Onlineとーきんぐ
No 102 「メキシコの世界遺産を巡る紀行」
念願のメキシコ合衆国を訪ねました。通称メキシコは、北アメリカ南部に位置するラテンアメリカの連邦共和制国家である。北にアメリカ合衆国(K・W・N・AA・AK))と、南東にグアテマラ共和国(TG)、ベリーズ(V3)と国境を接し、西は太平洋、東は大西洋とカリブ海のメキシコ湾に面し人口は約1億800万人、国土は日本の5.5倍、23の文化遺産と3つの自然遺産、高級リゾートのアカプルコやカンクンが人気を集めている一方、同国はカリブ海沿岸地域を中心にした油田の産出、銀やオパールの産地としても有名。その上、水産業、観光業、製塩、ビールなどの輸出でGDPは世界第14位、ゴールドマン・サック社の予測では2050年には第5位になるとされています。
メキシコの地図
成田からバンクーバーを経由してメキシコシティ-まで13時間40分。さらにメキシコシティ国際空港からアエロメヒコ航空に乗ってユカタン州の州都メリダ空港まで1時間40分。約16時間の長い道のりを掛けてユカタン半島にやってきました。メリダの人口は98万人、遺跡のゲートタウンとして宿泊施設が充実しているため、ここを起点にしてカバー遺跡とウシュマル遺跡の見学に出かけました。黄熱病を研究した野口英世博士の小さな立像が市内のオーラン病院の一隅にあり、道路側を向いているため歩道から見ることができます。
ユカタン半島の鳥料理
カバー遺跡(KABAH)
バスにてマヤ古典期末期(紀元900年)のカバー遺跡を訪ねる。ウシュマルの姉妹都市として栄えたマヤの遺跡。マヤアーチの典型といわれる凱旋門が見事。コズ・ポープ(Codz Pop)というプウク様式(丘陵地域にある古代遺跡)の建物は、仮面の宮殿の異名を持ち、正面の壁に雨の神様チャックの顔がマヤの宗教暦と同じ260個も並んでいる。北側の壁には石のモザイクと人物像が飾られていて見ごたえがある。入場料30ペソ(210円)
ウシュマル古代都市(UXMAL)文化遺産/1996年登録
ユカタン半島北西部で9〜11世紀に最も栄えたマヤの古代遺跡。壁面をモザイクで飾る様式は文明の高い芸術性を伝えている。ウシュマルの象徴ともいえる【ピラミッド式神殿】(魔法使いのピラミッド)は、5つの神殿を重ねた構造で300年かけて造られたという。南北85m、東西50m、高さ35m、西側正面の入口全体が雨の神様チャックの顔になっている。残念ながら遺跡保存のためにピラミッドに登れない。
ウシュマルの魔法使いのピラミッド
【尼僧院】長さ65m、幅45mの中庭を囲んで細長い建物が立ち神官たちの住居だったといわれている。この建物の上部の壁に幾何学模様のモザイクが刻まれ、ククルカン(蛇神)の彫刻が残っている。【総督の宮殿】幅180m、奥行き153m、高さ18mの基壇の上に立つ長方形の大宮殿(全長100m、幅12m)。外壁を飾るモザイクが素晴らしい。【大ピラミッド】森の中の古代の遺跡で高さ32mのピラミッド式神殿、眺望がよく普段は頂上まで登れるが、この日は修復工事が始まり登ることはかなわなかった。ほかに【カメの家】、【ハトの家】と呼ばれる遺跡がある。入場料95ペソ(665円)、ビデオカメラ持ち込み料30ペソ(210円)。
総督の宮殿
総督の宮殿の外壁を飾る石のモザイク
チチェンイッツア古代都市 (文化遺産/1988年登録)
西暦800〜900年代に造られた遺跡。チチェンイッツアは「イッツア族の井戸の口」という意味で儀式に使ったセノーテ(聖なる泉)からきているらしい。直径66m、地上から水面まで20mあり、水の神がすむという。干ばつの時に生け贄に宝石など貴金属を身につけて泉に投げ込んだといわれる。1911年水底の調査では21体の子供、13体の成人男性、8体の女性の人骨が見つかり、金や翡翠などの宝石400点が発見された。
セノーテ(聖なる泉)
チチェンイッツアの仮面の土産もの
【カスティージョ】(ピラミッド型神殿)は、底辺55m、高さ30m。4面のうち2面が修復されて美しい姿を見せているが、他の2面は荒れたまま。別名をククルカン神殿といい、ククルカンは羽毛の生えた蛇のことで農業神。春分と秋分の日、北階段のククルカンの頭とピラミッドの影が合体しククルカンの姿が現れる。神殿はマヤ暦の1年の月数18を表し、四方の階段が91×4=364、これに頂上の1段を加えて365日になる。2008年、米人女性が80段目から転がり落ちて死亡、以来、上ることが禁止された。
チチェンイッツアのカスティージョ(ピラミッド型の神殿)
