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No.56 イタリアの世界遺産とWi-Fiエリアの体験
旅行に出かけて気になるのは、移動中のクルマや電車から眺めるアマチュア局のアンテナではないでしょうか。アンテナを見つけるとエレメントの長さから「あれは14/21/28メガのトライバンダーに違いない」とか、エレメントが少し短いから「50メガの八木アンテナ」と推測して喜んでいます。あまりに見事なアンテナが建っていると車を停めてカメラに収めたりもしますが、アンテナの組み合わせや同軸ケーブルの引き回し方などを観察して、衝動的な訪問は控えるようにしています。というのも突然の訪問を喜ばれるとは限りませんし、こちらも先を急がなければならないときがあるからです。
外国に出かけてもアンテナを見たい気持ち変わりなく、バスの移動中でも狩猟のハンターのようにアンテナを探しています。遠くにアンテナを見つけて徐々に近づくという状況になくて、被写体が突然にやってきて目の前を通り過ぎるためにカメラを構える余裕がありません。それにデジカメは電源スイッチをオンにしてすぐにシャッターが切れるとは限らないため、シャッターチャンスを逃すこともあります。ギリシアの旅の最終日にバスでデルフィからパトラに向かう時にいきなりトライバンダーに出合いました。やっと見かけることのできたアマチュア局のアンテナでした。
ギリシアは日本の3分の1の国土に人口1千万人、ギリシア・アマチュア無線協会RAAG(Radio Amateur Association Greece)のホームページにアマチュア無線局が約2千と記されていました。人口5千人に1局の割合ですから旅行者の目に触れるものではありません。街の中でモービル局に出合わないかと注意していましたが、27MHz帯CBらしいアンテナをつけたクルマを見たほかは、V/UHF帯のモービルホイップを見かけることはありませんでした。
アドリア海一泊クルーズの航路
アドリア海一泊クルーズへ
ギリシアのパトラスからSUPERFASTという大型フェリーに乗ってイタリアのバーリへ「アドリア海一泊クルーズ」にでかけました。全長203m、ドイツで建造(2001~2002年)の大型船に乗客700名とトラックなど600台を収容して夕刻の6時パトラスを離岸、約15時間30分の船旅に出かけました。
SUPERFASTの船上からパトラスの港を望む
船では衛星電話が使えるほか、個室には電話機と電話端子の設備があり、サテライトを経由したローミングが利用できるらしいとわかったものの、快適なベッドに横たわっているうちにいつのまにか眠り込んでしまいました。夕食はセルフサービスのレストランで美味しい料理をいただき、清潔な設備と船員の笑顔に触れて快適な船旅になりました。
イタリアのバーリに陸上
一夜が明けて朝の8時30分バーリに上陸。バスに乗ってアルベロベッロの世界遺産トゥルッリ(とんがり屋根)の観光に出かけました。壁に白い石灰石を塗るのは主婦の務め、外装をきれいに保つ労力も大変という印象でした。どの家の壁も真っ白に塗られて陽光を浴びてまぶしく、南イタリアの明るさを実感しました。
トゥルッリ(とんがり屋根)石灰石の家並み
このあと1993年世界遺産に登録の1700年初期のマテーラ洞窟住居(世界遺産)を見学し、メルギブソン作品“パッション”の撮影現場になった洞窟を歩き回りました。近年まで貧しい人々が電気、ガス、水道がないまま住んでいた所で政府の政策により一斉に退去して空き家になるが、いまは富裕層がセカンドハウスとして利用しているという話でした。
ポンペイ遺跡に立つ
紀元79年、ベスビオス火山の大噴火でポンペイの街を火山灰の下に埋もれた様子を「NHKスペシャル」が再現ドラマの形で見せてくれました。金銀や宝飾品に執着する者、肉親を気遣う様子など迫力の描写が続きました。有毒ガスの噴出に人々が倒れ次第に噴塵がつもり、一つの街が地上から姿を消し、気の遠くなるような時を経て再び蘇るポンペイの遺跡に大きな関心を持ちました。アポロ神殿や裁判所など公共の建物から市場、立ち飲みの酒場、豪華な邸宅、浴場、大劇場など基本的に現代と変わらない生活があった事実に興奮しないではいられません。
18世紀に街の主要な部分はあらかた発掘が終わり、発掘された遺品のほとんどはナポリの国立博物館に収蔵、展示されている。火山灰や軽石に埋もれた住民の遺体が火山灰の中に空洞として残ったために、そこへ石膏を流し込んで型を取り古代ポンペイ市民の姿を蘇らせている。背筋が凍る思いをしながら苦悶の表情が見えるリアルな石膏に対面して、古代ポンペイ人の体が小柄な印象を受けました。
