1990年、郭徳文(BZ4CTW)さんから1940年代に開局歴のあるアマチュアの集団「上海電子学会」(BY4AOM)を紹介されました。同会の代表は沈明綱さん(ex C1MK、BZ4CMK)、1991年某月、筆者は笠原 豊さん(故人・ex JA1CLN、元JARL国際課長)と一緒に昼食会に招かれました。世話人の鄭正文さん(BY4ALC、BZ4CW)、来賓のBY4AA台長・徐儒さん(BZ4AA)とBZ4CMK、BZ4CWM、BZ4CTW、BZ4CKF、BZ4CA、BZ4CH・・・十数人による会合が始まりました。冒頭の会議は沈明綱さんと許毓嘉さん(BZ4CH)が北京の周海嬰さん(BZ1CY)と連携して、個人局の開設を強く推進している内容でした。この時、笠原さんと筆者をBY4AOMの名誉会員に推挙されるサプライズもありました。

アマチュア無線事始

中国のアマチュア無線は1923年辺りに蒋宗衛さん、X2AY(AC2AY、XU6AY)が交信した記録(中国無線電 3巻10号、1935年5月20日)があります。日本では1925年秋頃、梶井謙一氏(大阪、JAZZのち3AZ、J3CC、JA1FG)と笠原功一氏(神戸、JFMT、のち3AA、JXIX、J3DD、J1IZ、J2GR、JA1HAM)が波長300m、電信のQSOに成功しました。1910年WIA(豪州)、1913年RSGB(英国)、1914年ARRL(米国)がそれぞれ成立、1925年IARU、1926年JARL(日本)、1929年IARAC(中国)が成立しました。

40年余のブランクを経て

中国はすべてのアマチュア無線局の運用を停止(1948〜1949)。1958年11月3日、BY1PK運用を開始するがCWの運用に限られました。1960年、台湾にBV2A、BV2B(ex XU6A、C3YW)、1963年、北京、長春、西安、長沙、成都にクラブ局を開局。それから40年余のブランクを経て1992年12月22日、1940年代に運用経歴のあるオールドタイマーにより個人局の開設が認められました。

当時はメーカー製のアマチュア無線機の輸入が禁止されていましたから、軍用無線機の放出品を使うのが一般的でした。華僑や日本人ボランティアにより公立中学・高校に無線通信機を寄贈して各地にクラブ局が設置され始めたころで、これらの装置は例外的にSRSA(上海市無線電運動協会)と無線電管理員会、地区教育委員会などの承認を得て通関できるルートがありましたが、個人による無線機の入手は困難を極めていました。上海を訪ねるたびにBY4AOMのミーティングに参加して、故障した無線機の修復やアンテナ作りのアドバイスをして交友を深めました。次に上海の代表的なオールドタイマーを紹介しておきます。

BA4AA

1987年10月23日、上海と大阪を結ぶ「鑑真丸」に乗って初来日、大阪で歓迎を受けた後、新幹線で東京へ。豊島区巣鴨の中華料理店で開かれたJARLの歓迎会に出席しました。徐儒さん(ex BZ4AA)は初代のBY4AA台長、SRSAの秘書長、副会長を歴任された上海アマチュア無線界の重鎮です。現在はBA4AA、SRSA名誉委員、上海海姆無線電通信設備有限公司の総経理(社長)を務める1931年1月4日生れの79歳。アマチュア無線機器・アクセサリー・アンテナとタワー建設などを扱う上海唯一のショップです。

BA4AB

上海電子学会(BY4AOM)の元代表の沈明鋼さん。1946年にC1MKを開局。その後40年のブランクを経てBZ4CMK(1989)でカムバック。1993年12月22日、14MHz帯SSBで世界に向けてBA4ABでCQを出しました。同日、筆者もUTC 0030、日本から記念すべき交信を果たして祝意を表しました。沈明綱さんは、病気療養中のところ2007年 8月 14日午前10時47分、上海第一人民病院で亡くなり、 CRSAのWebサイトに追悼記事が掲載されました。1920年 10月 26日生まれの88歳でした。

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BA4ABのQSLカード(1993年12月22日)個人局開局1周年

