アマチュア無線界のコールブックは「CALL LIST」の1st Editionが、大正15年(1926年)8月15日、編集・仙波猛さん(1TS)、草間貫吉さん(3KK)の、印刷・梶井謙一さん(3AZ)によりガリ版刷り2枚のパンフレットに29局のコールサインと名前、住所を網羅して出したのが始まりと言われています。この後、昭和6年(1931年)12月、宮井宗一郎(ex J3DE)さんによる本格的な「QRA BOOK」No.1(1)が作られました。

宮井宗一郎さん(J3DE)(アマチュア無線外史 p.106)

No.1の発刊からわずか3ヵ月後の昭和7年(1932年)3月、No.2(2)が発行されました。判型は横24×縦32(cm)でガリ版刷り、16頁、このサイズはA4判より一回り大きく、菊版の横23.4×縦31.8(cm)に近いことがわかりました。裏表紙(表紙4)は「諸兄の撓まぬ御研究を祈る 大阪毎日新聞社」の広告を載せて、どの頁も手書きの細かな作業で製作されました。後に「日本短波長無線電信電話 実験局名簿」を表紙に掲げQRA BOOKを併記したが、アマチュアからは「宮井ブック」と呼ばれました。宮井さんは大阪毎日新聞社の電信課に勤務され、実家は和歌山市内の同新聞の販売店を営んでいました。

QRA BOOK No.1(1931年)(アマチュア無線のあゆみ P119 JARL)

QRA BOOK No.2(1932年) 林太郎さん(J2CG)所蔵

QRA BOOK No.9(1936年)

幻のQRA BOOK 1932年3月

「QRA BOOK」No.2の巻頭言に次のような記述があります。

『今回のQRA BOOKは皆様から頂戴いたしましたREPTを基礎とし、無線と実験およびJ2CD久米綱三氏から頂戴しましたコールブックを参照さしていただき、また各通信局管内府県名は大阪逓信局で伺い作製いたしました。このQRA BOOKの骨子となりましたREPT、ご多用中にもかかわらず早速お送りくださいましてありがとうございます。お蔭様にてかなり詳しいQRA BOOKができました。篤く御礼申し上げます。今回は経費の関係上、大阪毎日新聞社の広告をもらいました。今後も広告を入れて、もっともっとFBに致したいと存じております。次回は今年の夏ごろ出したいと思っております。その節にはご面倒ながらまたまたRPTをお願いいたしますから何卒よろしく・・・もしこのBOOKに間違いがございましたら恐れ入りますがご一報くださいませ。』


この文面から発行は2回目で少なくとも初版でないこと。既存のデータを参照したこと。データを直接本人に送付して確認していること。各通信局管内府県名を大阪逓信局で確認したこと。はじめて広告を入れたこと。次回の発行は夏ごろと予告して正確な名簿づくりを目指していることがわかります。

No.2のJ1エリア名簿

QRA BOOKがオークションに!

知人から『林太郎さん(ex J2CG)所蔵品の一部をYahooオークションで落札したので資料として役立てて欲しい』と送ってこられました。寄贈品は内外のQSLカード、JARL NEWS(1932年9月~)、B4判の豪華なJARL会員証(1930年)、ARRL会員証(1939年~)、そして宮井宗一郎さんのQRA BOOK(1932年3月=No.2)など、ハム草創期の貴重な第一級の資料がそろっています。QRA BOOKは初版からNo.10まで発行されましたが、文献には昭和6年(1931年)、昭和9年(1934年)、昭和11年(1936年)、昭和15年(1940年)の各号(3)が知られています。

林太郎さん(1931~1979)のQSLカード

林太郎さんが製作した水晶送信機と自作振動子(アマチュア無線外史 P55)

次にQRA BOOK 1932 MARCHに掲載のコールサインと姓名を抜粋します。実際はこのほかに姓名と住所のローマ字表記、住所、電力周波数、免許年月日、職業、生年月日、電話番号などを網羅しています。なお、以下の表では電話局および受信局、J8 J9管内を省略しました。(氏名の敬称を略しました)

J1 東京通信局管内

(東京、千葉、茨城、栃木、群馬、埼玉、神奈川、山梨、静岡)

