XY1HTとXA0A DXペディションで活躍されたHS0/G3NOMレイさんが2004年10月、心臓発作を起こして病院に担ぎ込まれ、家族・友人達の心配をよそに意識が戻らないまま集中治療室で年を越してしまいました。意識不明の状態が60日以上続くと回復が難しいといわれるなか、2005年1月10日、DX-CHATに『G3NOM/HS0ZDZ 健康』の見出しで奇跡的な回復を伝えるChrles Harpole氏の書き込みを見つけました。

バンコクの病院にレイさんを見舞ったチャールズさんによると、彼の妻と娘さんによる手厚い看護が回復を助けているといい、のどにチューブが挿入されて話せる状態にないが、握った左手に力がこもり、レイさんの知的な目の動きと顔の表情から意志が感じられ、これからの回復に期待が持てるという内容でした。

英国人のレイさんはRay Gerrardといい、ブリティッシュ・テレコムのアジア駐在員としてバングラデッシュのダッカに拠点を持ち、しばしばタイのバンコクに出張して精力的に仕事をこなしておられました。その後、タイ人のLawanさん(E21UHL)と結婚して温かな家庭を築きSEANETコンベンションにも夫婦おそろいで出かけていました。

レイさんは定年退職を機にバンコク郊外に邸宅を造り、庭にはアンテナタワーがそびえて素晴らしいシャックを作ったということで、バンコクを訪ねるアマチュアがしばしば立ち寄っていました。一方、タイのアマチュア無線組織「RAST」(Radio Amateur Society of Thailand(http://www.qsl.net/rast/)のよき相談役として親しい関係を築き上げ、国際的な窓口を一手に引き受けてRASTの顔として活躍中でした。

観光大使の面前でデモンストレーション

1994年9月19日、G3NOM、JR0CGJ、JA1UTの3人が当時の観光大臣・カウ・バー将軍の面前でデモストレーションに限定されたXY1HTを運用し、JA1FUYと9V1ZDの2局とSSTVによる交信を行いました。のちにレイさん直筆の絵葉書によるQSLカードをいただきましたが、これはミャンマー政府に各方面からアマチュア無線の運用を求めてあの手この手で許可を迫っていた頃の話ですから、アマチュア無線の解禁に向けて第一歩を踏み出した歴史的なQSLカードといえるかもしれません。

SSTVによる初交信のXY1HTのQSLカード(1994年9月19日)

QSLカードに次のように記されていました。

「Thank you for your kind patience and your good SSTV picture which were well received by Myanmar officials. 73 de Ray HS0/G3NOM」

オフィシャルの文字が誇らしげに見えます。

画像通信が観光客の増加に役に立つと考えた観光大臣の判断で、SSTVに限ってアマチュア無線の交信が認められた経緯があります。観光省との折衝はもっぱらレイさんが引き受けて奔走していましたから、その後の大々的なXZ0A DXペディションへと続く大きな布石となったのは間違いのないところです。

DXペディション成功の影に

セントラル・アリゾナDXアソシエーション主催のXZ0A DXペディションは2000年1月13日~2月6日、ミャンマー領タータイ島の「アンダマン・クラブ」にアンテナタワー数基を建てて日本人3人(JA1UT、JA1UPA、JR0CGJ)を含む17人の国際チームによりオールバンド・オールモードで65,000局と交信して大成功を収めました。

XZ0Aの運用地。ミャンマー領タータイ島"アンダマン・クラブ"

ここでもレイさんが国際チームの一員として重要な役割を担っていました。バンコクからタータイ島に数十トンにおよぶアンテナタワーを運び「アンダマン・クラブ」の庭にアンテナファームを建設したのはHS0/G3NOMレイさんの指揮によるものでした。アンダマン海に面した風光明媚なリゾート地は、スマトラ沖大地震・津波(2004年12月26日)による壊滅的な打撃により「アンダマン・クラブ」が営業停止に追い込まれ、運用地の華やかな光景は雑誌(MH 2000年3月号)の写真に残るのみとなりました。

