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No.29 『BA4DH John物語』~自作にこだわったアマチュア・スピリット~
中国の経済は、ここ十年で目を見張るような発展を遂げました。高層ビルが林立する上海浦東新区は近代中国を象徴する新しい都市としてテレビにたびたび登場します。上海の表玄関となった近代的な浦東国際空港、APEC2000が開かれた上海科技館、そして上海明珠テレビタワー(468m)など上海の表の顔は大きく変わりました。同じようにアマチュア無線界も大きく変わりました。ここに一枚の記念写真があります。1992年12月22日、個人局を開設したBY4AOM※1のメンバーによる個人局開設1周年を祝ったカードです。
BY4AOM会員による個人局開設1周年の記念カード
BY4ALC※2のシャックに上海のオールドタイマーが個人局の開設を祝って集まった時の写真です。前列左からBA4AC、BA4CA、BA4AE、BA4AB、BD4AA。後列左からBA4CH、BA4AG、BA4AD、BA4AH、BA4AF、BZ4CW、そして左上がBD4AD、左下がBA4DH。この日、出席できなかった3人がはめ込み合成で加わりましました。(左上)BD4AD郭徳文(BA4AD)夫人、(左下)BA4DH(当時BZ4DLE)、Johnこと謝隷華さん、(前列右端)BD4AA(謝云英さんBD4AA、ex BZ4DH)John夫人です。
SSBジェネレータづくりに没頭したJohn
ここにご紹介するBY4AOMの一員、謝隷華さん(ex C1TM、C1EH)はHsia Di-hua、通称はJohn(ジョン)さんです。1990年BZ4DHを取得しました。個人局の開設が近づく頃、モノバンド・トランシーバーの試作を目指して、内外の製作記事や電子パーツのデータを集めるようになりました。
BA4DH Johnさんとシャック
当時、クラブ局には海外在住の華人や日本の友好団体が寄贈したメーカー製の通信機が入っていましたから、実際の操作を通して性能の素晴らしさをよく知っていました。中でもICOMのコンパクトなHF帯トランシーバーが人気を集めていました。とはいっても個人が簡単に手を出せる代物ではなく、月収の10~20倍に達する値段は定年間近のオールドタイマーにとっては高嶺の花でした。追い討ちを掛けるように通信機の輸入規制も悩ましい問題でした。アマチュア無線を続けるには無線機の手作りに活路を求めるしかありません。 ダーとバーアンテナを取り除いて、そのスペースにクリコンを挿入すると100円ラジオが「50MHz帯AM受信機」に変身するのですからいじり壊しても惜しげがありません。
英国人の父と中国人の母を持つジョンは、得意の英語を生かしてARRLの機関誌“QST”の製作記事を読み漁り「SSBジェネレータを作ろう、そしてキット化して仲間と一緒に使いたい」と思うようになりました。モノバンド・トランシーバーのパーツをコツコツ集めてみて、“SSBジェネレータ用のクリスタル・フィルタ”が手に入らないと気付きました。米国に注文ができないまま思い悩んでいるジョンさんを気遣うBY4AOMの代表・沈明綱(BA4AB)さんから「日本で手に入らないだろうか」と照会がありましたので、秋葉原で購入して航空便で送ったのもこの頃でした。
HFモービルでBY4ALC経由、BZ4DHと交信に成功!
夏の暑い盛り、箱根・大涌谷を目指して山道をドライブしていました。車に搭載の無線機はHF帯50ワット、21.300MHz付近で上海のBY4ALC※3をキャッチしました。RS59、強力な信号です。硫黄の匂いが立ち込める駐車場に急いで入り交信の態勢に入りました。挨拶を交わした後に航空便で送ったクリスタル・フィルタが届いたかどうかを尋ねました。無事にジョンさんの手に渡っていると言い「ジョンはいま2メーターで待機しているから交信してみないか?」と提案してきました。BY4ALCが2mFMから流れるジョンさんの声を中継するつもりらしい。
メンバーの寄せ書きのあるBY4AOMのQSLカード
BY4AOMのメンバーは144MHz帯FMトランシーバーを自宅に設置して自由に運用ができました。コールサインはBY4AOM-A、BY4AOM-Bのように末尾にAから始まるアルファベットを付けてBY4AOM-KまでをAOMのメンバーが使っていました。限定的な処置でしょうが面白い使い方だと思いました。筆者がBY4AOM-Lを許されてクラブ局で運用した時期もあり、外国人に与えた珍しい事例となりました。その後、個人局の開設とともに不思議なコールサインは消滅しました。
- 「クリスタル・フィルタをありがとう。試作機に載せてテスト中だが、もっと手に入らないか、どうぞ」2mの電波が21MHzトランシーバーを経てはっきり流れてきました。
- 「同じモノでよければすぐにも10個くらい送りましょう」
- 「それはありがたい、いま21メガのファイナル部分を作っていますよ、出力は10ワットです。どうぞ」
- ジョンさんの格調高いクイーンズイングリッシュが車内で響きました。BY4ALCの手動による中継操作があまりに見事で上海の2mFMによる交信とは思えません。こちらの声も上海の2mFMで流れているのでしょうか。
- 「ほかに何かリクエストがありますか?」
- 「とくに何も・・・楽しいQSOをありがとう」
- 「近いうちにお会いしましょう」スリリングで楽しい交信を終えました。
ジョンさんの遺志
その後21MHz帯SSB 10Wトランシーバーを完成させたと聞いて喜んでいたのも束の間、脳梗塞で倒れて意識が快復しないまま9年間の療養生活が続きました。親しい仲間のお見舞いにも反応しないベッドに寝たきりの悲しい状態が続いて2000年3月5日、夫人に見守られて永遠の眠りに付きました。
療養中に個人局1級を示すBA4DHが贈られました。枕もとの棚には自作の21MHz帯SSB・CWトランシーバーが置かれていたのはせめてもの慰めでしょうか。夫人はBD4AAを取得してBY4AOMの友人達と交信して夫の遺志を見事に果たしました。志半ばで夭折したジョンさんを思うとき、後十年長生きしたなら技術的なリーダーとして中国アマチュア無線界に大いなる貢献を果たしたに違いないと惜しまれてなりません。
ジョンさんは古きよき時代のラジオ少年の心を持ち続けて好奇心一杯にアマチュア無線を楽しまれました。そしてジョンさんの遺志を継いだ上海の子供たちは、アマチュア無線で科学する心や通信術を学び、英会話の向上に懸命です。ジョンさんが描いたアマチュア無線の世界はいま見事に花が開いたのです。
上海東方明珠テレビタワー(Orient Pearl Radio & TV Tower)
※1 BY4AOMは上海電子学会(代表・BA4AB沈明綱さん)のクラブ局のコールサイン。メンバーは1940年代にアマチュア無線局を運用したオールドタイマーの皆さんです。
※2 BY4ALCは中国福利会少年宮のクラブ局。国家名誉主席・宋慶齢女史が創設した宋慶齢基金会傘下の少年宮。少年宮は小中学生の課外活動の拠点として重要な役割を担っている。
※3 BY4ALCの台長(責任者)の鄭正文さん(Zheng Zheng-wen)、BZ4CW。