J1AF 大崎診療所 J1AG 逓信大臣 J1AH 逓信大臣 J1AH 東京逓信局長
J1AM 東京逓信局長 J1BA 東京帝国大学 J1BE 東京高等商船学校 J1BF 浜松高等工業学校
J1CC 沖電気株式会社 J1C 安中電機製作所 J1CE 日本無線電信電話(株) J1CF 日本無線電信電話(株)
J1CG 早稲田大学総長 J1CI 電信協会 J1CJ 東京無線(株) J1CK 安藤 博
J1CL 安藤 博 J1CO 財団法人電機学校 J1CP 東京市電気研究所 J1CQ 東京市電気研究所
J1CR 東洋無線電信電話(株) J1CT 東京電機(株) J1CA 安立電機
J1CX 堀北晴朗 J1DCX 立川飛行第五連隊 J1DH 松本梅吉 J1DM 柳瀬久三郎
J1DJ 河野正一J3CX J1DK 昭和無線(株) J1DL 日本電気(株) J1DM 半田成一郎
J1DN 杉田倭夫 J1DO 矢木太郎 J1DP 多田正信 J1DQ 中島徳二
J1DR 鉾立舜一 J1DT 深町三六 J1DU 新井初太郎 J1DV 漆原 健
J1DW 東京電機(株) J1DY 高村英喜 J1EA 橋詰春雄 J1EB 七尾商会
J1EC 中村弘二郎 J1ED 青木正二 J1EE 中川国之助 J1EF 高坂知至
J1EG 斯波邦夫 J1EH 森川辰雄 J1EI 林一太郎 J1EJ 昭和製作所
J1EK 柴田知雄 J1EL 高木 亨 J1EM 石井 傳 J1EN 溝呂木新太郎
J1EO 島茂雄 J1EP 鈴木康夫 J1EQ 長田祝太郎 J1ER 小宮諭己
J1ES 住吉正元 J1ET 東條勝久 J1EU 桝井芳平 J1EX 日本大学学長
J1EY 野崎誠一 J1EY 笠原功一 J1FA 鷲尾勝郎 J1FB 和田藤秋
J1FD 青木咸三 J1FE 佐々木正治 J1FF 大島正臣 J1FG 鬼鞍虎次郎
J1FH 岸田清吉 J1FI 東京電気

J2 名古屋通信局管内

(愛知、岐阜、福井、三重、石川、富山、長野)

J2CB 山口喜七 J2CC 宮沢友良 J2CD 久米綱三 J2CE 広間守彦
J2CF 西謙治 J2CG 林 太郎 J2CH 太田藤作

J3 大阪通信局管内

(大阪、京都、兵庫、奈良、和歌山、徳島、高知)

J3CB 草間貫吉 J3CC 梶井謙一 J3CF 菊池喜充 J3CG 菊池源一郎
J3CH 林龍雄 J3CJ 徳大寺長麿 J3CK 山口篤三郎 J3CL 白井郁三
J3CO 神尾英雄 J3CP 川島元彦 J3CQ 中村義一 J3CR 浅村恭三
J3CS 山本信一 J3CT 中村季雄 J3CU神戸無線電気(株) J3CW 塚村泰夫
J3CX 河野正一 J3CY 新谷春水 J3DA 小沢匡四郎 J3DB 植月 皓
J3DC 武田正信 J3DD 笠原功一J1EZ J3DE 宮井宗一郎 J3DF 津賀修三
J3DH 三木正一 J3DI 田中信高 J3DJ 上新一男 J3DK 岸川武一
J3DL 菅沼 弘 J3DM 木下由己 J3DO 服部吉太郎 J3DO橋詰與惣次郎
J3DQ 武内達雄 J3DR 増井幸雄 J3DS 塚本 半 J3DT 岡田誠一
J3DU 掛下修吉 J3DW 北村芳男 J3DX 中山富次 J3DY 熊野紋次郎
J3DZ 江戸重富 J3EA 古川貞一

J4 広島通信局管内

(広島、島根、山口、香川、岡山、愛媛、鳥取)

4AK 広島逓信局長 J4CA 弓削商船学校 J4CB 岡山県兒島商船学校 J4CC 阿久沢四郎
J4CD 県立栗島航海学校 J4CF 松原 正 J4CG 近木 尚 J4CH 遠山寅夫

J5 熊本通信局管内

(福岡、大分、佐賀、長崎、熊本、宮崎、鹿児島、沖縄)