バスの中から見たヴェスビィオ火山
ポンペイ遺跡に立った筆者
さて、イタリアは「最後の晩餐」のレオナルドダビンチやミケランジェロ、ラファエロなど多くの天才を輩出している国の一つですが、身近なところでは「無線の父」と呼ばれるマルコーニを一番に上げなくてはいけないでしょう。イタリアに敬意を表してマルコーニ(1874-1937)の足跡をたどってみました。
偉大な実験者、マルコーニ
1888年、ドイツのハインリヒ・ヘルツ(1857-1894)は火花を飛ばして電磁波を送る装置を作り、数m離れたところで電波をつかまえることに成功しました。1874年、イタリア・ボローニャで裕福な実業家の家に生まれたグリエルモ・マルコーニは、正規の学校教育を受けずに物理学者の個人教授を受けて育ち、20歳のころから無線電信の研究に没頭し、1895年2.4kmの距離の無線実験に成功しました。
1901年、イングランドの西端とカナダのニューファゥンドランド島セィントジョンズとの間3600kmの実験にも成功しました。このときモールス信号のS(・・・)を送信し、カナダ側でかすかな・・・を受信して無線通信の実用化に道を開きました。
その後マルコーニは、イタリア学士院の理事長、イタリア科学技術委員会の会長を務め、20以上の多国籍企業を設立し、実業家としても成功を収めました。1909年にノーベル物理学賞を受賞しています。マルコーニの出身地であるイタリア・ボローニャの空港は現在も「ボローニャ・グリエルモ=マルコーニ空港」と呼ばれています。
古代ローマの遺跡、コロッセオ
テレコム・イタリアのWiFiエリア
ローマではお定まりの観光コースをおのぼりさんよろしく遺跡を見て回り疲れも頂点に達するころ、ホテルはスーペリアクラスの「フォーポインツシェラトンウェスト」に連泊することになり、気持ちの上で少し余裕が出てきたところでロビーの「WiFi」※ の看板を見つけました。テレコム・イタリアの無線LANとわかり、インターネットへの接続に希望がわいてきました。
テレコム・イタリアのWiFiの看板
部屋でノートパソコンを広げてインターネットの接続に挑戦してみました。日本にも無線LANを使ったホットスポットサービスがあるのを知っていましたから何とかなるのではないかと思いました。ノートパソコンの電源をONにしてデスクトップが立ち上がるのを確認してスタートから接続、ワイヤレスネットワークの接続を開き、プロパティをクリック。全般からインターネットプロトコル(TCP/IP)を選択、プロパティをクリック、ここで「IPアドレスを自動で取得する」にチェックを入れる。(通常の使用状態は、「次のIPアドレスを使う」に設定してあるため)
ホテルの部屋で無線LANに接続してメールを読んでいるところ
この後、インターネット・エクスプローラをダブルクリックするとTELECOM ITALIAのWebサイトが開きました。WiFi Areaの使い方を読むと5時間/5ユーロ、24時間/15ユーロ、7日間/40ユーロとあり、それぞれ700円、2100円、5600円になります。支払いはプリペイドカードを購入するか、クレジットカードの決済を求められます。
5時間/5ユーロのコースを申し込むとクレジットカードを審査してIDとパスワードを発行してくれましたので、それを入力するとインターネットに接続して自由に使えるようになりました。アウトルックを開いてメールを受けて返信を書いたり家族に無事を知らせたりしました。次に検索サイトに接続して日本の新しいニュースを手に入れることでした。
あとがき
EchoLinkでアマチュア無線をのぞいてみたい、Skypeで友人とおしゃべりしたいと思いながら、一日を目いっぱいに使って観光に駆け回るツアーでは、自由に使える時間が限られて思うようになりません。イタリアではまだ行ってみたいところがあり、ミラノに本部のあるイタリア・アマチュア無線協会(ARI)とマルコーニ縁のボローニャ地方への訪問を次の機会に実現したいと思っています。
※ WiFiは業界団体のWECA(ワイヤレス・イーサネット・コンパティビリティ・アライアンス)が、無線LANの標準規格「IEEE802.11b」の互換性を保証するために定めた名称で、「Wireless Fidelity(ワイヤレス・フェデリティ)」の略。