BA4AC

唐仲誼さん、ハンドルはトム。XU8WM(1936-1941)で活躍したオールドタイマー。その後VK1CWM(1990)、BZ4CWM(1989)。日本語と英会話が堪能でQSTにニュースを投稿するなど、活動の範囲が広かったように思えます。1994年1月1日、筆者が21MHz帯SSBで交信したQSLカードを掲げます。シャックの写真は1995年10月3日のもので、TS-801、TS-520などの日本製のトランシーバーが収まっています。BY4AOM会員。

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BA4ACのQSLカード(1994年1月1日)

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BA4AC トムさんのシャック(1995年3月10日)

BA4AD

郭徳文さんのハンドルはデヴィ。SSTTV愛好家ならご存知のドクター・グオ、上海第2医科大学放射学教授、上海胸科医院放射線科主任医師を歴任。1940年代にアマチュア局を開局、建国の激動期を経て1989年、BY4AOMでアマチュア無線を再開、同時にBZ4CTWを取得。1993年12月22日BA4ADを開局、パケット通信やSSTVを好んで運用。最近はEchoLinkで各地の友人とおしゃべりを楽しんでいます。夫人はBD4AD。OnlineとーきんぐNo.66も併せてご覧ください。

BA4CA

黄耀曾さんはBY4AOMの長老。ex XU8CA、C2CA(1931)、BZ4CA(1990)、BA4CA(1992)で個人局を開局。中国業余無線電(上・下)編集にあたって童效勇さん(BA1AA)に多くの史料を提供したということです。また初めての台長会議(1986年)に参加するなど中国アマチュア無線の発展に寄与しました。温厚な人柄と学識は人を魅了して止みません。

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BA4CAのQSLカード(1992年12月22日)個人局開局の日

BA4CH

許毓嘉さん、ex XU8CH、C1CH(1939)、BZ4CH((1990)、上海市電子学会(BY4AOM)の幹事。90歳に近い年齢にもかかわらず元気はつらつ。14.180MHzのBY & BAネットでBA4CHの声がいつでも聞こえるリーダー。 業余電台通訊録(CALL BOOK 2000〜)の編集者として取りまとめに尽力され、BA4ABの遺志を次いで中国アマチュア無線界を牽引しています。

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BA4CHのQSLカード(1993年12月22日)個人局開局1周年

BA1CY

周海嬰さん(ex C1CY、C1CYC、BZ1CY)は、1946年代開局のオールドタイマー。また作家・魯迅の子息としてあまりにも有名。北京からオンエアするほか、上海の別宅からもIC-706MKIIGとダイポールアンテナでBA・BYネットにチェックイン。「子供や女性によく間違われます」と苦笑、声質は了解度の向上に役立っているといいます。全国政協委員、魯迅研究室顧問、広播電影電視部、CRSAの顧問を歴任されました。

あとがき

上海電子学会(BY4AOM)のオールドタイマーたちとの交友をまとめました。年代やコールサインの確認に注意を払ったために面白さに欠けたかもしれません。1988年から2000年にかけて北京(BY1PK)、ハルピン(BY2HIT)、天津(BY3AA)、上海(BY4AA)、南京(BY4RSA)、福州(BY5RA)、南昌(BY5NC)、杭州(BY5HZ)、南寧(BY7QNR)、桂林(BY7WGL)を訪問して交流を深めたこと、そして歴史的な個人局の開局に立ち会えた喜びを昨日のことのように思い出します。2009年11月15日、中国初のアマチュア衛星 XW-1(OSCAR 68)の打ち上げに成功して、中国の近代アマチュア無線の象徴となりました。日本のJAS-1打ち上げから(1986年)24年、名実ともに肩を並べる出来事に心からの祝意を表します。

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BY4HAMのシャックで

前列左からBA4CH、BA4AF、BA4CA、BA1CY

後列左からBA4AA BV6HK(1999年7月18日)

[参考文献]

中国業余無線電(下)史記篇・交流篇・設備篇 海天出版社、業余電台通訊録2003 QRZ・中国、アマチュア無線のあゆみ(日本アマチュア無線連盟50年史)JARL