J5AK 熊本逓信局長
 熊本逓信講習所
J5AL 熊本逓信局長
 長崎逓信講習
J5AP 熊本逓信局長
 那覇逓信講習所
J5AQ 熊本逓信局長
 熊本逓信講習所
J5BA 九州帝国大学 J5BC 明治専門 J5BD 熊本高専 J5CB 関 伊吉
J5CC 堀口文雄 J5CD 緒方英壽 J5CE 岡田光範 J5CF 子妻嘉蔵
J5CG 栗林幸雄

J6 仙台通信局管内 (宮城、岩手、秋田、山形、福島、新潟、青森)

J6AK 仙台逓信局局長 J6AM 仙台逓信局長 J6BA 東北帝国大学 J6CA 島貫宗輔
J6CB 田鶴浜武 J6CC 神山 孔 J6CD 有坂盤雄 J6CE 西巻正郎
J6CG 菱沼益男 J6CI 青木貞雄 J6CJ 塚田正剛 J6CK 佐藤喜一

J7 札幌通信局管内

(J7 AよりO迄 北海道、J7PよりZ迄 樺太)

J7AK 札幌逓信局長
 札幌逓信講習所
J7AL 札幌逓信局長
 函館逓信講習所
J7AM 札幌逓信局長
 釧路逓信講習所
J7CA 藤懸 潔
J7CC 河野七郎 J7CD 伊藤誠一

注釈に面白い記述を見つけました。
『年齢は満何歳にしました。ただ今のところ最年長のOMはJ2CF西謙治氏です。(編注:明治17年5月1日生れ48歳) 最(YB?)小壮は札幌・田母上栄氏、J7CF直井洌氏、東京・J1EP鈴木康夫氏の三氏、17歳です。平均年齢は25.5歳となりました。』
林太郎さんは長野県で2番目

当時、名古屋逓信局管内(J2エリア)は愛知、岐阜、福井、三重、石川、富山、長野の7県にまたがる広いエリアを管轄していました。免許第1号は山口喜七さん(J2CB、三重県四日市)で昭和3年(1928年)6月29日、 続いて昭和5年(1930年)5月16日に免許の宮沢友良さん(J2CC、長野県諏訪郡平野村)が第2号、そして同じ平野村の林太郎さん(J2CG)が昭和6年(1931年)9月15日の開設でした。

宮沢友良さん(J2CC)とシャック

宮沢さんは無線通信士の資格を持ち関谷病院X線科に勤務する、明治37年(1904年)7月28日生まれで28歳。林さんは有力地場産業の生糸製造業の跡継ぎ、明治38(1905年)年7月5日生まれの27歳。2人の年齢は一つ違い、同じ村で情報を交換して技術を磨きあった心強いアマチュア仲間だったのでしょう。宮沢さんの写真は岡本良雄さん(J4EA)のアルバムから見つけた学生服姿の一枚でした。林さんの写真を手を尽くして探してみましたが、残念ながら見つけられませんでした。昭和7年3月、初めてコールサインが載った「QRA BOOK」が終生の宝物であり、大切に保管されてきたものと思われます。林太郎さんは昭和54年(1979年)に亡くなりました。
あとがき

オールドタイマーが亡くなって所蔵品がYahooオークションに出るのも時の流れで致し方ありませんが、貴重な資料が日の目を見る良い機会でもあり、そういう面からは喜んでいいのかもしれません。林太郎さんの所蔵品が没後26年にして好事家の手に落ちたのは、ハム創世記を知る上で幸運でありました。今回は偶然に発掘された資料から「QRA BOOK」の発行にまつわる裏表をさぐってみました。因みに文献(4)によればQRA BOOKの最終号に掲載された個人のアマチュア局総数は、昭和15年(1940年)10月20日で256局、掲載もれの2局(J2IJ、J2KV)を加えて258局でありました。

参考文献:

  • ・「アマチュア無線のあゆみ」[図3・9] 昭和6年に本格的な形で出版された「QRA BOO  K」の冒頭のカット。P119
  • ・J2CG林太郎さんの遺品「QRA BOOK」No.2(昭和7年(1932年)3月版)
  • ・昭和6年(1931年)12月初版(アマチュア無線のあゆみ)、昭和9年(1934年)1月版(B EACON 関西のハム達。島さんとその歴史)、昭和11年(1936年)9月版(日本アマチュ ア無線外史 P98)、昭和15年(1940年)12月 No.10(日本アマチュア無線外史)
  • ・「日本アマチュア無線外史」P106 JA1CA、JA1AR著 電波実験社