XZ0Aを運用するG3NOMレイさん

スマートな出会い

ラオスの首都ビエンチャンへ向かうDXぺディションの一行数名は、経由地のバンコク空港に降り立ちました。今回はラオスのKPL(カオサン・パテト・ラオ)国営通信社の招きでラオスの首都ビエンチャンにアマチュア局(XW8KPL)を設置して技術指導を行うかたわら、DXサービスを行うために膨大な無線機材を成田空港から持ち込んできました。

空港で入国審査を終えて、バゲージ・クレーム(Baggage Claim、手荷物受取所)へ。搭乗機のフライトナンバーが出ているターンテーブルでバゲージ(旅行用の小荷物)をピックアップのために全員が待機していました。手回り品のほかに大型のHFバンドトランシーバー、DC電源、HFトライバンダーや同軸ケーブルなどかさばるバゲージが10個にのぼりました。ターンテーブルから流れてくる荷物を1個また1個と引き上げているときにHFトランシーバの梱包の上に一枚のQSLカードが載っているのに気づきました。

あれっ誰が載せたのだろう?よくみると「G3NOM」のコールサインを確認、バゲージが流れてくる上手の方を眺めました。G3NOM Ray(レイ)さんが近くにいるらしい。友人達にカードを掲げてこのことを告げると、全員がいっせいに辺りを見回したのです。この反応を楽しむかのように上手の方から微笑み浮かべながら近づいてくる紳士がG3NOM レイさんでした。トランシーバーの上にQSLカードをそっと置く、ハムならきっと気づくに違いない、ターンテーブルの流れを見ているとバゲージを取り上げる人が目指す相手という読みの深さに一同感心することしきりでした。

レイさんはDXペディションの一行がバンコクに到着する時間に合わせてバングラディシュからバンコクへ出張してきましたが、日本人の一行とは誰とも初対面でした。バンコク国際空港(ドン・ムアン)での出会いがアマチュアらしい機転を利かせた一枚のQSLカードによるもので、このときの印象がいつまでも鮮やかな記憶として残っています。

G3NOMレイさん夫妻。夫人はE21UHLラワンさん

クイーンズ・イングリッシュ

荷物を無事に受け取ると急に空腹を覚えました。とりあえず空港ホテルの日本食のレストランで小休止を取ることにしました。初めて対面したレイさんの率直で真摯な会話に魅了されました。英国紳士とはこういう方を指すのでしょうか。私達の会話のレベルに合わせてわかりやすく話すクイーンズ・イングリシュは、自分の会話力が向上したと錯覚するような温かい気遣いを感じました。文法の間違いや発音の誤りを指摘するでもなく、知的な笑みを絶やさない誠実な人柄に加えてクレイジーなアマチュアの匂いを感じました。

「何を召し上がりますか」と尋ねると、迷わずにメニューの"親子丼"を指差しました。英国人がなぜ親子丼なのかと考えていると親子丼が運ばれてきて、レイさんはお箸を巧みに使い親子丼を美味しそうに召し上がり始めました。鶏肉にとき卵、しょうゆ味がお口に合うのでしょうか。もっとも最近の日本人はロンドンに出かけて英国の国民食とも言える"フィッシュ&チップス"を食べていますから、いまや料理に国境がないのかもしれません。

あとがき

一枚のQSLから始まったレイさんとの交友は、ハムフェアにあわせて来日したときのホテルでの歓談、レイさんのNC(ネットコントローラー)でRASTの非常通信に日本から参加したことなどが思い出されます。もしレイさんが病に倒れていなければ、スマトラ沖地震・津波で大きな被害を蒙ったタイ国RASTの国際担当役員として復興事業に貢献されたに違いないと思うと残念でなりません。さらなる回復を祈ります。

次回はパトラス港からフェリーにて憧れの「アドリア海1泊クルーズ」に出かけ、イタリアのバーリーへ向かいます。そして「@nifty海外接続アシスタント」の失敗例とイタリア・テレコムの「Wi-Fi Area」を偶然に見つけて、快適に使いこなせた話などを交えながら観光で訪れた岩穴都市「マテーラ」と古代都市「ポンペイ」などを紹介したいと思います。