【戦士の神殿】は底辺40m、高さ12mの3層構造の基壇を持つ。正面に戦士の像のレリーフが施された列柱群がある。神殿の前には生け贄の心臓を乗せた台座(チャックモール)も。【ツォンパントリ】(頭蓋骨の壁)は台座が頭蓋骨のレリーフで覆われている。生け贄になった人々の頭蓋骨を飾る場所といわれ、その数が多いほど吉とされた。【球戯場】コートの長さが120m、幅30mが完全形で修復されている。1チーム7人で左右の壁に埋め込まれた石の輪にボールを入れる競技だが、スポーツというより豊作を祈願する行事らしい。勝ち組のキャプテンが生け贄として首を刎ねられる。負け組のキャプテンという説もあるが、神さまは負け組を喜ばないので、これは誤りとガイドさんが話していた。ほかにジャガーの神殿、天文台(カラコル=カタツムリ)、尼僧院などの見学にたっぷり2時間かかる。入場料30ペソ(210円)、ビデオカメラ持ち込み料35ペソ(245円)
ツォンパントリ 頭蓋骨のレリーフで覆われた台座
トゥルム遺跡(Tulum)
カンクンから127km、車で1時間50分。カリブ海に臨む断崖の上に立つマヤの遺跡(1300〜1500年ごろ)。マヤ時代は「サマ=夜明け」と呼ばれていたが、後世になって「トゥルム=砦」と名付けられた。三方を城壁で囲まれ、残る一方は断崖のカリブ海という要塞都市。海上貿易の中継地であり、スペイン人が最初に目にしたマヤの都市らしく「セビーリャと同じ大きさの町で高い塔がある」との記述がある。カスティージョ(城)は海上12mの断崖の上に立っているのでスペイン人は「塔」と思ったらしい。遺跡には多くのイグアナが生息していて昔は食用だったが、今は食べないという。入場料45ペソ(315円)。
カリブ海の断崖の上に立つマヤ遺跡トゥルム
トゥルム遺跡で見かけたイグアナ
テオティオワカン古代都市(文化遺産/1987年登録)
メキシコシティの北東約50kmにある古代都市の遺跡。紀元前100年頃に出現して紀元300〜600年ごろに繁栄のピークを迎え面積23km2、人口20万人と推定される。700年ごろから衰退し、750年ごろには消滅した。14世紀以降この地を支配したアステカ族の呼び名がテオティワカンの地名になった。
【ケツァルコアトルの神殿】一辺400m四方の城塞の内部にある神殿で装飾が豊か。【死者の道】南北を貫く道幅40m、全長2.3kmのストリートの両脇に主な建物がある。近年、道路から後ろ手に縛られた生け贄が発掘されたという。【月のピラミッド】(底辺144m×128m)は4層構造になっているが、一層目の約50段に上ることができる。海抜は2,300m以上の高地のため空気が薄く50cmもの段差にへばり、登り切ったところで座り込んだが眺望は抜群。古代人の体力は並みでないらしい。月の広場は士気を鼓舞しパレードを行ったとする説が近年の研究で有力になった。
【太陽のピラミッド】テオティワカン最大の建造物、高さ65m、底辺の一辺225mのピラミッド。建物の正面は夏至の時に太陽の沈む方角にあり、太陽崇拝を表すものとされている。最初のピラミッドは紀元前100年ごろの建設だが、紀元前後に増築されて現在の姿は1905〜1910年に修復、復元されたもの。頂上までの階段は248段、5層構造の姿に圧倒される。健脚な人は登頂可能。【ケツァルパパロトルの宮殿】月の広場の西側で1962年の発掘で発見された宮殿風の遺構。300〜600年ごろの建物で祭事に携わる神官の住居だったと考えられている。回廊の柱のレリーフが精緻で見ごたえがある。見学に3時間、入場料45ペソ(315円)、ビデオカメラ持ち込み料35ペソ(245円)。
あとがき
2月10日、NHKテレビ「プロフェッショナル」File109で2000年前に起こった謎の文明テオティワカンに挑む考古学者・杉山三郎先生(愛知県立大学・特任教授)の王墓発掘にかける泥まみれの30年が描かれていました。現地を見てきたばかりだけに大いに興味をひかれて見ましたが、冒頭、メキシコ人考古学者が出てきて「彼がピラミッドを発掘しなければ、今のテオティワカンの研究はなかったでしょう」と功績を讃えていたことと、杉山先生の「現代もいろいろなところで個人を犠牲にして社会のために生け贄にするのは、人間の行動パターンとしては同じものがある」という独白が妙に印象に残りました。
旅行中は、空港や遺跡観光でコールサイン入り帽子を被っていましたが、声をかけてもらえる機会はなく期待した出会いはありませんでした。バスの車窓からもHF帯のアンテナを見かけることもなく、残念ながらアマチュア無線とは無縁の旅に終わりました。次はFMRE(メキシコのアマチュア無線団体) に連絡して、もう一度訪ねてみたいと思っています。
参考文献:
ワールドガイド「カリブ海・カンクン・メキシコ」JTBパブリッシング
ウィキペディア フリー百科事典「メキシコ」