀野治助さん(J4CT)さんが自作した送信機
あとがき
ガラス越しに写真を撮っていると係りの人が「ガラス戸を開けましょうか?」と気遣っていただき、ゆっくりと撮影することができました。ほかにJ2CG林太郎さんが製作した水晶送信機と自作振動子を見つけて感慨深いものがありました。隅には1970年代のアマチュアシャックを再現したコーナーもあり、なかなか見ごたえがありました。JARLに展示室があった頃はいつでも見られるという思いもありましたが、電通大の歴史展示室に収まった先人の作品を気持ちも新たに鑑賞し、オールドタイマーが情熱を傾けて作った無線機器と製作者のコールサインを眺めてオールドタイマーをしのぶことができました。
なぜJARLが電気通信大学に展示物を寄贈したのか、先日JARL展示室を訪ねる機会がありましたので、係りの人に尋ねると「寄贈した無線機器はJARLが保管する機器の5分の1に過ぎないし、まだたくさんありますよ」という答えが返ってきました。そういえば、歴史資料館の展示品リストを見る限り量的に限られているし、第一級の収蔵品が少ないところにも思い当たりました。財政的に厳しい現代はともかく将来的には「アマチュア無線博物館」を創設して収蔵品を公開し、後世にしっかりと残してもらいたと思いました。記念局の8N1C50Aと大観山の交信をきっかけに歴史資料館を訪問し、J4CT OTの無線機に対面することができたのは幸運だったと振り返っています。